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青花瓷 (パラレル)



 待ってはいないつもりだった。

 出会いの次に必ず別れがあることを知ったのはもう随分昔の話だ。そこに人や刀の別はなく、長く浮世に留まるほどそれを幾度となく目の当たりにする。それを惜しみ嘆くことが全く無かったわけではない。だが時を重ねていけばその痛みはじきに和らぐことを知った。やがては時折持ち出しては眺める宝物のように、美しいものになることをも知った。三日月が古式ゆかしいと誉めそやされるように、時を隔てたものは皆、人々の懐古と憧憬を集め美しさを増すものだ。それを楽しむのも悪くない。時は無限だ。骨喰のように再び見えることも稀にある。

 だが名を呼ばれ、その言霊に両肩を掴まれたかのように振り返る己に、三日月は戸惑う笑みを浮かべるほかなかった。待ってはいないつもりだった。だが、よく晴れた空にかかる虹のような柔らかい声音が、今、悲痛な鋭さで三日月の名をなぞることにひどく安堵していることに気がつく。

「素直なやつだな」

 振り返った先に立ち尽くす男は麗しい顔を思い切りしかめていた。その刀身と同じくまっすぐに張った背筋に、礼を重んじる丁寧な物腰と隙のない機敏な所作を肉付け、しかし一度その懐に入れた者へは驚くほど柔らかい表情と声で笑ってみせる。それがこの一期一振という麗しい太刀だ。それが今は、眉根に深い皺を刻み口元を引き結び、三日月の言葉に目をくしゃりと怒らせている。ひどい面だった。それを見るだけで何やらぐっと、胸の奥が締め付けられた感じがするほどに。

「はっはっは、怒るな。褒めている」

 この刀の、主の影響を受けつつも、実直さを捨てきれず不器用に終わるところを、三日月は特別好いていた。また、それを憂いてもいた。三日月に比べれば、この刀もまだまだ歳若い。あと幾年側に居て見ていてやれないものかと、取り止めもないことを思い描く。愚にもつかぬことだ。三日月も一期も刀に生じた付喪神に過ぎない。一期の主はこの世を去り、一期はこの城へ戻った。三日月の主はこの城を去り、三日月もそれに従う。それだけの話だった。

「縁があればまた見えよう。そうだろう、一期一振」

 蝉の声が木霊する強い陽射しの中を一歩、二歩と進み天道と同じ色で輝く瞳を覗き込んだ。暦は葉月に差しかかろうとしているが、陽射しはまだ夏の色をしている。その光を透かす一期の髪は、まるで蜻蛉の羽のように淡く麗しい。そうだ、という返事を聞きたかった。これがこの美しい刀との最後の別れになるのはなんとも惜しい。しかし一期はすぐに口を開こうとしなかった。渋面のをうつむかせるので、顔色まで見えなくなってしまった。

「私のことは、お忘れください」

 蝉だけが鳴く長いしじまの後で、一期はぽつりと言った。ぱっと上がった顔には白い決意の色がある。

「私も、貴方のことは忘れます」

 何を言われたのか、その斬撃の重みが茎に伝わるまでに随分時間がかかった。かつての主が咆哮と共に柄を取り三日月の刀身を走らせたものが、なるかみの疾るように三日月の中で再び閃いた。

「それがお前の餞別か?」

 結局、前の主は三日月の刀身を一瞥すると、表情を翳らせて別の刀に持ち替えたのだったか。それが三日月を疎うものだったのか惜しむものだったのかは今や分かりようもないが、その時に主が感じた「激情」ならたった今、三日月の胸にもよぎっているらしい。はっと一期が息を飲み、口を開いた。名を呼ばれることは分かっていたので、それを笑みで遮る。

「何も言うな。少し、気に障った」

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