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オーバー・アンド・ドーン



「僕は?」
「バーナビー・ブルックスJr.、今シュテルンビルトで最も注目されているスーパールーキー!」
「目の色は」
「グリーン。森の中の湖みたいな、美しい色さ」
「眉は、鼻は、唇は?」

 眉は整っていて凛々しい一本線、鼻は筋が通っていて小ぶりで、薄くて血色の良い唇で──人によっては赤面で逃げ出してしまいたくなるだろう言葉を躊躇なく彼は連ねる。さすがのバーナビーもむず痒さに笑ってしまいそうになりつつも、それを凌ぐ心地よい旋律のような感情に浮かされるようにして、伸びてきた彼の手を取った。その手を自分の頬に触れさせる。彼は困ったように、しかしどこか愉快げに笑った。

「ハンサムを説明するというのは言葉が尽きなくて実に困る。実に」
「では、そのまま僕を見ていて。せめてちゃんと焼き付けてくださいよ」

 顔を思い切り近づけると、これじゃあ見えないと言われて笑い合う。僕は、彼の世界の中にいる。その幸福を確かめるためにバーナビーは彼と唇を合わせた。

「もー、スカイハイ!」

 トレーニングセンターに入るなり、ブルーローズの声を耳が拾った。自然、視覚も聴覚を追従することになる。隣に並ぶワイルドタイガーも興味深そうに身を乗り出しているようだ。

「この前アンタ、私のこと無視したでしょ!」
「えっ」
「ナンパ失敗とか友達にからかわれたんだからね……!」
「えっ?」

 両手を挙げて首を傾げているスカイハイにブルーローズが詰め寄っていた。相手がワイルドタイガーならともかく、スカイハイが正面切ってブルーローズに叱責さられているという状態は珍しい。ナンパ……と細かいところでつまずきかけているスカイハイに、ブルーローズはそれはいいからと無理矢理な方向転換を強要している。うっかり言うつもりの無かったことまで漏らしてしまったのだろう。

「すまない……そしてすまない……きっと散歩に集中していたんだろう。いつ頃の話だろうか」
「夕方!学校帰り!」
「学校はどこだったかな」

 ブルーローズが学校名を告げると、スカイハイはすぐにピンと来たようだった。ブレザーで、赤いタイとスカートで……と制服の特徴を挙げ連ねている。ブルーローズは面食らった顔だ。

「……よく知ってるじゃん」
「制服は一番分かりやすいその人の身分証だろう?だからできるだけ覚えるようにしているんだ」
「えっ、制服のある学校全部!?」
「学校だけじゃない。施設や店のスタッフの制服はできるだけ覚えるようにしているよ」

 ブルーローズの隣で話を聞いていたドラゴンキッドが好奇心を隠さずに会話へ飛び込み、あの学校はあの施設はあの店はと矢継ぎ早に質問を繰り出している。スカイハイもまたそれに律儀に答えているものだから、関心と呆れは相半ばだ。「できるだけ」なんかではなくて、本当は完璧に覚えているくせに。

 気配を消して近づく。ブルーローズとドラゴンキッドが先にこちらに気がついたようなので、声を出される前にスカイハイの肩に手をかけた。不意をつかれた呆け顔が振り返り、その目がバーナビーを収めて丸くなった。そして最後には柔らかい笑みになる。バーナビーは、自分が一言も発していない内の、その変化を見るのが好きだ。

「やあ、バーナビー君!ワオ、どうしたんだい?とても素敵だ、とても!やはりハンサムは何を着ても様になるものだ」
「どうも。これからトークショーの仕事で。時間が押していてここで着替えて行くことになってしまったんです」
「そうか!生放送かい?だったらぜひともチェックさせてもらうよ!」
「やめてくださいよ。ああいうのは、ファン向けです」

 バーナビーの言葉に鬼の首を取ったかのような笑顔になり、ブルーローズがタブレットを取り出したので苦笑する。喉元まで出かかった「虎徹さんが出る番組を逃さずにすみましたね」を笑顔で飲み込む。しかしそれだけでブルーローズには言いたいことが伝わってしまったようだ。逃げるように彼の肩から手を離す。

