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青花瓷 (パラレル)



※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14076150

 ぎいぎいと古い閂を引き、蔵の重い戸を押し開く。戸が開いた分だけ細く長く光の道が走いた。それを辿るようにそろりと足を踏み入れる。埃っぽい匂いのする静寂の中では、固い革靴の底がじゃりじゃりと床土を鳴らす音まで大きく聞こえた。高いところにある窓から数条、春の陽が差し込み、所狭しと並ぶ宝物の群れをみな淡い橙でぼかしている。ちらちらと目端で輝く埃になんとなく咳き込みたい気分だ。さっさと養母に言いつかった書物を探し出したいが、蔵の中は思ったよりも広く雑然としている。どうやら骨の折れる仕事のようだ。

 一期の養父には「蒐集」という悪癖があった。蒐集家ならば古今東西どこにでも居て、さほど珍しい趣味嗜好ではないだろう。しかし養父は物の来歴や美醜にさほど興味は無く、人が好み羨むものを知略を尽くしひたすらに集めている。それを好んで行っているふうにも見えないので、やはりそれは「癖」のように思えた。

 無名の家から出て陸軍省部の中将まで駆け上がった養父を、悪し様に言いたがる不届き者はそれなりに多い。中でもこの悪癖はよく槍玉に上がるらしく、養母が嘆いているのを漏れ聞く。中には一期のような養子が多いのを見てこれも蒐集か、稚児趣味ではないかと揶揄する者までいるらしいが、女癖の悪さのほうが名高いためにそんな話は一蹴されるらしい。悪評を悪評で蹴散らすというのも情けない話だが。

 一期としては、養父を紛うかたなく慕うべき父とみなしている。実子のない代わりに一期らを愛でているのがよく分かるからだ。養父母は引き取ったみなし児らを時に厳しく時に愛情深く教え育んでいる。もし蒐集癖のついでに一期らもあったとすれば、今頃は誰の目にもかからず大量の宝物と共にこの蔵で寝起きしているに違いなかった。もしそうであったなら、長子として迎え入れられた一期は刺し違えてでも養父を倒し、弟たちを守らねばならない。そうでないことは幸いなことだ。

 兄弟たちの中でいち早く漢籍を読み終えてしまった一期に気づいた養母は、満足げにひとつ頷き、退屈だろうから新しいものを取ってくるように、と一期に言いつけた。和古書と漢籍とが数冊ずつの注文だが、そもそもどの箱や葛篭に書が仕舞われているのかすら見当がつかない。端から端まで改めなければならないだろうか、不安と共にきょろきょろと首を巡らせる。

 ふと、目に付くものがあった。
 蔵の最奥に金色の屏風が立っており、そこに描かれた桜を背負うように太刀掛に立たされた太刀がある。遠目にもそれが大太刀といってよいほどの大きさだと分かった。丸い紋の並ぶ朱塗りの糸巻き鞘が切っ先に向けて優美に反っている。

 何かに呼ばれるような心地で一歩を踏み出すと、二歩、三歩がとんとんと続く。その疾い足音に弾かれるように心の臓も跳ねているのが分かった。屏風の前に立ち、艶やかな朱色と黄金の意匠を見下ろす。触れたい、そう思う頃にはもう手が鞘に触れていた。そんな己の行動に戸惑い、弾かれたように手のひらを離す。これは養父の蒐集した宝物で、一期が易々と触れていいものではない。それが頭では分かっているはずなのに、踵を返すことすらできずに突っ立っている。どくどくと高鳴る鼓動に指先を震わせながら、しゃがみ込みぐっと柄を握り込んだ。刀身を起こし、鞘にも手をかける。手元に鍔を引き寄せてひとつ深呼吸をした。くっと両腕に力を入れると、あっけなく鞘が滑り太刀を露にしていく。刃文が春陽の中で白く輝き、その波間にちらちらと浮かぶものを見つけた。腕を大きく伸ばし鞘から抜き去り、きちりと眼前にその刃を立てる。

「これは……三日月……?」
「どうだ?皆美しいと言うが」

 耳元に低い囁きが生まれた。後方から両肩に手を置かれ手元を覗き込まれている気配がする。先ほどまで鼠一匹の気配すら一切感じなかったはずが、忽然と蔵中全てを占めるようなその気配に体が強張った。咄嗟に床土を蹴り身を捻り、背丈に見合わぬ太刀に苦心しつつも構えを取る。長年の鍛錬の成果か、気づいた時には相手の喉下に切っ先が持ち上がっていた。

「声も上げず、すぐに構えてみせるか。やるな」

 一期を見下ろす男は口元目元に泰然とした笑みを緩やかに結んでいる。殺気も毒気も感じないが、間近に迫る刃先が目に入っていないかのような振舞いは却って得体が知れない。

「何者でしょうか。答えによっては、斬らせて頂く」

 一期の言葉に長い睫毛に縁取られた瞳がきょとりと丸くなる。ふと笑みが消えると静寂が香るような男だ。きり、と柄を握る手のひらに一層力を込めると、息の漏れる音がした。男は一度俯き、何事かと訝る一期の前でがばりと面を上げる。そこにあるのは笑みだ。はっはっは、と体を揺らして男は伸びやかに笑った。大きな身振りの中にも風雅があり、品の欠ける様子がない。一時呆気に取られて見惚れていたがすぐに我に返る。

「何がおかしい」
「俺が人に見えるか。やあ愉快だ。童は好きだぞ」

 はっはっは、男の笑みは絶えない。男が一期を軽んじる言葉を吐いたことは分かっている。それをすぐにでも正し、誰何を続けなければと頭では理解できているのだ。だが男の言葉にある不穏な気配に迷いが生じた。何故一目見て気づかなかったのか、男の装いは時代錯誤も甚だしいものだ。今や皇族でも身に着けないだろう狩衣は、金の刺繍が美しい藍色をしている。袴は白刃のように皺ひとつなく白く、着物にかかる栴檀板は太古の将が身につけるもののように立派な誂えだ。頭飾りの金糸がゆらゆらと揺れる。その姿はこの男にあまりにも馴染みきっており、だからこそあまりにも浮世から離れていた。

「……無礼な。童などではない。元服も済んでいる」
「そうか、それはすまんな。ではその髪を落とさんのは、美しいからか?」

 体中の矜持をなんとか掻き集め突き立てた言葉は、揶揄するような笑みにあっさりと躱されてしまったようだった。男は向けられた刃を手甲で逸らし、もう片方の手を伸べて一期の前髪にごく自然な動作で触れる。そして、ぎくりと動けない一期を覗き込むようにやや身を屈めた。

 宵闇を思わせるような藍の滲む黒髪が、春陽の中でさらりと流れる。その影の落ちる鼻梁は優美な彫り込みで、どこか手の中にある太刀を思わせた。夜半に覗き込む水鏡のような二つ目は玉石のように澄んでおり、間近にあるとちらちらと何かが浮かんでいるがよく見える――これは、先ほどの三日月だろうか。

「そう恐れるな。俺の名ならば、ここにある」

 つ、と男は太刀の峰を指で辿った。そうして柄を握り込む一期の手にその手を重ねる。感触はある。しかし温もりは感じなかった。

「銘は三条。この打ち除けから、三日月宗近と呼ぶ者もいるな」

 くすりと男が――三日月が小さく笑う。その不意に落ちた笑みさえ、意匠の限りを尽くしたように麗しく、花弁の一片が風に揺らされ落ちるかのようだ。一期は最早石像のようにそれを眺めているほかなかった。

「見えて嬉しいぞ、一期」

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