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ロータリーのねむり姫 (遊ジャ・パラレル)



 休日になればアルバイトに出かける遊星だが、今日は珍しく暦通りの休みだ。新聞配達だけが今日の予定らしい予定だった。それも6時前には終わってしまい、秋の夜が残した湿って冷たい空気とすれ違いながら家路につく。夏にはとっくに顔を出していた太陽も、地平線の寝床で起床をぐずるようになっている。どこかの誰かを思い出すようだ。紫色に白んできた東の空をちらりと見上げた。最寄の駅がその空を背景に背負っている。まだ陽も昇らない休日の駅前は、「大学前」を駅名に含む学生街の中央という位置関係も手伝って人影も車影も少ない。それを横目にバイクで横切ろうとして、ふと見覚えのある色合いが目に付いた。重心を傾けて進行方向を変える。駅前のバス停によりかかるようにしてコンクリートの上に座り込んでいるのは、間違いない、「どこかの誰か」だ。

「ジャック」

 ブレーキをかけてメットを取った。腕を組み、歩道と車道との段差に足を投げ出しているジャックは目を開けない。ひょっとしてこんなところでも眠り姫を気取っているのだろうか。無用心な奴だ。もう一度ジャック、と強めに声を張る。するとジャックは煩わしげに腕を上げ、寄りかかっているバス停をコンコンと叩いた。ブレーキを落とし、バイクを立たせて時刻表を確認する。休日はバスの本数も格段に少ない。始発は既に出発し、次のバスまでに1時間近くのブランクがある。

「これは……ひどいな」
「もう慣れた」
「乗っていくか」
「お前のその原付のどこにオレの乗るスペースがある」

 フレームを細身にし、軽量化を図った遊星の愛機をジャックは馬鹿にして『原付』と呼ぶ。排気量が何百も違う全く別のエンジンを載せていると言うのに愛機にも原付にも失礼な話だ。しかし大の男二人乗りとなれば、窮屈に違いが無いことは確かである。言いたいことは山ほどあったが、無言のままバス停を挟んだ隣に座り込む。手を付いたコンクリートにも秋の夜の気配が残っている。ざらりと冷たい。

「今の時間までバイトか」
「そんなわけがあるか。終電に間に合わなかったから始発まで店で寝ていただけだ」
「そんなわけないと言われてもな。何時までのバイトかなんて知らない」
「興味がないんだろうが」
「……まあ、そうだが」

 いつもは遊星の興味の有無など全く関知せず喋りたいことだけ喋るジャックだ。わざわざ遊星のせいにするくらいには話すのも面倒なのだろう。疲れているのかもしれない。
 しかし遊星は別に手持ち無沙汰の沈黙を食い潰しにここへ座ったわけではない。じゃあ何のためにここに居るのかと聞かれたとしても、確かな答えを持ち合わせているわけでは無かったが。

「やっぱり、臭いぞ」
「ならばさっさと帰れ」

 ジャックは不機嫌に薄目を開けて、野犬を追い払うように手を振る。派手好きのジャックは昔から身なりに気を遣っている。その身なりについて文句を付けられるのは何よりの屈辱なのだ。ただジャックにはいくつも「何よりの屈辱」が存在するので、遊星は今更気を付けてやる気も起きない。タバコとアルコールとその他諸々の鼻を突く匂いは、そのどちらの趣味も無い遊星にとっては他人行儀な異臭でしかなかった。

「バスが来たらそうしよう」

 だからこそ余計に、意地が遊星をここから動かさないのかもしれない。そんな遊星など知らないと言いたげにジャックはまた目を閉じた。相変わらず寝汚い。手前のロータリーの向こうにある大通りでは、信号に合わせて数台の車が走っては静寂を残していく。空は段々淡くぼんやりした紫に白んできている。

「昔も、こうやってバスを待ったことがあったな」

 施設に居た頃の話だ。突然遠くに行こうと思い立った悪ガキ探検隊3人は、なけなしの小遣いを片手に行けるだけのバス停を目指した。往復料金を考慮する頭はあったが、復路のバス停が往路で降りたバス停と違う場所にあるという常識が無かった。今思えばほんの数駅程度の小さな冒険だったが、大海に乗り出したようにわくわくしたし、来ないバスを待ち続けているともう二度と岸には戻れないような気分になった。

「3人だからか、不思議と怖くなかった」
「嘘をつけ」

 半ば反応を諦めていて、聞いていないのだろうぐらいに思っていたのでジャックの横槍を意外に思う。しかも遊星はそんな昔のことについて今更嘘をついたつもりもなかった。戸惑って何も言わない遊星に苛ついたらしく、ジャックが目と口を同時に開く。

「あの時はお前がオレにしがみついて泣き出したから、クロウまで泣き出して大変だったぞ」
「そう……だったか?」
「そうだ!そのせいでオレの服は涙と鼻水まみれになって散々だったのだ!」

 無事に施設に戻れたという安堵と、マーサにこってり絞られたという苦い思いがあまりに強いためだろうか。ジャックの言うような記憶は遊星の脳内には見当たらない。しかし、言われてみればありそうなことではある。昔からジャックは図体が大きかったから、実際よりもずっと年上のように感じていた。当時の自分に、そいつは錯覚だと教えてやりたい気もする。頼りにしていた反面、何かと意地の悪い攻撃の対象になって損もした。

「それは……悪かった。今なら大丈夫だから、お前も泣いていいぞ」
「ふざけるな、恩知らずめ」
「ふざけてない。それなりに真面目だ」

 身を乗り出してジャックを覗き込んだ。薄命の空の下、電灯の光もどこかあやふやだから、近づいた方が親切かと思った。しかしジャックはそんな遊星を気味悪そうに見返すだけだ。こういう時遊星は、何故だかデュエルで勝機を見た時と同じ気分になる。ジャックが小さく息をついた。

「泣くことがないだろうが」

 ここにクロウが居れば、そりゃあお前は無いだろうよ、とケンカを投売りしに来たに違いない。そう思うと少し愉快だ。口の端に笑みが滲む。そんな遊星に対するジャックは益々不本意げだ。

「もうこのままずっと3人で暮らすか」
「真っ平御免だ!卒業して金が溜まればあんな狭く汚い部屋とはおさらばだ!……なんだ」

 今度はジャックが悪態の勢いで身を乗り出してくる。が、それを物ともしない遊星が気に入らないのだろう。不機嫌に睨まれたので、遊星もわずかにジャックへ顔を傾けた。

「気分がいい」
「オレは気分が悪い!」

 体全体で言葉通りの感情を表現しつつ、ジャックは話を打ち切るために目を閉じた。やっと顔を出そうとしている陽光の先触れが、その睫を透かしている。見られていないことをいいことにそれを観察しながら、少しくらいバスが遅れてもいい、遊星はそう思った。

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