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無心伝心 (遊ジャ)



 ガレージのドアを勢い良く閉めると、その音に驚いたらしいクロウが手にある小包を取り落としかけた。

「うおっと!おいジャック……って、」
「……すまない」
「お前かよ……」

 驚きと怒りに見開かれたまま遊星を見上げていたクロウの目が、呆れを映して細くなる。それは怒鳴られるよりも居心地の悪いものだった。合わせていた視線をそれとなく逸らしつつスロープを下る。久々の修理屋業で使用した工具セットをラックの適当なところに戻し、椅子に腰掛ける。その逐一を目で追われているのは分かっていたが、敢えて気づかないフリをした。それがクロウの呆れをますます濃厚なものにしているようだ。肌でひしひしと感じる。

「……オレばかり悪いわけでもないだろ」
「んなこたー分かってんだよ」

 クロウの無言の圧力に押し切られる形で、しかし完全に白旗を上げるつもりもなく切り出した。クロウは遊星の姑息な先制を一蹴し、歩み寄って覗き込んでくる。

「で?」

 クロウと話す時、意思疎通はほぼ言外で行われる。つまり遊星はそのたった一音で窮地に陥ったというわけだった。遊星はクロウに隠し立てるようなことは何一つ無い。それ「で」一体どういうことなんだ?そう問われて答えられるならとっくにそうしている。しかしそれができないから、渋い顔を横に振ることしかできない。クロウが深いため息を吐き出す。

「ホント……アイツは……」

 遊星はここ一週間ほど、くすぶる苛立ちを抱えて過ごさねばならなかった。なるべく表面に出ないよう心がけていたつもりだったが、仲間たちにやたら心配され、それが無駄な努力であるという自覚と反省を持つに至っている。しかしこれは何も遊星一人の問題ではないのだ。

 ジャックが明らかに遊星を避けている。いや、避けているという言葉が適当かどうかも遊星には分からない。ジャックの態度があまりにも理不尽だからだ。今朝の例で言えば、遊星はごく普通にテーブルに座り、通常通りに朝食を摂ろうとした。しかしそれがたまたまジャックの隣の席だったために、椅子にかけた手が馬鹿力で弾かれることになってしまった。ジャックは唖然とするクロウやブルーノに構わず、もちろん遊星にも一瞥さえ寄越さず声だけを張り上げた。

「お前はよそで食え!」

 ――お前がよそで食え。そう思ってしまった遊星を誰が責められようか。険悪な言動や無視はまだしも、ここまで来ると最早ただの幼稚な嫌がらせでしかない。露骨で明確なくせ、しかしいつものように言いたいことをまくし立ててこないジャックの態度は遊星の苛立ちを順調に肥大化させた。不可解に手を差し入れることができないのは、遊星にとって一番のストレスだ。

「遊星にも分かんねえんじゃなあ。アイツ、こういう時言葉通じねーからな」

 もちろんそれは比喩で、頑固なジャックが何も言わないところを第三者が問い質しても、へそを曲げて益々口が堅くなり、結局事態は悪化の道しか辿らない、というクロウの経験則である。それは当事者であるお前なら何とかなるんじゃないか、という提案をも含んでいる。しかし遊星はクロウの視線を受け止めることができなかった。

 さわるな!

 触ってないだろ、脳内の声に遊星はやはり脳内でばつ悪く答える。それが苛立ちを増長させる要因のひとつでもある。遊星はやはりまだ幼い頃から抱えている単純でくだらない欲求を振り切れずにいて、しかしそれを実現したわけでもない。なのにジャックは、二年前も今も遊星ごと振りきろうとする。何も言わないまま、何も分からないまま。

「クロウ」
「あ?」
「……オレはそんなに、分かりやすいのか」

 今までジャックは、遊星が腕に巻きつけている約束などまるで忘れた素振りだった。しかし夜のガレージで目が合った瞬間に、ジャックの態度は明らかに変わった。まるで未知のものでも見るような、遊星を遊星と思っていないような眼だった。その時の表情を思い出す度、遊星の心臓はざわざわと騒いでまた苛立つ。

「分かりやすいってのは、アイツみたいなのに使うんだよ」
「オレはちっとも分からない」
「……いやオレも分かんねえよ。アイツの考えてることなんて誰にも分かんねえぜ」

 遊星の質問が唐突だったからだろう。クロウは一心に見つめる遊星を怪訝げに観察しつつも、困惑気味に言葉を継いだ。

「アイツに合わせて考えてりゃアイツの都合のいいようにしかならないってのは分かりきってんだろ?それが気に入らねえってのも分かりきってんじゃねーか」

 アイツは人のことなんてなあんにも考えてねえんだから。クロウは自分の言葉を噛み締め、満足した様子で何度か深く頷いた。

「えー、っと……」

 フレキシブルに時間を空けられて、クロウからそこそこの信頼を得ているブルーノは、メカニックに加えて買い出し担当のポジションを獲得しつつあった。出不精がちの本人にとってもたまの外出はむしろ良い気分転換になるとかどうとか。ジャックにとっては心底どうでもいい話ではある。