「それでは」
「ああ、頑張ってきてくれたまえ!」

 サムズアップを突き出してくるスカイハイ、手を振るパオリン、しかめ面のブルーローズに目礼を残してワイルドタイガーの隣に戻る。

「あいつ俺にはコメント無しかよ……。今日のは結構、自分でもキマってると思うんだけどなぁ……」
「お似合いですよ」
「ハイハイ、あんがとさん」

 ふざけてポーズを決めてみせるワイルドタイガーに苦笑しつつトレーニングセンターを出る。振り返ったドアはもう閉まっていて人の気配さえ感じさせない。

「虎徹さん……」
「ん?」
「僕って、性格が悪いのかもしれません」

 隣を歩くワイルドタイガーは、目を瞬くためにわざわざ足を止めた。相変わらずオーバーアクションな人だ。

「……今頃気づいたの?」
「貴方に比べたら誰だって性格が悪く見えるかもしれませんけど、そういうことではありませんよ」
「へ?あー……うーん、そう?」

 何故だか呆れた表情をしているワイルドタイガーをバーナビーは不思議に思いつつ、歩みを進める。慌てた足音が後から続いた。肩の感触が残っている手を、弱く握り込んだ。きっと悪いことなのだろうとは自覚している。いたずらで壊してしまった宝物を、必死で体の後ろで隠している気分だ。

 僕は彼の世界のたった一人の旅人でいようとしている。

 バーナビーもプライベートで、彼に無視されたことがある。しかも、声をかけて気づかれなかったという程度の話ではなかった。突然、彼の飼っている愛犬がバーナビーに飛びかかってきたのだ。一度、虎徹たちに引きずられ彼の家を訪れたことがあり、飼い主よりもよっぽど義理堅い犬はそれを覚えていたのかもしれなかった。皮肉と苦笑を半々に苦情を訴えようとしたバーナビーに、彼は全く驚いていなかった。

「ジョン!こら!知らない人に飛びかかってはいけないよ、悪い子だ!すまない、大丈夫だったかい?」

 そもそも彼は、知人に街中で偶然出くわしたと少しも気づいていなかったのだ。手を差し出され、不可解に顔をしかめたままそれを掴む。立ち上がると、彼は安堵したように息を吐いた。

「本当にすまなかった!そして申し訳ない!」

 だが君が無事で何よりだった、爽やかに笑い、彼はジョンに引っ張られるままにバーナビーとすれ違っていく。

「あ、ス……」

 咄嗟に名前を呼ぼうとして、それが今の彼にふさわしくない呼称であることに気づき息を飲む。

「あの、ちょっと!」

 脳内のデータが代替を見つけだしてくる間にも彼はどんどんバーナビーから離れていた。声に一度振り返った様子だったのに足も止めない。

「ちょっと、キース・グッドマンさん!」

 本名を呼ばれ、彼はやっと足を止めた。リードに足止めされたジョンが不満げに彼の足下に寄り添っている。バーナビーが小走りで追いつくと、ゆっくりと彼は振り返った。

「……ひょっとして、バーナビー君かい?」

 その声に確信の色が未だに薄く、冗談めかす様子も無いことに呆れる。しかし同時に妙な感覚もあった。目の前にいるのにガラスの壁を隔てているようだ。

「そんなに僕の変装、上出来でした?」
「いや、すまない、気づかなかった。いつもと雰囲気が違っていたから」

 確かにいつもの格好ではない。普段に比べれば随分地味に映るだろう。より情報や事件が集まるようにと、普段は目立ちやすい行動と服装を心がけている。だが最近、バーナビーにしつこく接触を迫る記者がいて、しばらくプライベート時の警戒をマーベリックに厳命されているのだった。

「本当にすまない。よく覚えておくよ」

 そう言えば街中で偶然出会ってからずっと、正面を向き合っているのに目が合わない。最初はその程度の違和感だった。

「僕は?」
「え……?」
「僕は誰ですか?」

 彼の表情にあるのは戸惑いだけではなかった。バーナビーの言いたいことを理解し、きっと不服に思っているのだろう。

「バーナビー君……だろう?」
「目の色は」
「グリーン」
「眉は、鼻は、唇は?」

 彼はまるで口をつぐんでしまった。悔しそうでもあったし、バーナビーに罪悪感を覚えているようでもあったし、そのどちらも抱えて黙り込んでいるのかもしれない。

 犯人の顔は分かっている。でないと、確保できないからね──推論を並べ立てるバーナビーに彼が唯一した弁解だ。彼の世界の人々にはみんな等しく顔が無い。彼はそれに慌てず、騒がず、身につける服装や声、行動や言動で補う努力を怠らない。だがバーナビーはそれがなんだか気に入らなかった。そんなことを考える筋合いなんか無いのに。

「きちんと……見てください。僕を」

 顔を近づけると、無意識にだろう、彼の目が逃げていく。だからバーナビーは逃がさぬよう彼の手を取った。無理矢理何も無い顔に手をふれさせる。

「これが僕の目で、僕の眉。それから鼻、これが唇」

 無言の抵抗にも応じなかった。彼の手を決して離そうとも思わない。子供の駄々のように、ひとつの願いにただ支配された時間を過ごしていた。

 僕は彼の世界に立ち入って、彼に僕を見つけてほしい。

(2012-10-04)

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