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マジック・カーペット・ライド



 世の中のほとんどの人々にとって、一年のうち12月は殊更忙しい。ヒーローもその通例を覆すことはできないし、むしろその定理の足裏で押し潰されて平らになりかけている。愚痴じみた理由を挙げても構わないなら、ヒーローは「レスキュー」と「エンターテインメント」という二種のアタランタシューズ(一言断っておくとスポンサーの登録商標だ)を片足ずつに履いているからだ。第一クォーターシーズンの最終月、ポイントをいつもより余計に運んできてくれるサンタクロースたちを余さず確保する。その傍ら、様々なイベントを経てファンたちとスポンサーたちへ最高のニューイヤーを提供しなければならない。後者は楽しいことも多いが、前者は今後のヒーローの活躍で年々減少してほしいところだ。

 ともかく12月は忙しい。復帰後の人気が想像以上のものだったため、今年は殊更忙しく感じる。「格好悪くても衝突しても綺麗に決まらなくても、ヒーローをやってやる」という一点で再結成を果たしたタイガー&バーナビーとしては、嬉しい反面、正直なところ困惑も大きい。愛娘へのプレゼントを選ぶ暇もないと虎徹は日がなぼやいている。バーナビーは彼自身の活躍こそきっと何よりのプレゼントだろうと思っているけれど。

 そう、プライベートの時間はほとんど無いに等しかった。ただし、相手との間に明確な約束も無かった。いや、最初から明確なものなど何一つ無かったかもしれない。ただタイミングが合えば一緒に数時間過ごすくらいで、それをどう表現すればいいのか、バーナビーには言葉が無かった。明文化できる情報と言えば――ヒーローとしては仲間、所属会社としてはライバル、そんなところだ。

 12月のはじめ――確か、7日か8日かそのあたりの晩だったように思う。二週間ぶりにバーナビーは彼の家に居て、一枚の地図を眺めていた。それは横幅が1メートル以上はあろうかという大判で、光で焼けて黄ばんでいる。額の隅には年季の入った埃がこびりついていて、彼はそれを念入りに布で拭き取っていた。彼も12月に入ってからはバーナビーと大差ない慌しさに身を置いているはずなのだが、彼の丁寧な手つきには12月の気配がしない。それを見ていると、バーナビーはほっと体から力が抜けるような気分がする。

「もらったんだ。近所に引っ越す人が居てね」

 近所に住む老婦人が息子夫婦と同居することになり、仲の良かった隣人たちに持って行けない物を譲って行ったのだという。彼は一度断ったのだが、好きでしょうと押し切られてしまったらしい。彼は少し眉尻を下げて微笑む。

「好きなんですか、地図」
「昔はすごく好きだった。地図を見ながら何度も世界旅行をしたよ。もちろん、頭の中で。もちろんね」

 船を使って海路を行くのもいいが、汽車を乗り継いで陸路も悪くない──彼は楽しげに世界地図の上に指を走らせた。そしてその指がシュテルンビルトに戻ったところで、ふとバーナビーの顔を覗き込む。戸惑うバーナビーとは対照的にそこにある顔は愉快げだ。

「君は、世界旅行を一晩で終えてしまう男を知っているかい?私は彼が羨ましくてね」
「……彼は旅行じゃなくて仕事でしょう。のんびり観光なんてしている暇なんて無いはずですよ」

 11月の後半から既に、イベントの度にその存在を思わせぶりにちらつかせられていたせいで、バーナビーにはすぐその謎かけの答えが分かってしまった。キースは満足げな表情で頷いてみせる。

「バーナビー君、このカーペットは実は魔法のカーペットなんだ」
「は?」
「行きたいところまで連れてってくれる。さて、どこへ行こう。そして行こう!」

 しばしば、彼の話は唐突だ。バーナビーの持つ常識の線上を越えるか越えないかのあたりでふわふわ浮き沈みするので、捕まえるのに苦労する時がある。あまり毛の長くないカーペットをちらりと見下ろし、足を一度上げて靴の先でその感触を確かめてみた。当然、何の変哲もないただのカーペットであることは分かっているし、これは彼の好きな「もしも」話だと分かっているけれど、ついやってしまう。苦笑した。

「じゃあ……僕の家までお願いしましょうか。この時間は混みますから」

 彼の冗談は冗談であって冗談でない。こう表現すると矛盾しているように思えるかもしれないが、彼はいつでもバーナビーに誠実なのだ。そのため、誠実に不誠実を返した回答は彼をがっかりさせたようだった。隠すことなく落胆のため息を吐き出す彼に苦笑する。