「手伝い、……ではないんだよね」

 遠慮なく不機嫌な視線を送れば、ブルーノは半端な笑みを浮かべて言葉の着地点を急遽変更したようだった。今更どんな態度を取ろうと、ジャックの機嫌がブルーノによって上向くことは決して無いが。人通りの少ない歩道で不毛な沈黙をいくらか踏みつけた後、這い登ってきた苛立ちのままにジャックは口を開いた。

「何故お前はアイツの考えていることが分からない!」
「アイツって……遊星のこと?最近ジャック、イライラしてるよね。みんな気にしてるよ。もちろん遊星だって……」
「黙って質問に答えろ!」
「黙ったら答えられないと思うけ、ぼっ、暴力反対!」

 しかしブルーノはジャックの言葉を日照りの雨を喜ぶ雑魚のような態度だ。まだ何も動き出さない内にブルーノは両手を上げて背後の塀に背をつけた。ジャックの攻撃がひと睨みで終わったことを時間をかけて確認し、おずおずと口を開く。

「殴らないで聞いてね」
「内容による」
「内容によらないでも殴らないでってことなんだけど……」
「いいから早く言え!」
「……ジャックって変な人だよね」
「貴様ぁ!」
「だから言ったのに!」

 突然に人を変人扱いしておいて許されるとでも思っていたのだろうか。駆け足気味に市場へ踏み出すブルーノを逃がさず大股で追いついた。剣呑な雰囲気を感じるらしく、「あの」だの「その」だの意味のない音をいくつか吐き出している。ジャックより先に口を開こうとしているようだ。

「や、やっぱりボクは、遊星だけじゃなくて誰の考えてることも分かったりなんかしないよ。予想はあれこれするけどね」
「……だがオレには分かった。目を見ただけで言葉がなくとも勝手に聞こえた。あいつは本当に、気味が悪い」
「ふーん……遊星は何を考えてたんだい?」

 遊星の伏せられた横顔を、そしてジャックを正面から捉える双眸を思い返した。途端にジャックの胸のうちに気味の悪いざわつきが波立つ。あれはジャックの知っている遊星の顔ではない。遊星はあんな顔はしなかった。ジャックを馬鹿のひとつ覚えのように仲間と慕い、ジャックの描いた夢想を一緒になって本気で信じているような、お目出度い奴だったはずだ。もしくは仲間の痛みをまるで自分のことのように思い、塞ぎ、自分自身を内へ内へと押し殺し、しかし諦めることを知らずにもがき続けるような間抜けな頑固者だ。

 しかしあの時、見たこともない人間が、未知の表情で、何よりも雄弁に単純な願望を訴えかけてきた。

「……オレには理解できん」
「やっぱり分かってないんじゃないか」
「そういう意味では……!」
「聞こえたって伝わったって、それが何か理解できなければ分かってないのと一緒じゃないのかな。分からないことは、ボクだったら分かろうとしたいよ。ボクには分からないことが多過ぎるからね」

 うっかり唖然としてしまった。ん?と、黙っているジャックを覗き込んでくるブルーノが無性に腹立たしい。何も考えず接近しているその無防備に呆れつつも、むしろそうされたいのだろうと解釈して拳骨を思い切り落とした。

「殴らないでって言ったじゃないか!」
「殴らないとは言ってない!」

 もう話すことも無い。来た道を戻ることにする。ブルーノがまだ何事か喚いているようだったが、振り返らず市場を出た。ブルーノの方も追ってくる様子はない。徒歩で出たことを後悔しつつ、そのまま当て所なく散歩をする。まっすぐにポッポタイムへ戻る気にはならなかった。一人で居ることに苦痛を感じたことはない。しかし一人でいる時間が長いと、耽る思考のむなしさが――つまりその中身がどうあれ考えだけでは事態に変化などあるわけもないということが、浮き彫りになるだけだ。重い頭を億劫に思いつつうんざりと上げた。空は夕暮れの茜に染まっている。

「ここはオレの部屋だが、オレはよそへ行った方がいいのか?」

 電気スタンドひとつの明かりを半身に受けつつ、まっすぐに視線を送ってくる遊星の声は刺々しい。それでも視線を合わせようとしているだけ機嫌は持ち直しているのだろう。別に遊星の機嫌取りに来たわけではないジャックにとってそれは関係の無いことだが。自室であっても遊星は相変わらず薄暗いところに居る。思わず呆れた。

