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あまりてなどか



 話はつい先日に遡る。

 歌仙兼定という刀は、名前の由来に強く己を定められているのか、かつての主の影響か、風雅という言葉に強く心惹かれる。名づけの経緯は詳しく話せば風流とも言い難いのだがそれはともかく。雅を愛でる者として、暇さえあれば花鳥風月に遊びたいと考えるのは自然なことだ。

 この本丸では銘三条の刀たちが比較的早くに出揃っていた。近侍として忙しく立ち働く日々において、平安の世の古雅を宿す三条の刀たちは歌仙の目と耳を大いに楽しませた。その大らかすぎる気性から度々歌仙を悩ませもしたが、頼もしい働きぶりで進軍を輔けてくれたことがそれを相殺した。とりわけ、せがめばせがむだけこれまでの来歴を語って聞かせてくれる三日月を歌仙は兄のように慕ったし、三日月も歌仙を孫のように可愛がっていた――いや、多少の齟齬には目をつむろう。ちなみに最近の歌仙の野望は小烏丸との接近である。

 ともかく、歌仙と三日月はほどよい友誼を重ねてきたのであって、三日月がらしくもなく気落ちしていると知れば、手を差し伸べたいと思うのも自然な流れであった。一人では手に余る場合も考え、同じく親交の深い鶯丸を呼び、三人で八つ時の茶を共にしたわけだ。

「おお、もう水羊羹か。歌仙は相変わらず美味そうなものを選ぶな」
「少し早いけれどね。最近は暑いから」

 どこか掴みどころのない男だが、鶯丸とは茶の趣味が合う。目論見通りの反応に思わず笑みが浮かんだ。しかし、ちらりと三日月の顔を覗えばこちらは目にすら入っていない様子だ。菓子に目の無い三日月には常ならばあり得ない反応である。

「三日月、趣味じゃなかったかい?」

 痺れを切らして声をかければ、はっと瞳を瞬いた。長い睫毛の円の中で三日月がゆらゆらと浮き沈みする。その様すら風雅で、歌仙はいっそ苦笑してしまった。

「すまん。呆けていたか」
「どうしたんだい。ここのところ、その調子だって聞いているよ」
「そうだな。八つ時をすっかり忘れていることもあるだろう?らしくはないな」

 歌仙と鶯丸の言葉に、常に率直な三日月にしては珍しく笑顔が少し曇った。何かを口にしようとして、言い淀むのもらしくない。歌仙が戸惑って視線を横に流せば、似たような目が鶯丸から返ってきた。

「いや、なに。ただ補給が足りんだけさ」
「補給?」

 歌仙と鶯丸の声が重なる。それを面白げに見遣って、三日月の笑みが少しいつもの調子に戻った。何かを探すように青々とした庭先へと目を泳がせている。

「人の身というものは面白いものだ。ひとつ知れば、ふたつ。ふたつ知ればみっつと、欲深くなる」

 ほう、と物憂げにため息を吐く様には、得も言われぬ艶があった。常ならば揺るぎのない立ち居振る舞いに頼もしさを感じているのだが、刃紋の揺れる珍しい横顔を不躾に眺めてしまう。

「俺はな、あれが欲しい。尽きるほど欲しい。離れている時が一時すら惜しい」

 確かめる余裕も無いが、鶯丸も歌仙と同じような顔をしていただろうか。ふっと顔を戻した三日月がまたおかしげに笑みをこぼす。

「いや、じじいの俺がこんなことを考えるとはなあ」
「そんなに水羊羹が好きだったのか。俺のも分けよう」
「やあ、これは嬉しいな。礼を言うぞ」

 さすが歌仙の見立てだなあ、そうだろうそうだろう、いつもの穏やかな八つ時に戻りそうな空気に気づき、呆気に取られていた歌仙は慌てて畳に両手を付いた。

「違う!」
「おお」
「危ない。零れるぞ」
「三日月!」

 水羊羹の載った小皿を両手で持ち上げた三日月ににじり寄る。戸惑っているが、それでも嬉しげな笑みが相変わらず呑気だ。

「諦めてはいけないよ!古来から多くの歌人が詠んだものさ!浅茅生の小野の篠原忍ぶれど、だ!」
「うん?」
「忍べば忍ぶほど募るのが恋、そうなんだろう?それなら、もう全て明らかにしてしまうべきだよ」

 ああ、と歌仙は思わず胸を当てて感嘆を溢した。そこには数々の名句が去来する。人の身を得て、人の営みを倣い、人の詠んだ想いを解するとは、それがこの三日月宗近の中に起こったこととは、なんと風雅な。感極まって言葉を途切れさせた歌仙に続いて、鶯丸がああ、と得心のいったように声を上げた。

「なるほど。つまり、一期との仲を大っぴらにすればいつでも触れ合えるということか。名案じゃないか?三日月」
「えっ」
「ん?」

 思わずがばりと体ごと鶯丸を振り返る。しかし鶯丸は歌仙の戸惑いの由が分からないらしい。小首を傾げるだけだ。

「ううん、だがなあ」
「一期なら、三日月が頼めば一発だろう。あれで、ぞっこんだからな」
「えっ」

 そうだろうかと嬉しげに笑む三日月も、一件落着と言わんばかりに茶を啜る鶯丸も、歌仙の戸惑いなど気にもかけてくれない。大らかな刀ばかり集う席では度々このような事態に陥るものだが、今日ばかりはどこからも助け船が漕ぎ着けてこないことを呪った。

 つまり歌仙こそが、忍ぶ片恋を掬ったつもりで、藪の蛇をつついていた、というわけだった。

栄養補給の手段は…

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