「ああ、やっぱり私はサンタクロースが羨ましい!そして羨ましい!」
「世界旅行ができるから彼が羨ましいだなんて思うのは、きっと貴方ぐらいのものですよ。貴方こそどこか行きたい場所があるんですか?」

 翌日も早朝から仕事が入っていて、あまり長居はできなかった。マフラーを手に取ると彼は何も言わない内からコートを取ってきてくれる。彼の愛犬はコートの裾が気になるようで、彼の後にソワソワと続いていた。その姿がおかしくて少し笑う。

「以前はどこから始めても楽しいだろうと思っていたが、今は……」
「今は?」

 シー……、コートを手渡すためにバーナビーに近づいた彼は自分の口元に指を当てた。冗談の混じったオーバーな失望はもうそこには無く、心底愉快げな笑みがスカイブルーの瞳に戻ってきている。

「内緒だ。そしてシークレットだ」

 バーナビーはその目の中の空が晴れ渡っているのを確かめるのが好きだ。だが、じっとそれを覗き込んでいるのもおかしい気がして、ごまかすような笑みでコートを受け取った。今思えば、もしかしたら彼は二週間後のバーナビーのことを既に考えていたのかもしれないし、それはただのバーナビーの願望かもしれない。

 こうして、この名前の無い時間は多忙の嵐の中に飲み込まれ、少なくともニューイヤーのにぎわいが静まるまでは再びやって来る見通しすら立っていなかった。

 部屋に戻った頃には、とうに日付は変わっていた。出動にイベントにと一日中立ち働いていたためため息がいつもより重い。ゆっくりとリクライニングチェアに腰掛けた。シャワーを浴びるか、どうするか。考えながらパソコンのディスプレイを立ち上げようとして指が止まる。毎年の恒例は一昨年から終わってしまったのだった。彼女からのメッセージは来ていない。

 写真立てに手を伸ばした。以前よりはずっと、優しい気持ちを多く抱えて二人の顔を眺めていると思う。メリークリスマス、呟いて写真にキスを贈る。時間ができればまた墓参りをしよう。リクライニングチェアに背を預ける。

 もう日付は変わってしまったのに窓の外はまだまだ光で溢れている。時計を確認すると、家に戻ってから5分20秒しか経っていなかった。疲労と眠気で指先や足先にかけてずしりとした重みを感じているのに、神経に休まる気配が無い。全てを失う日が今年も訪れて、もう24回目を数えている。街明かりから顔を背けた。

 世界の人々はこの日をどう過ごしているだろう。笑みと光とに溢れた幸せな夜を過ごせているだろうか。以前は辛かったその想像も、今ではこの薄暗い部屋の唯一の希望だ。虎徹さん、楓ちゃんに電話したかな。あの人は──今日も、夜空の中でサンタクロースを羨んでいるのだろうか?

 コンコン、

 ほんの小さな音だったので、最初は気のせいだと思っていた。しかし、それが外部の音を遮断した空間に連続して響いたため身を起こす。不審に思いながら窓を振り返った。音の発生源はどうやらそこだ。

「スカイハイさん……!」

 様々な色の街の灯が銀色のマスクを鈍く光らせ、白いスーツの裾が風でひらひらと翻っている。バーナビーが椅子から立ち上がると、スカイハイは胸に手を当て優雅に一礼をした。

 何度か窓越しにパトロール中のスカイハイの姿を見かけることはあった。スカイハイもバーナビーに気づいて手を挙げてあいさつをしてくれることさえあった。けれどバーナビーの部屋までこんなに近づき、更に窓を叩くなんてことは一度も無かったことだ。呆然と立ち尽くすバーナビーに呆れるようにスカイハイは小首を傾げ、手招きをした。そしてすぐさま体勢を変え、まるで落下するように急降下していく。

「下に……降りて来いってことか……」

 椅子に引っかけていたジャケットに袖を通し、脱ぎ捨てていたブーツに足を突っ込む。部屋を飛び出そうとして、一瞬だけ鏡を確認して髪型のチェックをした。そこに映る顔は焦りと戸惑いの色が強いのに、そんなことを気にしている自分を奇妙に感じる。一瞬前まではきっと、世界の全ての不幸を背負ったような顔をしていたんだろうな。

