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撞着



伝わってほしいけど、伝わらないといいなあ

 炭治郎はどうやら人にものを教えるのが下手だ。それも爆裂に下手だ。昔はまさか自分がこんなに下手くそだなんて思っていなかった。家の仕事は大抵、口でなくて手で見せて勝手に教えたり覚えたりするものだから。

 これに気づいたのは、一番最初に困った時。鍛錬に行き詰った善逸や伊之助を助けてやれなかった時だ。その後しばらくはその実感を忘れていたけれど、最近まざまざと思い出している。たくさん伝えたいことがある。どれだけ凄くて、どれだけ感謝していて、どれだけ慕わしいか。けれどいつもあの人は、微笑ましそうに炭治郎を眺めているだけだ。炭治郎の言葉が本当かどうかなんか気にしていないのが分かる。炭治郎と話すことを楽しんでくれるのは嬉しいけれど、炭治郎の伝えたいことが染み入っているかというと、硝子戸を一枚隔てているみたいにさっぱりなのだ。

 更に困ったことにどうやら炭治郎は絵を描くのが下手だ。爆裂ってほどじゃないと思うのだが、善逸に気持ち悪いと言われた。善逸の絵は気持ち悪いというより怖いというか間違いなく妖怪だったが、妖怪を描けているかどうかで言えば上手かった気がする。妖怪だけど。

 これに気づいたのは、鯉のぼりを知らないという伊之助に絵だけでも教えてやりたいと思った時。これもやっぱり説明が下手ということになるのだろうか。言葉で駄目なんだから、絵が描けたなら良かったのに。あの雪の日が、玉砂利に頬をつけて見上げた横顔が、橋の向こうに見た背が、小さい子供みたいな笑みが、凄まじい技が、必死に伸ばし続けてくれた腕が、始終炭治郎を禰豆子に繋ぎ止めてくれた手が、姿が、炭治郎の胸の中でどれだけ鮮明かを正しく伝えられたのに。

 そこに加えて炭治郎は嘘をつくのが下手だ。これは間違いなく爆裂に下手だ。昔は自分が嘘が上手か下手かなんて分からなかった。家族との暮らしにも、気のいい街の人たちとの商売にも嘘なんて必要のないものだったから。

 これは色んな人に言われる内に気づいた。まず炭治郎が嘘をつくと、誰もがぎょっとした顔や匂いをさせる。どうやら炭治郎は嘘をつくと顔に出てしまうらしいのだ。すぐにばれてしまうなら嘘なんてつく意味はない。どうしても嘘をつかないといけないような任務が鬼殺隊にはあったけれど、人の命を奪う鬼が皆消えた今、その必要も無くなった。正直に、まっとうに生きていれば嘘なんか要らない。そう思っていたし、今もそう信じている。だけどあの人には。

 本当のことを何もかも言ったら、きっと硝子は割れる。鮮明な絵も胸で同じものを描いてくれるかもしれない。でもその先、何があるだろう。誇り高い人は、自分がどう振る舞うべきか知っているものだ。嗅いだわけでもないのに、誰かが困った時にさせる匂いが鼻の中に満ちる。割れた硝子の破片で炭治郎もあの人もそれなりの傷を負って終わるんだろう。

 遠くに浮かぶ山の影に見下ろされ、穏やかに波の打ち寄せる砂浜の絵葉書を見つけた時、それを買ったのはそういうわけだった。松の木が人影のように波打ち際に黒く佇む。本当のことを何もかも言うことはできなくて、でも心に浮かぶ人を大事に想う、あたたかい気持ちだけは知っていてほしくて。うまい説明はない。その人を、その人が立つ姿のまま美しく正しく描くことが炭治郎にはできそうにない。だから美しい絵の力を少しだけ借りる。

 この絵葉書を見ていると義勇さんを思い出しました。
 とても綺麗だったので。

 ちょっとためらい、しばらく考えて宛名を書き入れた。さっさと郵便局員さんに引き渡してしまおう。炭治郎は説明が下手だ。絵も下手だ。でも嘘がつけないから、何もかも秘めてはおけない。気づかれなくてもいい。綺麗だと思う景色にあなたが重なることだけ知っていてほしい、ただそう思う。

(2020-10-16)

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