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感染経路



「うわー……」

 遊戯はその時ほど、勝負に勝利して良かったと実感したことは無かったかもしれないと思った。勝利と言っても勝負の原初の原初、じゃんけんでの話なのだが。わざわざもう一人の遊戯に頼んでまで勝ちを奪い取って良かった。本当に良かった。

「……何だよ遊戯、何か言いたいことでもあんのか?」
「いや……いや別に……えっと、似合ってるよ……?」
「無理に褒めなくてもいいんだよ! 嬉しくねえ!」

 目の前の城之内はふてくされてその場に座り込んだ。胡坐の作り出した露出ポイントが目に痛い。今日の城之内の服装は、言うなれば『メイド服』という奴だった。ひらひらの白いエプロンに、ふわふわの黒いスカート、きめの細かいレースの――いや、もうこれ以上傷を深くするのはやめておこう。

「珍しいね、城之内くんジャンケン強いのに……」
「ったく、こういう時に限ってこの右手はよう!」

 心底悔しそうに己の右手を握り締めている城之内を、なるべく刺激しないように苦笑で見守る。リアル女子高生キャバクラの提案者がこの態とはなかなか皮肉な話だ。
 遊戯たちのクラスの出し物は決闘大会、のはずだった。だがそれだけでは面白くないとクラスの女子たちが騒ぎ始め、最終的に落ち着いたのが『決闘喫茶』だった。海馬の協力のおかげで決闘関係に殆ど予算はかかっていない。その分を使って、決闘を楽しみながらお茶でもどうぞというわけだ。だが本気になった女子は怖い。舐めてはいけない。

「いつの間にこんな話になっちゃったんだっけ……?」
「知らねーよ……」

 同じく、可愛らしいひらひらの洋服を着せられた本田は自棄気味に呟いた。いつの間にかジャンケンで負けた男子はメイド服で接客、という話になってしまっていたのだ。女子はきゃあきゃあと楽しそうに喜んでいるが、男子勢のテンションは総じて低い。着せられた者はもちろん、苦行を免れた者も視覚的に辛い思いをしていた。どうせなら女子のが見たい、男のメイド服なんて世界から女が消滅しても見たくない、そんな声なき声が聞こえてくるようだ。

「くっ……! こうなったら仕方ねえ、男城之内やると決めたらやるっ!」
「男とは思えないカッコだけどな……」
「うるせえ、堂々としてりゃおかしくねえんだよ! 今日は完璧なメイドとして来る客全部ボロ負かしてやる!」
「その意気よ城之内ー!」
「可愛いわよ城之内ー!」

 だが城之内の切り替えは見事に早かった。女子の向けるカメラにピースを作っている様は尊敬の念さえ覚えそうである。しかもその高いテンションは、周囲の男たちにも火をつけたようだった。格好はともかく、客には熱い決闘を提供できそうだ。

「楽しい一日になりそうだね」
「ああ、だけどこりゃ海馬居なくて良かったな……って、あ」

 床にしゃがみ込んで苦しんでいる遊戯を、本田が呆れ返って見下ろしたのが十時十分前。そろそろ一般客が訪れる時間である。

「お前、本当に海馬が来たらどうすんだよ」
「死、ぬ……!」
「そうか。来ないといいな。まあ来ないだろうけどよ」
「でも、来て欲しい……!」
「……そうか。来るといいな」
「うん……!」

「兄サマ大変だよ!」

 海馬はトントントン、という規則正しいリズムが止まったことにハッとした。いや、ハッとしたからリズムが止まったのか。その音の発生源は海馬の手の中の万年筆で、一定のリズムを保って机を弾いていたのだ。もちろんその間、仕事は何ひとつとして進んでおらず、目の前のパソコン画面も何の変化もしていない。ぼんやりするなど全く普段の自分らしくない。小さく舌打ちして椅子に座り直した。

「兄サマ……? 兄サマ!」
「っ……モクバ。居たのか」
「居たよ! 兄サマどうかしたの? 体の調子悪い?」
「いや、どうもしない」
「良かった……って、そんなこと言ってられねえんだった! 兄サマ大変だよ!」

