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極致 (冨岡義勇)



その時

 あ、と思う時がある。

 刀を振るうことはいつも判断の連続だ。その手が速くなるほど、判断の数も膨大に積み上がっていく。そこには敵も味方も鬼も人もない。義勇が判断する時は相手も判断している。勝敗を分かつのはそこにかかる時間だけだ。相手より時間をかければ後れを取り隙を与え負ける。判断を早くするのは反復だ。結局のところ死ぬほど鍛える他にない。頭で判断を下している内はまだ遅く、ある時から体が次の行動を決めるようになる。身の内に傷とともに刻まれた幾千の経験が対峙する者の指の震えひとつにすら反応して動く。そこに至ると、荒縄で雁字搦めにされたように感じながら振るっていた刀から重みがふっと消える。判断にかけていた一瞬一瞬が全て空になり、時間が引き伸ばされたような不思議な感覚の中を泳いで技を出す。水を得た魚という言葉では過分な感じがするが、息はしやすい、と思う。その瞬間だけは。

 だが時折、その連続が途切れる時がある。ふつりと細い糸が淡い音を立てて切れるのに似ている。判断と判断の間に穴が開き、ただ一音「あ」と思うのだ。驚きも恐れもない、ただ一音。しかしその一音の後は大抵大きな代償を払うことになる。守るべき者が傷を負い、悪ければ命を落とし、鬼の手がこちらに迫り、時には酷い深手を負う。臓腑が捻じ切れそうなほどの後悔と怒りと共に。

「しくじりましたねえ」

 焼いた傷口の赤黒さにため息を吐かれたのはいつだったか。少なくともここ数年の話ではない。温和な姉とはまるで違った刺々しい目だった。間の抜けた一音の先に時折見た姿だが、もう今生見ることはない。

 あ、と思った。「その時」も。

 ふつりと糸が切れた。判断と判断の隙間に一音があり──果敢に無惨と渡り合って見せた若い隊士たちの姿があった。名もよく知っている。どれも皆、炭治郎の文に何度も登場した。最終選抜を切り抜けてたった一年ほどのはずだが、それぞれ頭角を現して鬼を斬り、命を繋いできた者たちだった。

 考えたことがある。錆兎がもし、あの時一人で背負わなければどうなっていただろうか。あの時俺を守っていなければ。何度も何度も考えて──あの剣をそのまま男にしたような友がそんな真似をするはずがない、その結論で思考は止まった。その判断を分かったつもりでいた。

 だが何も分かっていなかったのだと「その時」知った。すっと冷える肺に息を詰めて刀の柄を強く握る。向かえば落ちる。躱せば守れない。その二択、義勇に迷いは無かった。

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