 エレベーターののったりとしたスピードをもどかしく思いながらエントランスを抜けると、途端に冷気が押し寄せてくる。吐いた白い息の向こうに果たしてスカイハイは居た。地上から数メートル重力を切り離し、静かにバーナビーを見下ろしている。

「スカイハイさん?一体どうしたんです、突然」

 スカイハイは何も答えず、やれやれとでも言いたげに首を横に振るだけだ。意味が分からず眉値を寄せると、紫のグローブに包まれた指でトントンと自分の鼻のあたりを叩いている。バーナビーもつられるように自分の鼻先に触れた。冷たい。ひょっとして赤くなっている、と言いたいのかもしれない。

「あの、何故喋らないんですか。スピーカー、故障してるんですか?」

 朝のコンビニ強盗事件でも、昼の立てこもり事件でも、夕方のツリー爆破予告事件でもそんな素振りはまるで無かったが。それにしても今日は本当に忙しかった。

 スカイハイはやはりバーナビーの質問に答えず、手に持った白い布袋から黒いダウンジャケットを取り出した。正直なところ趣味では無かったが、降りてきたスカイハイにされるがまま着込む。趣味じゃないけど暖かいな。

 袋からは紫色のマフラーと手袋も出てきて、これはポセイドンラインの社章が入っていた。仕上げは赤い三角形に白いボンボンの付いたこの季節に馴染みの帽子だ。さすがに拒否しようとしたが、スカイハイが先に自分の頭に被って(きちんと角の部分に穴が開いていた)から勧めてきたので、断りづらくなってしまった。

「なんとなく分かってしまう気もしますが……貴方一体、」

 言葉を続けることができなかったのは、スカイハイが口元のあたりに一本指を立てたせいではない。手に持っていた袋をバーナビーに押しつけたからでもない。その後でバーナビーの両脇をがっしりと掴み空中に舞い上がったからだった。なるほどこのための防寒だったのか、などと感心している場合でもない。

「一体何がしたいんですか!」

 その一言を発する間にも、地面は遙か下方に離れてしまっている。入り乱れるハイウェイやブリッジに絶え間なく光の川が走り、その両岸には色も大きさも様々な人工の星が瞬いている。地上よりも空の方が風の流れは速く、強く、冷たく感じられた。耳元で唸る風音の隙間から相手の答えを探そうとするが、やはりスカイハイは何も言ってはいない。

 しばらく不本意な空中飛行が続いた後、飛行速度が少し緩くなる。眼前にはドラゴンのモニュメントが印象的なオデュッセウスコミュニケーションの本社ビル。ちらりと目を上げると、スカイハイは悪びれもせずに頷く。はあ、ひとつため息が漏れた。降下する場所は恐らくその隣に立つ高層マンションだ。パオリンはここに世話役の女性とともに暮らしている、と以前聞いたことがある。

 スカイハイが迷いなく最上階のテラスに降りた途端、奥の扉が開いた。スポンサーとのパーティー会場などでも度々見かける、パオリンの世話役の女性が嬉しげな表情で手招きをしている。

「話は聞いてるわ。今回だけ特別よ?」

 あの子、サンタクロースはうちの国には居ないだなんて言うんだもの、愉快げに笑いながら女性はスカイハイとバーナビーを先導している。一体どのような話が通っているのか検討もつかない。スカイハイの銀色の横顔を見つけても、やはり答えは返ってこなかった。

「小さいけど、ツリーはここに置いてるの。随分気に入っちゃったみたいで」

 女性がそっと扉を開ける。薄暗い部屋からすうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。スカイハイに手招きをされたのでバーナビーが袋を差し出すと、彼はその中から一つの包みを取り出した。赤い包装紙に黄金色のリボン、疑う余地もなくクリスマスのプレゼントだ。足音を忍ばせ、暗闇の中ちかちかと光る小さなツリーの下にそれを置く。普段は元気いっぱいのパオリンもさすがにこのところの激務に疲れが溜まっているのだろう。起きる気配すらなかった。そっと部屋を出て、テラスに戻り女性に別れを告げる。

「でも、バーナビーが来るとは思わなかったわ。不思議な組み合わせなのね」

 バーナビーもまさかスカイハイとサンタクローズの真似事をするなんて、ついさっきまで思いつきもしなかった。スカイハイは相変わらず黙ったまま、優雅に礼をしてバーナビーの両脇を掴み上げる。また耳元で風がごうと唸った。