 モクバは興奮気味にデスクに向かって身を乗り出してきた。視線で話を促すと、机上の電話を指差す。

「今、今電話があって!」
「誰からだ」
「それがいつものホラ……恨みを晴らしてやるとかそういう奴だから、オレが出たんだよ」
「……そんな電話は他の奴らに対応させればいい。わざわざお前が出ることなどない」
「いや何か事情が違うみたいだったから! そしたらソイツ、兄サマの友達を人質にしたって!」

 海馬は数瞬モクバを凝視して、それから眉根を寄せた。今モクバは何と言っただろうか。『友達』? 最も愚かで希薄な人間関係の名称である。海馬にそのようなくだらない間柄の人間など存在しないはずだ。

「どうせでっちあげだ。こちらを右往左往させて喜ぶようなくだらん輩だろう。捨ておけ」
「いや多分本当だって! だってそいつ、今童実野高校の文化祭に居るって言ったんだ!」
「文化祭の日程など誰でも知り得るだろうが」
「そうかもしれないけど……でも、ひょっとしたら遊戯の奴が捕まっちまったのかもしれないぜ!」

 決闘は本当強いけど、ケンカはダメそうだし……などとモクバがおろおろと続けた。確かに遊戯は、もう一人共々『友情』だの『結束』だのという言葉を好き好んで使う男だ。何かの拍子に不名誉な勘違いをされてもおかしくは無いだろう。決闘の時とはまた違う奇妙な不整脈を忌々しく握り込みながら、海馬は立ち上がった。

「……では誰かを確認に向かわせろ」
「兄サマが文化祭に向かったら連絡してくるって言ってたんだ! こっちの行動を監視してる可能性が高いぜぃ」

 手元の書類やノートパソコンを手際よくジュラルミンケースにまとめて、かけてあるコートを羽織る。

「連絡? 一介の犯罪者ごときがこのオレにどう連絡をつける気だ。デマに決まっている」
「そうだったらいいんだけど……念のため、遊戯のとこに確認しに行こうよ」
「フン、だがまあ万一何かあって言いがかりを吹っかけられても面倒だ。仕方ない、行くぞ」
「何も無ければいいけど……」
「このオレがわざわざ出向くのだ。何事も無ければそれ相応の償いをさせねばならんな」
「だよな! そのカバンで一発ぐらいいいと思うぜ!」

 こうして誰もが予想していなかった、物騒な兄弟の文化祭行幸はスムーズに決定したのだった。

「はー……! 疲れたー!」

 肩をトントン、と叩きながら城之内はトイレから出た。職員室や特別教室の多いこの棟は一般客の立ち入りを禁止していて、廊下には遠い喧騒しか響かない。休む暇なく朝から決闘決闘で少し疲れた。

「しっかし、慣れってこえーよな」

 ふわりと広がったスカートの裾を、汚いものにでも触れるようにつまんでみる。こう長いこと着ていると段々違和感が無くなってくるから不思議だ。どうやら周囲もそのようで、最初あんなに騒いでいた女子も今ではてきぱき仕事をこなすだけである。そんな慣れなど男としてどうなのか、と思わないこともないが、昼の交替まではひとまず忘れることにした。

「よっし! あともうちょっと頑張っ――」

 背後に気配を感じたと思った瞬間、後頭部に重たい衝撃が走る。視界がブレて、一瞬で思考が遠くなった。とにかく痛い。激痛に星が散る。

(何が……!)

「遊戯、冷蔵庫からもう一本ジュース持ってきて!」
「うん!」

 M&Wは最近ではスポーツと同じぐらい巷を賑わしているゲームである。海馬コーポレーション協力の派手な展示物、無料貸し出しの決闘盤やカードなどが人気を博し、遊戯たちは嬉しい悲鳴を上げていた。むさいメイドに勝利してもらえるスターチップを集めると決闘王と闘える、という触れ込みも人気の一助になっているようだ。噂の決闘王は苦笑するしかない。

『でも楽しみだな。どんな奴が勝ち上がってくるか』
「呑気だなあ、もう一人のボクってば」
『そうか?』

 ばたばたと急ぎ足で戸口に駆け寄ると、綺麗に飾り立てられたそこに人が立ち塞がっていることに気づいた。どうぞ、と中に招きいれようとして硬直する。その高い上背は、見覚えのありすぎる姿だった。