「……何の用だ」

 何も言わないジャックに焦れたのだろう。遊星は怪訝げだ。しかしジャックにも何と言っていいか分からない。理解できないことだけが分かっていて気味が悪い。それが何かを知りたい。だがそれを一体どうやって言葉で伝えればいいのか。今までの人生の大半、遊星やクロウとは余計な言葉を交わさずとも意思が通じてきた。いつものジャックならここで苛立ってもういいと放り出しているところだ。しかし遊星の藍色の目があまりにも正面からジャックを捉えていてそれもできない。うるさいぞ遊星、オレはそんな『声』を聞きたいわけじゃない。大股で部屋の中に進み入った。無警戒の遊星の目元を片手で覆う。

「……見るな」
「何故だ」
「うるさいからだ」

 突然のことに当然驚いたらしく、忙しない眼球の動きが手のひらに伝わってきていた。しかしそれもすぐに止まり、口元が不機嫌に引き結ばれる。

「……お前に言われるなんてな」

 遊星の目を覆うと、予想以上の安堵が押し寄せてきて、ひょっとしてこの自分が緊張していたのかと腹立たしくなる。心地の良い緊張に放り込まれるのは好きだ。だがそれは沸き立つデュエルに限った話だ。しかしその相手に相応しい人間が、この手のすぐ裏にいる。そう考えていると、自分の緊張も相応のものなのか。だがそれはそれで気に食わない。

「お前は……オレの理解を超えるな」
「だがそれじゃ、つまらねえんだろう」
「予想は超えてもいい」
「メチャクチャだな。自分ができないことを人に強要するな」
「……どういう意味だ」
「オレはお前がちっとも理解できない」
「どういう意味だ!」

 勢いのまま手を外してしまった。閉ざされていたまぶたがゆっくり上がる。椅子に座ったままジャックを見上げる遊星の目は、言葉に感じる棘の一本もその視線に含んでいない。どこか縋るようですらあるそれに、ジャックは言葉を失った。

「約束が有ろうと無かろうと、お前は自分が好きなほうにしか行かないんだろ。だったらオレも、好きにさせてもらう」
「約束?なんのことだ」
「……分かってはいたが」

 目から離れて宙にさまようジャックの手を慎重に取って、遊星は立ち上がった。視線はジャックの手に注がれたままだ。指の一本一本を親指と人差し指で丁寧に確かめられてむずがゆい。電気スタンドがはっきりと影を引く遊星の輪郭は、記憶に多くあるものより随分精悍に見えて面白くない。

「触れる程度でオレの何がお前などに分かると言うんだ」
「何も分からないだろうな」

 腕の筋肉に沿うようにして遊星の指が伸びる。それが肘のあたりに来たところで、遊星は不意に目を上げた。スタンドの光が泡立つ藍色の瞳の中には、思うよりずっと不機嫌を表明することに失敗したジャックの顔がある。

「……だが、何故だかずっとこうしたかった」
「満足したか」

 遊星は黙ったままジャックの肩、それから首筋にまで触れ、口元と目元だけで笑った。

「ジャック」

 朝陽を窓から背に感じつつタンクトップから剥き出した肩に軽く触れる。トーストをくわえたジャックは、食事中になんだという露骨な表情で振り返った。

「いいか、隣」
「わざわざ聞くことか」
「また乱暴されたらたまらないからな」

 フン、まるで遊星が悪いとでも言いたげ(実際そう思っているに違いない)にジャックは鼻を鳴らして食事を続ける。しかし鬱憤がひとつ発散された遊星にとって、それは最早苛立ちの要因にはならない。仕返しのように呆れて笑い、当番のブルーノが用意したトーストにありつく。目玉焼きに失敗したと苦笑する通り、皿の上にはスクランブルエッグが乗っている。カップに手をかけようとするジャックの腕を掴んだ。

「ケチャップ」
「を、どうする。お前の頭へひっかけるのか?」
「取ってくれ」
「このぐらい自分で取れ!」
「でもジャックだって、すぐそこにあるものもいっつも取れって、」
「オレはいいに決まっているだろう!このオレだぞ!」
「……意味分かんねーよ。いいわきゃねーだろ」

 ブツクサ言いつつも、片手を掴まれているせいか、ジャックは比較的素直にケチャップを押し付けてきた。有難く受け取る。筋肉質な硬さのある手首から手を離し、その感触を確かめるように手のひらを閉じたり開いたりしてみた。不可解を可解にするほど楽しい作業はない。このすぐ隣にいる、よく見知った人間にそんな余地を感じているのが不思議で面白いと感じる。盗み見るようにトーストを咀嚼する横顔を観察した。窓から入る日差しがそのパーツのひとつひとつを透かしている。そしてその朝日は遊星の手のひらにも白く光っている。

「なーんかオレ……間違ったこと言った気するんだよなあ……」

 フォークをくわえたままぽつりと呟いたクロウをブルーノが追うが、その言葉に続きは無かった。

(2011-11-21)
以前はこんな顔しなかった(幼馴染みの恋物語-06

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