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うそつきも休日・正直者は平日 (円+豪)



うそつきも休日

 昔から嘘は下手くそだ。嘘をつこうとしてもどうしてだかすぐにバレてしまう。だけど嘘だってサッカーみたいに、何度も何度も重ねていけば少しは上達するものらしい。今まではそんなこと、しようとも思わなかったから知らなかった。嘘なんてついていい気分がするわけもないし、相手が大事な奴であればあるほど、変にごまかさず正直でいたい。

「……そう言えば今週の日曜、休みだったな」
「そっ……」
「円堂?」
「そうだっけ……あー!そう言えばそうだった!そうだったよな!」

 豪炎寺も、円堂にとってそういうかけがえのない仲間の一人だ。だから今みたいに、気を抜いた瞬間ふらっとつまづきそうになる。危ない。へへ、ごまかすように笑うと、豪炎寺も呆れたように笑う。練習が終わったばかりで温まっているはずなのに、背中だけがいやに冷たい。

「……部活が無いのがそんなに嫌なのか?」

 特訓の虫ってやつだな、豪炎寺は呟きながら赤いTシャツを頭から被った。慌ててそれを追って着替える。汗でべっとりしたユニフォームから逃れてスッキリしたところで顔を上げた。豪炎寺の表情を確認したが、変に思っている風は全くない。間違いなく円堂は練習が無くて落ち込んでいるのだと思っている。どこかからかってるようにも見えた。よかった、じゃあそのままでいてもらおう。そして今日も何度目か分からない嘘だ。

「だって、せっかくの休みなんだぜ?」
「だから部活したいってのが、お前らしいよ」

 ――いや、今週の日曜以外の休みなら、本当の本気の本心の気持ちなんだけど。ジャージを着込んで、汚れ物や制服をカバンに詰め込む。しわだらけになるじゃない、頭の隅っこで母親が文句を言ったが、聞こえなかったことにする。隣の豪炎寺は簡単にでも整理してから服やタオルをカバンに詰めていた。オレみたいな小言は言われないんだろうな、円堂はぼんやり思いつつそれを眺める。小手先でカバンの中身を整理してみたが、あまり変わらなかった。

「一緒に帰ろうぜ」
「ああ」

 豪炎寺はこちらを見もせずに返事をした。そういうなんでもないことが嬉しくってつい笑顔になる。けど、見られたらまずいかもしれない。豪炎寺がこちらを見ないうちに口に手を当てて、笑顔を我慢する。行こう、豪炎寺がカバンのチャックを閉め終えない内に円堂は歩き出した。一度振り返ってきちんとついて来ているか確かめた。

 夕焼けだ。部室に戻る前まではまだ青空だったのに、片付けや着替えをしているほんの少しの間で色が全然変わっている。東の空にぼんやり紫っぽい青が残っているくらいだ。あーあ、もう今日も終わりかあ、思わず口に出して豪炎寺に少し笑われた。

「あー、そっか、でも休みなら行けるな」
「どこにだ?」

 息を吸い込む時、喉の辺りがひやりとして、ああ緊張してるなと自分でも分かる。でも豪炎寺はただ円堂を見ているだけで、恐らくそのひやりには気づいていない。それに勇気づけられて声を出す。

「観戦のチケット。父さんがもらってきたんだけどさ、部活だから行けないなって話してたんだ」
「なら丁度良かったな。たまには休みも悪くないだろ」

 豪炎寺がまた笑う。円堂は練習が終わったばかりの時、気分が浮ついて、疲れているはずの足でも弾む気がするが、豪炎寺も同じなんだろうか。いつもより少し機嫌が良さそうに見えた。普段機嫌が悪いわけじゃないけど。

「それがさあ、二枚あって……父さんも母ちゃんも行かないだろうし……もし用事無いなら、一緒に行こうぜ!」

 聞きはしたが、なんとなく返事は分かっていたし、予想していたとおりの答えが返ってきた。楽しみだなー、ああ、それで話が変わる。今日の練習やフットボールフロンティアの話だ。

 でも本当は、体を思いっきり小さくして、それから力いっぱい伸びしたいくらい嬉しい。そうしてもいいとは思う。大げさな奴だなって呆れられて終わるだけだろう。できないで、真剣な顔で豪炎寺と練習の話をしているのは、豪炎寺に気づかれたくないからだ。困らせたくないという気持ちもあるが、それより何より、円堂がまず自分の気持ちを両手でも抱えきれずどうしていいか分からない。だからカレンダーの数字と毎日にらめっこしていたことは言わないままでいる。