「あ……」

 思わず口から間抜けな声が出る。そしてそれ以上何も出てこなかった。思考が止まる。息が止まる。心拍が止まる。来ないだろうけど、って言ったじゃないか。本田くんの嘘つき。

「……遊戯」
「あ……え……?」
「遊戯……っ、」
「うわ、えっと、か、かか海馬くん……!?」
「貴様、無事だな」

 突如現れた周知過ぎた顔に、教室内の誰もが呆然としているところ、海馬は無駄の無いフォームでジュラルミンケースを振り上げた。その動きには見覚えがあったので、かろうじて身体が反応する。

「わ、わわわわわあ!! 何するのさ!」
「何故避ける! 黙って殴られろ!」
「何で! 何で!?」
「もー、兄サマ早いよ……って遊戯!?無事だったのか!」
「モクバくん……?」

 無事とは一体どういうことか。ともかくこれ以上騒ぎを大きくしてくれるなという杏子に押し出され、一同は教室を出ることになった。教室を出てすぐの階段脇にひそひそと集まる。

「ってわけでさ、怪しい電話があったから、念のため来てみたんだ!」
「いっつもそんな電話あってるの? 結構大変なのね……」
「……まあな」
「友達って……それで、ボク……!?」
「勘違いするな遊戯! 貴様が日頃から誤解されかねん言葉を使いたがるから、不名誉な誤解などこのオレが粉砕してやろうとわざわざ足を運んでやったのだ!」
「あ、ああそっか……そうだよね……」

 海馬が遊戯の名前をなぞるだけで、心臓が跳ねて落ち着かない。海馬の強い光を灯した目が容赦なく遊戯を射抜いている。何かに激昂している海馬は、上手く言葉に表せないがやっぱり海馬だ。つい見入ってしまう。

「やっぱりデマだったのかな……」
「そのようだな。さっさと帰るぞモクバ」
「えっ、もう帰るの!」

 歩き出そうとしたその腕をつい捕まえてしまった。自分の鼓動が全部指先に集中したかのようにうるさい。海馬にもこのリズムは伝わっているのだろうか。だったら恥ずかしい。

「遊、戯……っ」

 先日のことを鮮明に思い出して動けなくなる。どくどく、とまた鼓動が早い。

『うつちゃった、かな』

 そうかあの後ボクは――

「は、なせっ!」
「うわ!」
「いつまでそうしているつもりだ!」
「ご、ごめん!」
「海馬くんやめて! ケガじゃすまないじゃない!」

「おーい杏子!」

 またジュラルミンケースが大きく動いて恐れをなしていると、教室から人影が近づいてきた。ひらひらふわふわの本田である。そのおかげで海馬の動きが止まったとはいえ、それを見た瞬間の海馬の顔の変化は凄まじかった。対するモクバは笑いを必死にこらえているようだ。

「笑うなよ……! やっと慣れてきたとこなんだぞ!」
「何だそれは。貴様にはそんな趣味があったのか」
「あるわけねーだろ! じゃんけんで負けちまったからしゃーねえだろ……」
「どういうことだ? まさか貴様そのようなふざけた格好で決闘を……」
「あー! わー! とりあえず説教は後でな! 杏子、城之内見なかったか?」
「城之内? ……見てないけど。居ないの?」
「小便っつって、それから帰ってこねえんだよ……。さてはフケやがったなアイツ」

 ノリが良く、デッキも人を惹きつけるギャンブルデッキ。おまけにここ数ヶ月でかなり決闘の腕が上がった城之内は、客に引っ張りダコになっていた。少しぐらい休憩を前倒しにしたいと思ってもおかしくないだろう。だが周りが言うよりずっと責任感の強い人間なのだが、余程疲れていたのだろうか。