「プレゼント!何にしたんですか!」

 いつもなら嬉々として語りだしそうなものなのに、やはり風の他にバーナビーに答える者はいない。最早諦めて黙って運ばれることにする。これなら、一人でも二人でも変わらないだろうに。

「なんで僕を……」

 呟きはヒーロースーツも拾わない小さなものだった。ぐんと体に重力がかかる。次の目標はフェニックスのあしらわれた高層ビル──ヘリオスエナジーの本社らしい。ネイサンはゴールドステージに居を構えているはずだが……と思っているうちに、ぶつかるのではと思うくらい地面が近づいてきた。思わず息を呑むが、風がクッションのように吹き上げてきて、軽い足取りで地上に降り立つことができた。

「あら、スカイハイじゃない。それから……ハンサム?ヤダ、面白いカッコウねぇ」

 喉元まで『好きで着ているわけではありません』が出かかっていたが、なんとか呑み込むことに成功した。押しつけるようにスカイハイに袋の口を突き出す。

「こんな時間まで……仕事ですか」
「そうよ。これでもオーナーだから、一応?今日の犯人たちみたいにヒマじゃないの、アタシ」

 ただでさえ忙しい月末にクリスマスとニューイヤーのボーナスが加算されるネイサンの多忙さは察して余りある。今やっと仕事を終え、家に戻ろうとしていたところだったのだろう。スカイハイがそれを知っていたのは、恐らく最近のネイサンがこの生活サイクルを繰り返しているからだ。

 袋から一本の赤いバラとプレゼントを取り出したスカイハイは、ネイサンの足下でひざまずいた。まずは赤いバラを手渡すと、続いてプレゼントを差し出す。

「……スカイハイにしてはシャレてるじゃなぁい?チューしてあげるわ!チュー!よ!」

 慌てて立ち上がったスカイハイをがっしりと掴んで逃さないネイサンには容赦がない。マスクで顔が隠れているが、弱りきった笑みが見えるようだ。さっさと安全圏に逃れて苦笑する。

「明日もイベントあるんでしょ。あんまり夜遊びしないのよ、ボウヤたち」

 機嫌良く投げキスなどしながらネイサンが車に乗り込んでいく。それを見送り、またもバーナビーの体は重力から切り離された。次に近づいてきたのはサウスシルバーにある住宅街だ。アジア系の移民が多く住んでおり、いくつかエスニックな雰囲気の建造物も目に付く。

「次は……折紙先輩、ですか?」

 よくできました、と言わんばかりにスカイハイは大きく頷く。しかし、彼の愛する文化には元々クリスマスツリーもサンタクロースも存在しておらず、彼の故郷ではクリスマスはほぼ二週間後の話だ。と、懸念を口にするとスカイハイは硬直してしまった。顔も言葉も見えないのに、表情や感情が鮮明に思い描けるのがそろそろ楽しくなってきた。

「いえ……まあ先輩もシュテルンビルトではシュテルンビルト市民のように振る舞えと思っているはずですよ。それに、聞いたことがあります。ジャパンではツリーの代わりに枕元にプレゼントを置くそうです」

 ほっとため息が聞こえたような気がして思わず笑う。スカイハイは滑らかに低層のマンションの一階の庭に降下した。一風変わった庭先から、バーナビーには無防備にしか見えない戸口へ向けて歩き出す。と、突然足下に立て続けに何かが突き刺さってきた。よくよく見ればイワンが愛用している「手裏剣」だ。

「何奴!」

 どうやら日本語だが、残念ながら「ござる」同様意味が分からない。恐らく「誰だ」と問われたのだろう。スカイハイと顔を見合わせる。呆れたことに、相変わらずこの時間外ヒーローは黙秘を貫くつもりらしい。

「あー……ええっと、サンタクロースです」

 何故僕がプライベートでこんな恥ずかしい口上を。一瞬強くそう思ったが、それ以上考えないことにした。しばしの沈黙の後、木でできた戸口がザッと音を立ててスライドした。

 戸口から入るとすぐに寝室になっており、畳の上に直接布団が敷かれ、イワンが横になっている。目を瞑ってはいるが、まぶたがわずかに震えているように見えた。精一杯の気遣いなのだろう。何故だか申し訳なさが込み上げてくる。スカイハイも似たようなことを考えているのか、慌てた様子で枕元にプレゼントを置いた。

