文字数: 21,994

ベーシックストラテジー



The first blow is half the battle. (先んずれば人を制す)

「あの、何をしてるんですか?」

 シャワーを浴び、気分の良いほろ酔いを残したままアルコールを洗い流し、バスルームから出たところで笑顔のキースに出迎えられたバーナビーは、さすがに絶句してしまった。その片手には何故かドライヤーが握られている。うら若い乙女でもない以上、裸を見られたからどうというわけでもないが、ひとまずその背を洗面所から押し出した。手早く服を着てリビングに戻ると、ドライヤーを抱えたままのキースが悪びれた様子もなく床に座り込んでいる。

「まったく、何かと思いましたよ……」
「すまない、そして申し訳ない!」
「いえ、別に謝ってほしいわけじゃないんですが……」

 キースは時々突飛だ、特にアルコールが入ると。しかしバーナビーもキースにとっては時々唐突らしい。うまくいかないものだ。こうして同じ空間で和やかな空気を共有しているのがどうにも不思議な気分である。

 バーナビーとキースは互いに忙しい中隙間を縫う飲み友達、という関係を築きつつあった。きっかけは、飲みに誘われたバーナビーとキースが、その誘いの張本人であるはずの虎徹に約束をすっぽかされるというアクシデントによるものだ。だが、それにしては案外うまくやれていることに驚いている。周囲はその事実をバーナビー以上に意外に思っているようだ。キースはどうなのだろう。

 今日は店から出た帰り道でチェスの話になり、互いにそれなりの自信があることを知ったので、バーナビーの家で力試しをしようという話になったのだった。キースと共に出かける時は、大抵いつも彼のパトロール後になる。時間も遅かったため泊まるように勧めて、先にシャワーも譲った。バーナビーもそれに続き、バスルームを出てみれば冒頭の状況だったわけである。マーベリックと虎徹ぐらいしか比較対象は無いけれど、これって驚いてもおかしくないことだよな。正直チェスどころではないバーナビーである。

「君がシャワーを浴びている間に私なりに考えてみたんだ」
「……何をですか?」
「いかに自然に君の髪に触るかについてね」

 どこか嬉しげなキースは自信満々にバッテリー式のドライヤーを掲げてみせた。酔っているせいもあるが、いい年をした成人男性だというのにまるで子供だ。何故突然そんな考えに至ったのだろう、キースはバーナビーの髪を触りたいと思い立ち、髪を乾かそうと提案するために洗面台のドライヤーを片手に待ち構えていたらしい。呆れるところなのだろうがつい笑ってしまった。座り込んだキースに歩み寄って、湿った頭を少し傾ける。ぽた、水滴が毛先からキースの頬に落ちた。

「触りたいですか?」
「いいかい!?」
「お断りします」
「えっ!?」

 手に持っていたタオルで、まるで世界が終わるかのような顔をしているキースの顔を拭って笑う。虎徹もそうだが、キースには裏も表も無い。ただ思うままをまっすぐに表現しているから、なんだか好ましいのだと思う。スカイハイと言えば世に広く知られるヒーローオブヒーローで、こんな一面もあるのかと知った時は少し戸惑いもした。感心や尊敬をすることも多いが、最近はどうも呆れることが多い。でもそれに不思議と悪い気はしないのだ。

「これでも毎朝苦労してセットしているんです。寝る前のブロウが大事なんですよ」
「な……なるほど……そして、残念だ……」
「貴方は?」
「えっ?」

 タオルで髪の毛の水分を丁寧に吸収する。いつもはバスルームで済ませてしまうのだが思わぬイレギュラーに慌ててしまった。バーナビーの言葉をうまく飲み込めなかったらしいキースに手を伸ばす。前髪の毛先に触れた。

「貴方も濡れてますけど。乾かしましょうか?」

 ぱちぱち、二度瞬きをしたキースはドライヤーをバーナビーから遠ざけるような仕草をしてみせる。首が横に振られた。

「わ、私は結構だ……」
「自分がしないようなことを人に強要するんですか」
「いや、そういうつもりじゃ……私は短いから……」
「そのままだと風邪を引きますよ」

 折しも季節は冬だ。客人を座らせる椅子も無い部屋で、窓が大きく取られているため、空調も効き辛い。濡れた髪を放っておくには少し肌寒いだろう。キースの肩に手をかけドライヤーを強引に取り返した。構えると、弱りきった態でもう一度首が振られる。

「スカイハイさん?」

 ひとまずドライヤーを引っ込めて、眉尻の下がった顔を覗き込んだ。高い鼻梁の根元にある目元ははっきりとした輪郭の二重で、空のような澄んだ青がバーナビーの顔を映し込んでいる。しばらく見つめていると、笑みを刻むためにあるかのような口元が柔らかな弧を描いた。

「君の目、綺麗なグリーンだね」

 今度はバーナビーがキースの瞳の中でぱちくりと瞬く番だ。やっぱりこの人は突飛だが、同じようなことを考えていた自分も否定できず妙に照れる。表情を隠すように眼鏡を押し上げた。

「……あの、ごまかそうとしてますか?」
「ええ!?違うよ、すまない、つい……」

 じゃあ、一体何なんだ。無言で迫ると、苦い表情のバリエーションをいくつか披露した後、観念してキースは口を開いた。

「私は……ドライヤーが苦手でね。熱いし音も大きいし一度髪の毛を巻き込んでしまったこともあるんだ」
「一体どんな使い方をすればそうなるんですか……」
「だが安心してほしい!誰かにかけるのは自信があるんだ!ジョンで慣れているからね!いつも気持ち良さそうな顔をしているよ!」
「僕は犬じゃありませんよ」

 ふう、ひとつ息を吐いてキースの背後に立つ。正面よりこちらの方がかけやすいだろうと思い立ったのだ。不穏な気配を感じたらしいキースが警戒するように体を硬直させる。その様につい、喉を鳴らして笑みが零れてしまった。

「バーナビー君?」
「じゃあ、乾かしますよ」
「いや、だから……!」
「いい考えでしょう、これで貴方の髪が自然に触れます」

 ドライヤーをかける前に、無造作に乱れたままの髪を指先で撫でつける。キースが不意に腕を組んだ。きっと真下には難しい表情があるのだろう。

「私の考えだったのに……卑怯だ」
「困ったな、あのスカイハイに睨まれるなんて。ここは取引と行きましょう。僕が貴方の髪を乾かしたら、今度は交替でどうです?」
「えっ……!」
「そうだな、チェスの先攻も譲りましょう」

 期待という光をふたつの小さな青空にちらつかせて振り返ってくるキースに追撃を加える。口元が既に笑みの形を取ろうとしていたが、キースは飽くまで不服げに顔を正面に戻した。

「君が本物の卑怯者なら、スカイハイはそんな駆け引きには乗らないぞ」
「知ってます。交渉成立ですね」

 思えばバーナビーにも誰かにドライヤーをかけてやったことなど無かった。くれぐれも熱すぎずうるさすぎず髪の毛を巻き込まないよう気をつけねばなるまい。

(2012-02-10)

-+=