『……よく来たな、海馬瀬人……!』

 ノイズに混じって突然割り入った声に驚く。そのどこかブレた声は、海馬のコートの襟元に付いたバッジから発されているようだ。たちまち海馬は視線を鋭くした。

「誰だ、貴様は。この回線は極一部の者しか知らんはずだ」
『そんなことはどうでもいい……貴様の「大親友」とやらの命惜しくば、言うとおりにしろ……』
「……大親友? 馬鹿げたことを。このオレにそんな者は居りもせんし必要もないわ!」
『強がるのもそこまでにしておけ……嘘だと思うのなら、声を聞かせてやろう……』
『大親友の海馬くーん! 助けてくれっ!』
「じょ、城之内くん……!?」

 多少ぶれていても誰だか分かるその声に、海馬は顔を歪ませて己の襟を握り締める。あと一歩でバッジを握りつぶすところだったに違いない。

『そうだな、すぐそこの教室で決闘でもしていたらどうだ……また連絡する』

 ブチン、と嫌な音がしてその場が沈黙に包まれる。しばらく黙って怒りに震えていた海馬は、ついに耐えかねたらしい。勢い良く踵を返した。

「くだらん! あのような戯けに付き合っていられる程オレは暇ではない! 帰るぞモクバ!」
「待って! 海馬くん!」

 今度こそしっかりとその腕を掴む。ばくばくとうるさい心臓をなんとか押さえながら口を開いた。本当はこの余韻に浸っていたけれど、そんなこと言っていられる場合ではない。

「海馬くんが帰っちゃったら、城之内くんが危ないかもしれないんだ……!」
「それがどうした!」
「海馬くんは城之内くんのことあんまり良く思ってないかもしれないけど、ボクたちにとっては大事な友達なんだ……! お願いだ、城之内くんを助ける協力を……!」
「兄サマ! ここで帰っちまってもしものことがあったら、色々あることないこと言いふらされて信用問題になっちまうかも……! ここでコイツとっ捕まえといた方が後のためだぜぃ!」

 モクバの強いフォローのおかげで、海馬はそれ以上何も言わなくなった。不機嫌そうに眉をしかめているだけだ。乱暴な動作で襟のバッジをむしり取ってモクバに放る。

「次に交信があった時、すぐにコールサイン解析と逆探知ができるようにしておけ。どうせ内部犯だ」
「あ、うん……」
「どうして内部犯って分かるの……?」

 杏子の控えめな問いに、海馬は煩わしそうな視線を送った。そしてそれに連絡できるのは信用を置けると判断されたはずの一部の者だけだ、とバッジを指差す。

「海馬ぁ、城之内は……」
「やかましい! 次の連絡が来るまではこの状況は動かん! フン、言われる通りに動くなど気に入らんが他にやることも無い! 決闘だ!」
「海馬くん……!」
「貴様は……っ! もう触れるな!」

 礼を言おうと思った。あの海馬が大事な友人を助けてくれるよう動いてくれたのだから。だが言葉が出なかった。強く手を振り払われて、今まで以上の冷たい視線で射抜かれてしまったら、何も言えない。

(あんなの、幻だったのかも)

 階段裏でその胸に手を当てた時は、同じ心音を共有しているような気までしていたのに。それこそ思い上がりの、馬鹿みたいな錯角だったのだろうか。

「―――で?」

 城之内は不機嫌に足の下にいる男に言い放った。ぐりぐりとその頭を足で床に押さえつけながら。屈辱だろうな、とぼんやり考える。女のようなふざけた格好をした、明らかに年下の高校生男子に足蹴にされているのだ。

(うーわ、オレがされたら立ち直れないね)

 目が覚めて突然、後ろ手に縛られた状態で小さい通信機のようなものに向かって喋らされたのだ。気分は最悪である。後頭部がまだじわじわと痛む。
 手を縛っている紐は化学室特有の大きなの机に縛り付けられていたが、結び目が甘くすぐ外れた。全く舐められたものだ。中学時代はもっとヤバイ境遇もくぐってきたというのに。

「……ん? おっさん、どっかで見覚えあるな……」
「く……っ!」
「あ! 思い出した! 海馬んとこの秘書!」

 ということはあの野郎の差し金か、と腹が立ってきてその頭を尚ぐりぐりと押さえつける。だがよく考えてみると海馬を脅すような文句を並べていたような――

「お前、何が目的なんだよ」
「お、お前には関係ない!」
「ふーん? この状況でもそういうこと言えんのかあ? 分かってねえなー、今はお前が人質なんだぜ?」
「う……!」
「教えてくれたら、開放してやるよ」

