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星粒ふたつ (炭義禰)



 眠たさにぐずり始めた六太を寝かしつける母に代わって、厨の片づけと掃除をする。と言ってもほとんどは花子や茂に手伝ってもらったので、かまどから舞い上がった煤を払って掃き出すくらいのものだ。格子窓の向こうは陽が落ちて真っ暗だが、土間の上がり框のきわに置かれたランプが温かく部屋を照らしている。麓の町に電気が通ったので、使わなくなった古いランプを運よく譲ってもらったのだった。その灯の下、自分の分の仕事が終わったら、という約束通りに竹雄が二人に本を読んでやっている。なんで炭治郎兄ちゃんじゃないんだ、と騒いで竹雄をムッとさせた二人だが、今では御伽草子にすっかり聞き入っているようだ。しかし、その輝く瞳にかかるまぶたが次第に重くなってきているのも見て取れる。茂がそろそろかっくり船を漕いで、続きは明日と断じられ駄々をこねる姿が簡単に目に浮かぶ。それより前に声をかけて憎まれ役を引き受けてやるべきだろうか。苦笑しつつ考えている時だった。

「禰豆子」

 小さな声を耳が拾って、手を洗い終え今にも水を抜こうとしていた流しから顔を上げた。勝手口の木戸が細く開いていて、丸い目がこちらを覗き込んでいる。炭焼き窯の火を見ていた炭治郎だ。ひらひらと招く手がランプの遠い灯に照らされてぼんやり白い。声をひそめるということは禰豆子だけを呼んでいるのだろうと思って、極力物音を立てずに木戸の隙間からするりと外へ出た。湿った手に冬の夜気がひやりと冷たい。

「ちゃんと拭いたか?あかぎれになるぞ」

 横に並ぶなりそう言って、炭治郎は禰豆子の前掛けを引っ張って両手をそれに包み、ごしごし禰豆子の手を拭う。なんだか幼い子供にするみたいな扱いがおかしくてくすぐったくて、笑ってしまった。

「ありがとう、お兄ちゃん」
「……どういたしまして」

 お礼に込めた呆れに近い気持ちを匂いで察したのか、炭治郎は弱ったような笑みだ。一歳しか違わないのに、炭治郎ときたら時折禰豆子のことを六太よりもまだ赤ん坊のように扱うのだから困ったものだ。でもそういう時に呆れが半分湧き上がっても、嬉しい気持ちが残りの半分を満たすから不思議でもある。

「それで、どうしたの?何かあった?」

 嘘のつけない兄だから、何か深刻なことがあったとは思わない。いつものように炭を売りに町に下り、籠を見事に空にし、更には米や味噌を代わりに詰めて戻ってきた時は満面の笑みだった。

「ううん、いや……あったと言えば、あったんだけどな……」

 珍しく歯切れが悪い。お兄ちゃん?と問うと、妙な顔になった。笑みを無理やり堪えるような顔だ。それが自分にも分かるのだろう、炭治郎は禰豆子の両手を一度離して背を向け、今度は片手だけを握って三歩家から離れた。

「ちょっと、空を見てみろ」

 ピョンピョン跳ねる癖毛を無理やりひとつにひっつめた後ろ髪がそう言うので、不審に思いつつ素直に言葉に従った。今日は一日晴れていて雲が一つもない。新月だから月は見えないが、その分小さな星までよく見えた。

「あれだ」

 兄が繋いでいない手を伸ばしたのでその指先を見た。一際大きく輝く星がふたつ、行儀よく並んでいる。

「そのまま見ていてくれよ」

 一体何だろうと思っていると、兄の手が一度引っ込んで、何やらごそごそ音を立ててまた戻ってきた。今度は拳になってふたつ星を隠してしまう。そしてくるりと禰豆子を振り返って、はにかんだような笑みで拳を開く。

「ほらっ、取ってきたぞ」

 手のひらの中に転がっているのは二粒の星──によく似た金平糖だ。きょとんと目を丸くする禰豆子に、炭治郎は照れを深くしている。

「これは俺が禰豆子のために空から取ってきたんだ。だからもらってくれないか?」

 手を出せ、言われて空いた手を差し出すと、ころりと二粒金平糖が転がり込んでくる。その感触と、実直な兄の絵空事みたいな珍しい物言いがおかしくなってとうとう噴き出してしまった。炭治郎の眉根が弱ったように下がる。

「……実は三郎爺さんがくれたんだ。ちょっとだけで悪いけどって」
「じゃあそう言えばいいのに。突然どうしたの?」

 御伽草子をくれたのも三郎爺さんだ。家族を亡くして寂しいのかこうして度々良くしてもらっている。くすくす喉を鳴らしながら、また炭か山菜かお裾分けできたらいいなと思っていると、困った笑みのまま炭治郎は小さく首を傾げた。禰豆子もそれに合わせて首を傾げる。

「みんなの前で広げたら、禰豆子、全部譲っちゃうだろう?」

 種明かしをするように炭治郎は懐から雪輪柄の可愛らしい布袋を取り出した。どうやらその中に金平糖が入っているらしい。

「だから俺は、禰豆子にまず食べさせたいんだ。一番最初に喜んでほしいんだよ」

 繋いでいた手を離し、炭治郎は小袋の口を開いた。そしてもうひと粒、星を取り出して禰豆子の手のひらに転がす。禰豆子はそれを指先で突いて微笑んだ。でこぼこした表面が真面目で四角四面な兄の優しさに少し似ている。

「じゃあお兄ちゃんには、私が星を取ってきてあげるね」

 手のひらの星を兄の手元に戻そうと摘まみ上げると、炭治郎は心底嬉しげに目を細めて見せた。ありがとう。そう答えるのに手を差し出さず、もう一粒星を袋から取り、小さく開いた禰豆子の口に放り込んでしまった。ほのかな甘さが口の中に染みた。

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