「あ……ちょっと待ってください」

 部屋を出ようとするスカイハイを呼び止める。ジャケットの内ポケットを探り、先日買ったまま取り出していなかった眼鏡拭きを取り出す。

「気に入ってるんです。これで手裏剣を拭いてもらいましょう」

 少なくとも、眼鏡の汚れはよく落ちるので気に入っている。スカイハイが深い頷きを返した。手裏剣にも通用するのかという疑問は残るものの、スカイハイのプレゼントのリボンに挟み込む。何故だかイワンが小さく震えているように見えたが、気づかないふりをした。戸が開いているので寒いのかもしれない。

「行きましょう」

 再び空に舞い上がるが、今度は比較的低い高度を進んでいる。次の目的地がほど近い場所にあるからだろうが、それだけでなくイワンの安眠を妨害してしまったことに責任を感じているせいかもしれない。確かにあれではサンタクロースの押し売りだ。

 イーストシルバーのとある一軒家の上空にスカイハイは降下した。ゆっくりと旋回するが、ほぼ全ての窓にはカーテンがかかってしまっている。一階にひとつだけカーテンのかかっていない窓を見つけて、その真正面に降り立つ。その先では壮年の男性が、オレンジ色の光の中で読書をしている様が窺えた。

 コンコン、

 スカイハイがあまりにためらいなく窓を叩くのでさすがに驚く。きっとバーナビーの部屋の窓を叩く時もこんな様子だったに違いない。男性は不審げに顔をあげ、目を丸めた。だが慌てる様子もなく、ひとつため息を吐き出したようだった。ゆっくりと窓際に近づき、バタリと窓を開ける。

「こんな夜中に何の用事かね。カリーナならもう休んでいる」

 スカイハイは無礼を詫びるようにひとつ礼をして、バーナビーの持つ袋からプレゼントを取り出した。仲間とはいえ若い女性相手に先程のような暴挙には出られない、そう判断したのだろう。

「……受け取っておこう。ツリーの下でいいね?」

 あまり大きな表情の変化は無かったが、口元が少しだけほころんだように見える。バーナビーの顔にも知らず内に笑みが浮かんでいた。お願いします、初めは乗り気どころか何をするのかも分かっていなかったのに口が勝手に動く。

「ただ……君たちにひとつ忠告しておこう。ライバルに塩を送るような真似は程々にしなさい」

 次のクイーンはブルーローズだからね、無愛想な音を立ててパタリと窓が閉まり、男性はドアの向こうへ消えていった。恐らく、約束通りにツリーの下へプレゼントを置きに行ってくれたのだろう。目を瞬かせ、スカイハイと顔を見合わせる。そうしていると次第に彼の言いたいことが身に染みてきた。ついには喉が震える。黙り通しのスカイハイもついには我慢できなくなったらしく、肩がわずかに揺れていた。冬の澄んだ空気をほんの少しだけ揺らしながらまた空に戻る。普段は着ないジャケットのせいか、完全防備の防寒のせいか、妙に体の内側が暖かい。

「次はブロンズ!そうでしょう?」

 スカイハイが大きく頷く。ルーパーに沿ってシルバーからブロンズへと潜っていく。誰かが眠る頃には誰かが起き出すシュテルンビルトにとって、夜など一年中無いようなものだ。だがブロンズステージは比較的上層より薄暗く、夜の色をしている。向かっているのは恐らくアントニオが住んでいるアパートだが、随分遠回りだ。パトロールも兼ねているに違いない。日付が変わる前に一度済ませているだろうに。バーナビーも目を凝らして眼下の街を見下ろした。

 低層アパートの最上階の窓際に降下する。今度は一体どうするのかと思っていると、驚いたことに窓には鍵がかかっていなかった。

「不用心だな……」

 几帳面に整頓されたリビングにそっと侵入する。今更な感慨かもしれないが、まるで泥棒にでもなった気分だ。見たところツリーの姿は確認できない――男性の一人暮らしだ。そもそも存在を期待する方が間違っているだろう。スカイハイも早々にアントニオの枕元へ照準を合わせたようだった。足音を忍ばせて寝室を探し当て、いびき混じりの寝息の歓迎を受ける。