「これで終わりか?」

 海馬は心底つまらなそうに吐き捨てた。その知名度から最初は決闘に臨む客で溢れ返っていた海馬の周りは、今や静かなものだ。圧倒的な力の差で敵を薙ごうとする海馬の前では戦意を喪失する者も多く、逆に営業妨害の色さえ見せ始めていた。

「遊戯、どうしよう……」
「うん……」
「遊戯?」
「うん……」
「遊戯、海馬くん、どうしよう」
「うへあわ!? え!? 海馬くん!? やっぱり強いよね!」

 杏子は重いため息を吐き出した。あれからなかなか次の連絡はやってこない。遊戯はどこか上の空である。いたずらに不安を蔓延させないためにも、杏子や本田は城之内のことを胸の内に留めておかねばならなかった。実際は落ち着いてなんていられないのに、落ち着いているフリをしなければならない。

「兄サマ!」

 兄の座る椅子の陰でパソコンと向き合っていたスーパー小学生は、素早く海馬にバッジを差し出した。

「……待ちくたびれたぞ」
『つ、次は視聴覚室だ』
「何だと?」

 交信が途切れる。海馬がモクバに視線を送ると、悔しそうな顔で首が振られる。通話時間が短過ぎたらしい。小さく舌打ちして海馬は立ち上がった。

「遊戯」
「え!? 何!?」
「行くぞ」
「え、ボクも!?」
「貴様のお友達とやらのために動いてやっているのだ。当たり前だ。さっさと案内しろ」

 場所覚えてなかったんだね、と遊戯は心の中だけで呟いて海馬に従う。兄弟を連れて少し歩くと、すぐに視聴覚室に辿り着いた。立て掛けてある看板におどろおどろしく書いてある文字は『おばけ屋敷』。

「……どういうことだ」
「入れ、ってこと……?」
「連絡もないし、そうするしかないぜぃ」

 神妙な顔をしながら三人で入る。すぐに情けない声を上げてしまう遊戯や、強がってみせているモクバはともかく、海馬はさぞ驚かせ甲斐の無い客だったことだろう。

「……結構すごかったぜ……」
「どこがだ」
「そ、そうだぜ! あんなの全然大したことなかったよな! 兄サマ!」
「ああ。あれで金を取っているのか。楽な商売だな」

 出たところでまた突然交信が入ってくる。次の目的地は科学部の実験展示らしい。そんな調子で、お好み焼きや焼きソバ、ステージの演劇やその他諸々、遊戯たちは文化祭をハイスピードで制覇していった。

「完璧に遊ばれてるよね……」
「くっ……! おのれ……!」
「ちっくしょう、全然割り出せやしないままだぜ」

 学生も、そうでない人も行き交って、往来はとてもにぎやかだ。その喧騒が際立たせる沈黙をまといながら歩いていく。遊戯は海馬の一歩前を。モクバは海馬の一歩後ろを。
 顔を見るだけで死にそうになったり、名前を呼ばれるだけで落ち着かなかったり、隣を歩いているだけで足が軽くなったり。この気持ちを何と呼ぶかなんて、本当は知っていたのだ。

「ねえ、海馬くん」

 幻でも錯覚でもない。

「ボクは……こんな大変なことがなくても、海馬くんと色んなものを見たり、遊んだりしたいって思ってたよ」
「戯言を……」
「本当に。こうやって一緒に歩いて、一緒に話して、一緒に――」
「……顔も見たくないくせにか」
「へ?」

 ざわめきに紛れた海馬のささやきは、聞き取れたような聞き逃したような、ひどく曖昧だ。もう一度聞き返そうとした時、聞き取りにくい雑音が邪魔をした。

『最後だ。屋上へ来い』

「おー、よく来たなー大親友!」
「城之内くん……!?」

 どこからどう見てもピンピンしている城之内は、ふわふわのスカートを屋上の風にたなびかせて仁王立ちしている。そしてその脇では顔を真っ青にした中年男性が、ひどく萎縮してこちらに視線を送っていた。

