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世界で一番ねぼすけな家 (炭義禰パラレル)



 うつらうつら、穏やかな眠りの波の上に意識を浮かべている。そろそろ起きなければいけないのは分かっているが、波に遥か沖まで連れ去られ眠りに足を付けることができない。やっぱり俺には「 」が無いとだめだ。まっすぐ立っていられないどころか、毛布から抜け出すこともできない。ぬくぬくと首元を取り巻くぬくもりに打ち勝てず、腕を伸ばすことすらできずに小さく縮こまる。丸めた拳に頬を擦りつけて毛布の中に潜り込もうとした。しかしぺらりと毛布が捲られて冷たい秋の朝の空気が首筋を舐める。一体誰だろう。炭治郎か禰豆子か。放っておいてくれ。俺は毛布から出られない。錆兎なら出たかもしれないが。時間の無駄だ。

 頑なに目を開かず小さくなっている義勇をくすくす笑う音がする。キシ、ベッドが鳴ってわずかな揺れが腹のあたりに伝わった。屈みこんでいるのか瞼の裏が一層暗くなり、長い髪の毛の先が頬や首を打ってくすぐる。

「義勇さん、おはようございます」

 肩にあたたかくて小さな手の感触がして優しくゆすられた。禰豆子のほうらしい。わざわざ起こしに来てくれたのだから起きてやらなければという気持ちと、昨日やっと提出に漕ぎつけてレポートから解放されたのだから、少しくらい寝坊させてほしいという気持ちとをゆらゆら揺蕩う。うん、唸るように返事をすると禰豆子はまたくすくす笑う。

「だめですよお、起きないと」

 肩に手を乗せていた禰豆子は、とうとう体ごと義勇にのしかかってきたようだ。毛布越しにあたたかい重みが伝わる。ぽかぽかと体があたたまって意識が遠のく。禰豆子ぐらいの重みでは全く逆効果である。

「ぎゆーさん、起きてくーださい」

 弟や妹をあやしている時の歌うような口調だ。禰豆子はまたくすくす笑っている。そのあたたかい吐息が首筋にかかって身じろぐ。あ、と嬉しげに禰豆子が声を上げた。

「起きないとこうです」

 首筋にあたたかくて柔らかいものが確かに触れてくすぐったさに息を詰め、さすがに目を開けてしまった。焦点を合わせるのに苦労するくらいのところに、心底楽しげに秋桜色を輝かせるいたずらっ子の笑みがある。止める間もなく首筋に唇が触れてまた息を詰めてしまった。

「……やめろ」
「くすぐったいでしょう」

 禰豆子は何故だか自慢げだ。楽しそうにまた顔を近づけてきたので、仕方なく微睡みの海から一瞬上がって、毛布を跳ね上げ禰豆子を包み込んだ。キャーとか悲鳴を上げているが、全く緊張感がない。鈴を転がすような笑い声が続く。毛布で禰豆子を包み、さらにそれを抱き込んだところで満足した。背中や足先に冷たい空気が当たるがしょうがない。禰豆子で暖を取って目を閉じる。

「義勇さん、起きないと……」

 実のところ禰豆子も義勇と同じくらい朝には弱いので、もう声がぼんやりしていた。さっさと眠りの波に乗る義勇の耳が禰豆子の声を暈しているだけかもしれないが。カーテンの隙間から光が一条だけ零れる薄暗い屋根裏に、穏やかな寝息がふたつ重なり始める。すうすう、すやすや。すうすう、すやすや。

「あー! やっぱりこうなってる! 起きてくださーい!」

 それを思いっきり打ち破ったのは溌剌とした炭治郎の大声だ。声変わりを終えて低くなっても、角のない優しい声が朝の光より爽やかに部屋に満ちる。どしどしと床を踏む音、んんん、とぐずる禰豆子。それをあやすためにぽんぽん腹を叩きながら暖を取る義勇。

「こらー! 禰豆子も!」

 ギイ、ベッドが大きく軋んで体が傾く感じがする。薄目を開けると、黒い炭の底に炎が揺れる瞳がこちらを満面の笑みで覗き込んでいる。目が合った、たったそれだけのことが一番の幸福のように笑った炭治郎は、「おはようございます」と大声で挨拶をした。近すぎて耳に刺さる。

「ほうら、禰豆子」

 やっぱり炭治郎も弟妹をあやす時の歌うような口調で禰豆子に目を移し、毛布にくるまれた肩に優しく手を置いた。しばらく揺すって何も反応が無いと見るや、屈みこんでその頬に口を付ける。二度、三度と続けば、禰豆子が我慢できないとでも言いたげに肩を揺らして笑い始め、その振動が義勇の腕にも伝わった。

「もう一回な」
「もう、お兄ちゃんくすぐったい!」

 たまらず禰豆子が身を起こしたので、毛布と義勇は力なくずれ落ちることになった。禰豆子のぬくもりは惜しいが仕方ない。今度は毛布にもぞもぞと潜る。そのついで、重い瞼に半分隠れた目で炭治郎を見上げた。

「それやめろ。禰豆子が真似する」
「ああ、義勇さん起きてくださいってば!」
「起きる。布団から出る準備をしてる」

 冷えた足先を毛布の中に納めた義勇を疑わしげに見つめていたものの、炭治郎はひとまず笑いを引きずっている禰豆子に視線を移す。その手が薄暗がりでも艶々光る頭に乗ったところで瞼の重みに勝てなくなった。

「俺も禰豆子も覚えてないんですけど、俺小さい頃、禰豆子のほっぺたがあんまりおいしそうで、かぶりついて泣かせたことがあるんですって。禰豆子がなかなか起きない時にそれを思い出したことがあって……って、義勇さんやっぱり寝ようとしてるじゃないですか!」

 炭治郎の声は、その性格をそのまま音にしたようで、あたたかくて柔らかくて聞いていると心地よさで眠くなる。寝坊と言っても休日だ。葵枝には悪いが、朝食は温め直して食べよう。

「もう、ほら、義勇さんも」

 キシ、とベッドが軋みわずかな振動が伝わる。あたたかく柔らかい、炭治郎の声をそのまま感触にしたものが頬に触れた。心地良い。より一層眠りに引き込まれる感じがする。もう少し触れてもらえるとありがたいのだが。

「あれ?」
「どうしたんだ、禰豆子」
「ううんとね」

 キシ、とまたベッドが軋む音。そしてあたたかくて柔らかい感触が今度は首筋に触れた。

「っ」

 思わず両手が毛布から出て首元を保護した。間近にある禰豆子の顔の後ろ、炭治郎の顔がぽかんとしていたのは一瞬だ。たちまち禰豆子と同じ顔になったので慌てる。すやすや眠っている場合じゃない。剣士、もといただの大学生の勘が義勇にそれを告げている。

「やめろ」
「起きたらやめます。な、禰豆子」
「うん!」
「起きてる。起きた。こら、っ」

 なんとかベッドから這い出し階下に降りてみれば、朝食には美味そうな鮭が出てきた。最初からそう言ってくれれば、寝坊した自分が悪いとは重々分かっているが、義勇は理不尽と兄妹の満足げな笑みと共に秋の味を噛み締める羽目になったのだった。

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