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絲どり



※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14076150

「えっ」

 間抜けな私の声を、相も変わらずこの方は麗しい笑みでにこにこと眺めている。そうすると、まるで──だめだ、分からん。何と言えばいいか。近い言葉は何か──足元がぐらりと揺れる感じがする。天と地とがまるで逆になり、自分の何もかもが誤っているような錯覚をしてはいかんいかんと首を振る。第一部隊のお歴々は一体この方のこういうところをどうやってやり過ごしているんだろうかと時々思う。不思議な方だ。並大抵の霊力では引きずられる。

 どこから話し始めればいいものか。まず初めに言っておかねばならんのは、私はこの方を憎く思ってなどはいないということだ。真実は真逆で、むしろこの方を強く尊敬している。この方は強い。そして迷いがない。そういう太刀筋と立姿を持つ方だ。顕現して初めての演練で、新刃のお守役とでも言おうか、そのような役回りで部隊を率いていたこの方の姿でそれを悟ってから、私はこの方に確かに憧憬を覚え始めた。何がこの方をそうさせるのかよく知りたいと思い、己の精進の行く先ではないかと強く信じた。

 尊敬する名士の門を叩くことは、人の世ではよくあることと聞く。弟たちよりも随分遅くに戦に参じた身としては、一足飛びの成長が必要だった。あの頃の私は今思えば、恥ずかしい限りで、焦っていた。しかし今もあの行いを後悔することはない。粟田口が三条に下ったというわけでもない。弟たちが不思議な柔らかい目で理解を示してくれたのは有難かった。私は私のために、この方に師事することを決めたんだから。

 それからは──こういうことを言ってしまってもいいものか分からんが、私は楽しんでいた、と、思う。それなりの覚悟を以て頭を下げたんだが、その真摯がどれほどこの方に響いたか分からん。ともかくこの方は私を茶飲み友達のように迎え入れ、師らしい行いと言えばたまに手合せに付き合ってくれるくらいか。なるほど私は自らこの方から学ばねばならんのだな、そう理解して私は我ながら甲斐甲斐しくこの方の世話を焼いた。この方もそれを当然とするでもなく、嬉しげに礼を言ったりするものだから、心地よくこの仕事に打ち込んでしまったというわけだ。下手をすると内番よりも熱心に励んでいたかもしれん。

 この方がなぜこうあるのか、あれるのか。それをとにかく私は知りたかった。私もかくありたいと思ったのがきっかけだ。だが次第に、この方のようになりたいとは考えなくなった。誤解を避けるため念のため言えば、それは失望したんではない。この方にはこの方のそれまでの来歴や、ものの見方があって、それは美しく、私にはきっと見えんものだろうと悟ったからだ。諦念、とは信じない。ただ日増しに憧れは強くなった。その頃は私もこの方の薫陶のおかげで第一部隊の部隊長補佐としてこの方の太刀筋を連日、間近で見ていたから、そういう思いは尚強かった。

 しかしここ最近、どうにも不思議な引力が働く時があり、私はそれを危ぶんでいる。うまく言葉にできないが冒頭に言ったあの──ぐらり、とくる感じだ。何か強い力で引き込まれるように耳目も思考も奪われてまっさらになってしまうことがある。

 少し長くなってしまった。何が結びになるかと言えば、今まさにその状態を私は味わっている。ずっと昔の大きな始まりはきっと、私がこの方の下についたこと。ごく近い小さな始まりは、非番の居間、西瓜に食いつきながら乱が言った「赤い糸」の話だ。口の周りを赤い汁で汚しつつ、種を手元に吐き出しつつ、本当にあるのかなあ、なんて無邪気なことを言っていた。

「ああ、それならあるぞ」

 しゃりしゃりと涼しい音の隙間、なんでもないことのように言う。この方も、それは大層美味そうに西瓜に口を付けて、乾いた喉を潤していた。共に入った畑当番は酷暑の中だったから、いくら鍛錬しようともあれは堪らんものだなあ。などと、私は話半分にのんきな考え事をしていた。

「三日月さん、見たことあるのお?」
「うん。便利だぞ。俺は一期に結いつけてある」

 しゃり、しゃり、また涼しい音。遠くには蝉の声。何もなければ静かで風雅な夏の静寂だったろう。だが、ここで素っ頓狂な声を出したとして、誰が私を責められるんだろうか。歌仙殿ですら私に加勢するはずだ。えっ、私のたった一音をこの方はどうしてだか意外そうに聞いた。それからおかしそうに顔を笑みに崩し、それが大層麗しいもので見とれている内にすっと小指を立てて見せた。

「ほら」

 乱が上目遣いにちらりと私を見たのが分かった。そしてすぐに西瓜に視線を戻したことも。何故何も言わないんだい、乱。西瓜を両手に抱えたまま、夏の昼にも滲まぬ夜の輪郭をじっと眺めながら、情けないことに私は動揺している。

「見えたか?」
「はい、しかと」

 間髪を入れずに何を言っているんだ!私は!

(2018-07-28)
三代目いちみかワンライ「結う」

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