 人でぎゅうぎゅうに詰まったスタジアムで応援するプロの試合はやっぱり楽しい。自分で体を動かしてやるサッカーがやっぱり一番最高だけど、見るのだって同じくらい好きだ。豪炎寺も身を乗り出して熱中していて、点が入ればハイタッチして一緒に喜んだ。円堂が喜びすぎて売店の塩からいポテトをひっくり返しても楽しそうだった。

 今日の勝利の女神はこちらを向いて微笑んでいたらしく、ホームチームの快勝だった。練習後みたいな弾んだ気持ちで近くのグッズショップやスポーツ用品店に立ち寄る。お金はあまり持っていないから見るだけだが、それでも結構盛り上がった。

 友人とサッカーの試合を見て、盛り上がって、それから帰る。
 何もおかしいところなんてないはずだ。はずだよな。

 ガタン、ガタンとレールを順番に踏んでいく音を聞きながら、円堂は目で丁寧に自分の胸のあたりから爪先までを点検した。見えるものでもないからあまり意味は無いけれど。帰りの電車は円堂たちのように観戦帰りの客がちらほら見える。それでなくても日曜の夕方、客は多い。

 ガタン、ガタン、円堂と豪炎寺はそれぞれ扉の端と端に立っていて少し距離がある。ちらりと隣を確認する。豪炎寺は円堂を見ておらず、窓の外をぼんやり眺めていた。それにほっとしたような寂しいような、とにかく変な気持ちだ。

 ガタン、ガタ、ガタタン、窓からは今日も夕陽が射している。今日も天気が良かった。ただこの前と違うのは、窓が西側を向いているせいか明るいオレンジ色が豪炎寺を照らしていることだ。顔や服のへこんだところに影ができている。それをじっと観察していた。

 もうあと二駅で、稲妻町に到着してしまう。
 そしたらいつも通りに別れて、明日からの毎日もいつも通りに始まるんだろう。

「豪炎寺」
「……?呼んだか?」

 小さい声だから気づかないかと思っていたのに、豪炎寺がこちらを振り向く。それはいつものどんな『ああ』より円堂を嬉しくさせた。いつも嬉しいのに。

「手、」
「て?」
「つないでいいか」

 驚いたような、それ以前に意味も分かってないような微妙な顔には左側に向かって影がおりている。少し開かれた目を本当の気持ちで覗き込みながら、その片手を取った。すぐ近くに人が立っているが、混み合っているおかげで目立っていない、と思う。心臓が早くてあまり冷静に物が考えられない。自分のてのひらが湿っているように感じる。豪炎寺のてのひらは乾いていて冷たい。いや、円堂の手が熱いだけか。

 ガタン、ガタン、窓を見た。窓に映っている豪炎寺を見ている。流れる景色に透けて見える豪炎寺は円堂を見ていたが、やがてまた夕陽に顔を戻した。円堂が掴んでいるだけだった豪炎寺の手が、円堂の手を握り返してくる。

 もう嘘なんてやめようかな、どんどん苦しくなるだけだから。

 豪炎寺の方を見た瞬間に、電車の方が一足早く口を開いた。ドアから人がわっと降りて行って、自然と手が離れる。いつの間にホームに入っていたんだろう。見ているようで、窓の外なんか全然見えていなかった。入ってくる客も少なく、電車の中が広くなったようだ。

 しばらくあっけにとられて動けなかった。呆然と豪炎寺を見る。豪炎寺も円堂を見る。

 ガタン、ガタン、電車が滑り出してから、豪炎寺が耐え切れずに笑った。すると円堂もつられて笑ってしまう。なんだかいつもと逆だ。それもおかしくて、声を出さないように喉で笑う。笑っているのに苦しいなんてますますおかしい。

「もう、今日も終わりか」

 豪炎寺が笑いながら言った。窓の外の景色がどんどん馴染みのあるものになっていく。また明日もあるしな、と笑って返せる円堂は、多分昨日よりまた少しだけ嘘が上手になっている。本当は、休日はもう次の駅で終わりで、明日からまたうそつきが始まるっていうのに。

(2010-11-09)

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