「やはりな……」
「え、え!?どういうこと!?」
「オレでさえも頭に無い校舎内の事情に異様に詳しかった。だとすれば校外の者より校内の者が居ると考える方が自然だ。そして部外者に助力を申し出るような輩が居るとすれば、状況的にも気性から言ってもあの男しか思いつかんわ」
「んだよ、ちったあ驚けよなー! ま、でも最後までオレの言う通りだったってことは確信は無かったんだろ? オレの勝ちだなー!」
「よくもそんな無様な格好で言えたものだ。決闘者として恥ずかしくないのか!」
「服は関係ねーだろ!」

 海馬の不機嫌な視線は、愉快げな城之内から逸れて人の良さそうな中年男性へと向けられた。ノリのきいたスーツがわずかばかり乱れている。海馬の視線にヒッ、と小さい悲鳴を上げた。

「貴様……!」
「あー、オイオイ待てよ。コイツはモクバに言われたことチュージツに実行してただけなんだからよ」
「……何だと?」
「兄サマごめんなさいっ!」

 海馬が後方を振り返るよりも早く、モクバがその背中に抱きついた。

 事のあらましはこうだ。最近の仕事続きを休みもロクに取らずにこなす兄を心配していたモクバは、先日の杏子たちの訪問で文化祭のことを知った。そこで秘書の一人に、しばらくの間遊戯に隠れていてもらうよう穏便に話を付けさせて、無理やりでも兄を文化祭に送り出したかったのである。だがいつの間にか予定は狂いに狂ってモクバにも動向が掴めなくなっていた。

「ま、この城之内様を海馬の親友だとか失礼な誤解したのが間違いだったってこった!」
「だって、『大親友』って言ってたじゃないですかあ……」
「あー? 言ったっけ? そんなこと」

 海馬コーポレーションの秘書は些か有能過ぎた。言いつけられた以上の成果を挙げようとして、今回は貧乏くじを引いてしまったのだろう。

「本当はこんな騒ぎにするつもりなんかなくって……! ただ兄サマにもゆっくりして欲しかっただけなんだ! でも……勝手なことしちゃって……! 本当にごめんなさい!」
「モクバ」
「兄サマ……!」
「一度離れろ」

 こわごわ背から手を離したモクバに向き直って、海馬はモクバの目をしっかり見据えた。

「オレは無理などはしていない。休む時は自分で休んでいる。お前が心配するようなことは何も無い。余計なことはするな」
「兄サマ……! ごめんなさい!」
「もういい。この話はやめだ。……凡骨、命拾いをしたな」
「んだと!?そりゃこっちのセリフだっての! クッソーこの服着て歩けとか言っときゃよかったぜ!」

 モクバは半ベソで海馬に抱きついている。城之内はこれまた半ベソの秘書をからかって遊んでいる。その事態のあまりののどかさに、遊戯はどっと力が抜けた。その場に座り込む。

「……んお? どうした、遊戯?」
「どうしたじゃないってば……。じゃあ、城之内くんは無事なんだね」
「無事も無事! 逆に海馬のヤローをやり込めてやったってことだぜ!」
「あのね! すっごい心配したんだよ!」
「そうだよなー。悪い悪い! でもほらこーんなに無事だからよ! 怒んなよー!」

 頭を小脇に抱えられて、髪をぐしゃぐしゃと乱される。その『いつも通り』に安堵する反面、やっぱりどこかやりきれない。

「ボクはいいよ? 城之内くんが無事だったってそれだけでさ」
「だろ!」
「……このこと、杏子にも本田くんにも全部ちゃんと話すからね」
「えっ! いや、それは……ちょっと……、うまい感じに説明を……頼むぜ遊戯ぃ……」
「知らないよっ!」

 城之内にのしかかられたままつい、と視線を逸らす。その先に丁度まっすぐな青があって心臓がどきりと跳ねた。海馬と目が合っている、その事実だけで現金な心臓はうるさくなる。他の誰にもそんなことはないのに。

 ああでもちょっとだけ、城之内くんに感謝してもいいかもしれない。

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