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星粒ふたつ (炭義禰)



 人の気配を感じて振り返ると、縁側の向こうから顔を出しているのは禰豆子だった。柱に身を預けて縁側に腰かけている義勇を見つけるなり、星明りだけに照らされた青白い顔をくしゃりと歪めて歩み寄ってくる。

「良かった」

 すとん、と自然に隣に腰を下ろし、禰豆子はため息を吐くようにそう言った。さしてこれまでこの娘と交流を持ってこなかった義勇は、その言葉の意味を正しく推し量ることができず眉根をわずかに寄せるしかない。禰豆子は先程一瞬だけ見せた泣きそうな顔をもうしていなかった。大人びた苦笑で義勇の疑念を申し訳なさそうに受け止めている。

「眠れなくて。誰か起きていてくれたらと思ったんです」

 そういうことかと思って、それはそうだろうとすぐに思い直す。やはり義勇はこういう時にどうにも気が回らないのだ。せめてこの場に居たのがこの屋敷を住処にしている少女たちの誰かなら、きっとこの娘の心も少しは慰められただろうに。

「ありがとうございます」

 伏せていた目を上げる。禰豆子の笑みからは苦みも消えていた。兄によく似た丸い瞳の、人の胸のうらを柔らかく撫ぜるような優しい笑みだ。そんな笑みを向けられるいわれはない。礼を言われる覚えなど尚更見当たらない。眉間の皺を深くすれば禰豆子はふっと笑みを息に乗せた。

「私がお礼を言いたかったから言うんですよ、義勇さん」

 どこか愉快そうにさえ見える笑み。義勇の足りない言葉から、真実伝えたいことを注意深く拾い上げて親しげに頬ずりする。そんな姿が鮮明に思い出された。呼ばれた名に頭にある声が重なる。

「似てるな」

 きょとんと丸くなる瞳も、義勇が言葉を繋ぐことを信じて疑わないピンと伸びた姿勢も、それでも確かな答えを急かそうとしない緩く笑みの滲む口元も。何もかも。

「お前たちはよく似ている」

 禰豆子は義勇の言葉を静かに受け止めた。長い睫毛の先を義勇にぴたりと向けたままじっとしていて、それからおずおずと口を開く。

「ここに、居ない方がいいですか?」

 思いもしない言葉だった。思わず目を見開いて禰豆子を凝視してしまう。禰豆子もそんな義勇をどこか驚いたように見上げている。宵闇に沈む薄ぼんやりとした顔を互いにしばし見つめ合って、義勇は根負けした。ふっと息を吐く。

「……いや、良かった」

 義勇もきっとそう思っていた。誰かが起きていればいいと。

 禰豆子はゆっくりと表情に笑みを染め込み、最後にもう一度義勇の言葉に「良かった」を重ねた。そして不意に立ち上がる。部屋に戻るのかと思えば、義勇の左肩にそっと手を置いた。

「義勇さん、ちょっと空を見てくれませんか?えー…っと、あそこ!あの星ふたつ!」

 月の無い満点の星空の中を白魚のような指が泳いで、義勇の目線を存分に惑わした末に止まった。わずかに星明りを灯す爪の先、一際大きく輝く星がふたつ、行儀よく並んでいる。

「そのまま見ていてください!」

 意図は分からないが、抵抗する理由もなくひとつ頷いた。禰豆子の指が引っ込んで何やらごそごそ衣擦れの音をさせる。

「はい!」

 なんだ、そう口を開こうとしたところで禰豆子の小さな拳がふたつ星を隠してしまった。面食らっている義勇の眼前にその拳は下ろされ、手のひらが開かれる。

「取ってきました!」

 手のひらには二粒の金平糖、そのすぐ向こうには満面の笑み。しかし面食らって固まってしまった義勇に、その笑みは次第に申し訳なさそうなものへと変わっていった。

「びっくりしてますね」
「……びっくりしている」

 そうですよねえ、どこかぼんやりとした声でそう言って、禰豆子は手のひらの金平糖を指先でなぞった。それから妙な顔になる。口元は笑っているのに、眉根は寄って、目元には力が入っている。

「私も、そうしたくなったから」

 泣くのだろうかと思った。兄ならきっともうぼろりと星のような涙を零して頬を走らせていただろう。だが禰豆子はよく似ていても炭治郎ではないから、涙は零さずに穏やかに笑みを取り戻していった。

「私も、誰かのために星を、取ってあげたくなったんです。義勇さん」

 義勇は気が回らない。言葉が足りない。人と長く繋がることを怠ってきたツケみたいなものなんだろうと思う。だが何故か今だけはそれを悟った。きっとこの娘が本当に星を取ってやりたかったのは義勇ではないのだ。でもこの娘は兄と同じく心根がどこまでも優しいから、こうして夜をただ耐えるしかない者に何か温かいものを与えたいと思うのだろう。

「ありがとう」

 左手を差し出すと、眉を下げて笑った禰豆子が金平糖を転がした。手のひらに唇を付けてそれを口の中に入れる。ほのかな甘さが口の中に染みた。

「甘いな。星は」

 義勇のぶっきらぼうな声に、禰豆子はふふふと息を漏らして笑った。

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