「……あれ、これ……」

 サンタクロースとして任務を遂行するスカイハイの傍ら、サイドボードの上にカードを見つけた。ブラインドの隙間から入る街灯がほのかにその表面の文字を照らす。

『お疲れさん、サンタさん』

 その側には小さな袋が置いてあり、中にはクリスマスのクッキーが入っていた。普段は荒々しいアントニオのその繊細な仕返しがおかしくて、つい吹き出してしまう。口元のあたりに指を立てるスカイハイにもそれを見せて、布袋の中に放り込んでやる。残るプレゼントは残りひとつだ。

「貴方、折紙先輩とロックバイソンさんにうっかり今日のことを喋ってしまったんですね?」

 やはり返事は無い。それどころか頷きすらない。しかしそれが何よりの返事というものだ。最後のプレゼントを届けるため、見慣れた道を見下ろしながら笑う。もしかしたら本人に話したつもりは無かったのに、素直すぎるいつもの言動で悟らせてしまったのかもしれない。あまりに協力的なイワンの態度も、アントニオの無用心な戸締りと愉快な仕返しもそれで説明がつく。

「ブロンズに住んでるって言うのに、ロックバイソンさんもあの人も不用心なんですよ。ロフトにある窓、一枚鍵が壊れたままなんです」

 家まで送り届けた際、鍵を失くしたという虎徹がロフトの窓から室内に入って行ったのは唖然とした。おまけに、その鍵がいつもと逆のポケットに入っていただけというのだから笑えない。

「あと、信じれないくらい汚いですよ。ですからそこから入りましょう」

 スカイハイの腕から小さな振動が伝わってくる。どうやら笑われているらしい。建設的な提案をしただけなのに笑われるなんて不本意だ。ともかく、二人して侵入に成功する。

 虎徹は寒そうに布団に包まっており、幸い物音に感づいた様子は無い。スカイハイがその枕元に最後のプレゼントを置いた。ここまで来ると、バーナビーも何か用意すれば良かったような気分になってくる。ふと、ベッドボードのスマートフォンが目に付いた。

「スカイハイさん」

 カメラを起動して液晶面のカメラに切り替える。スカイハイと寄って立ち、一枚写真を撮った。背後には暢気に眠る虎徹が写っている。我ながらなかなか良い構図だ。この瞬間が何の連続性も無く切り離されてしまうことを惜しく思うくらいに。

「行きましょうか。帰るんでしょう?」

 迂回を繰り返して下層へと降りた往路とは違い、復路はあっと言う間にゴールドステージ上空へと浮かび上がった。あと数分もしない内にバーナビーのマンションに辿り着き、彼はポセイドンライン本社に戻るのだろう。

「……何故、今日は黙っているんですか」

 足下には相変わらず、幸福と不幸を区別しない光が爛漫と輝いている。空の上の空気もまた、沈黙と喧噪を区別せず冷たい。返事はない。何か言ってください、気流に飲み込まれぬように声を張った。

「貴方が本当に貴方だったか、後で疑いたくないんです」

 24日の夜なのに、馬鹿げていて愉快で、まるで夢のようだった。それが本当に夢で片づけられてしまったら、きっとバーナビーは傷つくだろう。

 スカイハイは一向に言葉を発さなかったが、不意に進路を変えた。名も知らぬオフィスビルの上にバーナビーと共に降り立つ。それからおもむろにマスクを外した。そこには間違いなく、名前の無い時間を共有する人の顔がある。風で前髪がわずかに揺れた。

「スカイ、」

 シー……、いつか見たように彼は愉快げに指を立てる。そしてバーナビーにぐっと近づいた。抱き合うような形になって互いの顔が見えない。首筋のあたりで、普段からは想像もできない小さな声が生まれた。

「私は今、サンタクロースだよ。どこに居る誰にでも、奇跡をプレゼントできる人なんだ」

 奇跡はしゃべり過ぎないものだろう、彼の言葉にサンタクロースは喋りますよと返せばまた振動が伝わってきた。バーナビーも笑う。

「どこへでも行けるなら仲間たちの居るところから行きたい。今はそう思っている」

 小さなささやき声が国や土地の名前を作っては首もとのあたりで消える。昔はどこにでも行きたくてどこにも行けなかったのにね。

「特に、今は……君の居るところがいいんだ」

 さあ、カーペットに乗ろう。

 彼はマスクを再び被ってバーナビーを抱えた。行き先は当然、バーナビーが望んだ通り、バーナビーの家までだ。きっと彼は、バーナビーがどんな顔をしているかなんて見ていないだろう。もし見られていたとしたら恥ずかしいから、これもバーナビーの願望だ。

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