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無心伝心 (遊ジャ)



 遊星が薄暗いガレージに斜めに入る外光を瞳に溜め込みながらゆっくりと身を起こす。隣でしゃがみ込むジャックは極力相手に気づかれぬよう体の力を抜いた。そしてすぐに、何故自分がそんな余計な気を回す必要があるのかと腹立たしく思えてくる。

「……ジャック」
「なんだ!用心をしていなかったお前が悪いぞ遊星!文句は受け付けん!」

 ガレージの入り口であるドアをジャックは勢い良く開けた。本来そこまでしなくても容易くこの街の人間を招き入れるドアなのだが、ちょっとした気分の波で力が余ることはジャックにとって最早日常のことである。しかし今特筆すべき問題は、そこに今にもドアノブに手を伸ばそうとしていた遊星が居たらしいことだ。居たらしい、と断定できないのは、バランスを崩した遊星が珍しく体勢を立て直すことすらできずにスロープを転がり落ちて行ったからである。さすがのジャックも慌てて駆け寄ったが、特に怪我などは無いようだ。

「そんなに鈍い動きでグランプリに出る気か!オレが相手ならばお前など一瞬で消し炭だぞ!」

 安堵からつい饒舌になるジャックを、遊星はただ見つめていた。半身を起こした遊星としゃがみ込むジャックとでは、いつもより近い高さと距離に目線がある。表情をひとつも変えずぼうっとしている遊星が気味悪く思えてきて、ジャックは覗き込むように遊星に尚近づいた。

「おい!聞いているのか!」
「少し静かにしてくれないか」

 なんでも無いような顔をして腸は煮えくり返っていたか。これは遊星が本気で怒った時のパターンだ。誰かの仲裁無しにその状態の遊星の気分を回復させたことが無い――大抵の場合意地の張り合いでさせる気もないジャックは、多少分が悪い自覚もあってうっかり素直に言葉を飲み込んでしまった。

 静かにさせたからには何か言い分があるのだろうと待ってやっているのに、遊星は一向に言葉を繋ごうとしない。その目や眉、鼻や口、表情を形作る全てのものから遊星が何を考えているかを拾おうとするのに、いつものようにはうまくいかない。ただ注視され続けている状況に耐えかね、ジャックは遊星に乗り出していた身を引こうとしていた。その時わずかに、遊星の手がジャックに伸びるように動いて、しかし中途半端なところで止まった。反射でその手を掴む。恐らく無法者と体で渡りあっていた時代に本能に刻み込まれた防衛の反射だろう。

「なんだ」

 遊星の表情が初めて動いた。大した力を込めていない掴まれた手を、わずかではあるが、痛みに耐えるような顔で見ている。眉根が寄り、目元のあたりに力が入るのだ。怪我でもしたかと咄嗟に手を離すと、遊星はまた元の無表情に戻った。

「……どこか痛むのか」
「いや、平気だ。ただジャック、これが龍亞や龍可、子供たちならどうなっていた」
「さっきのお前の鈍さならガキの方がまだマシな反応をするに決まっているだろう!」
「少し気をつけたほうがいい」

 もう何の興味もないとでも言いたげに遊星は立ち上がり、しっかりした歩調でスロープを上って行った。釈然としないジャックを置き去りにドアが開いて閉じる。最近この調子で、たまに遊星が何を考えているのか分からない時がある。

 ひどく端的に言うなら、ジャックは遊星の考えることが口に出されずとも分かっていた。

 遊星は決して引っ込み思案な大人しい子供ではなかった。むしろその逆で、こうと決めた軌道を自分でも他人でも関係なく逸れて歩いてしまうと、すぐに不機嫌になることがしょっちゅうだった。ただ、どんな物事も時間をかけて考え、それがまとまってから初めて口に出すので、頭に浮かんだことから口に出す子供たちの会話の中では自然と無口なやつ、ということになる。

 そんな遊星の特性に気づく前のジャックは反応の鈍い遊星にイライラしたし、気づいた後もテンポの悪い遊星にイライラしていた。おかげでマーサハウスで身を寄せ合う仲間同士にしてはあまり印象は良くなかった。しかしそれも出会った当初だけの話だ。次第にジャックは、遊星が何も言わないままでもスムーズに意思疎通できる方法に気がついた。

 よく観察すれば、遊星の感情は表情や動作にすぐ出る。それは付き合う時間が長ければ長いほど言葉を不要にした。それに気がついてからのジャックは、今までとは逆に遊星との付き合いが楽しくなっていた。遊星の感情をその表情ひとつから拾うたび、秘密の暗号を解いているような気分になった。しかも、その暗号を共有できるクロウという仲間もできたのだ。そうして後々まで続く腐れ縁は切っても切れないものになった。

「遊星!あの向こうに何があるか分かるか!」

 すっかり庭の感覚である廃墟を抜け、埠頭に出たジャックは、一人のつもりだったのに撒いても撒いても付いてくる遊星に仕方なく声をかけた。やっと存在を認識されたという安堵感と、気づいていたのかという驚きが半々で顔に出ている。それを見ると少し気分が良くなった。

「……シティだろう」
「それだからお前はダメなんだ、遊星!あそこにはこんなゴミ溜めなんかじゃない、広い舞台がある!」

 デュエルでの連敗が続く遊星はたちまちつまらなそうな顔をしてみせる。それに更に機嫌が上方修正された。手を大きく広げれば、その手のひらのずっと先にはシティの高いビル郡が霞んで見えている。

「いつかはお前を、お前たちをあそこに連れ出してやる!」
「どうやってだ?」
「このキングのついでにだ!」

 それは答えになっていない、遊星はそんな顔をする。しかしこの時のジャックにとってそれは非常に些細なことで、友を裏切る選択肢など存在すら知らなかった。ただ、遊星のデュエルには淡い可能性を感じていて、それを自分に感じる可能性と同じくらいに育ててみたいと思っていた。

「確かに、ジャックには似合った舞台かもな」

 長い時間をかけて、遊星はそれだけ答える。それは案外ジャックにとって気に入った響きだった。

 遊星はそんなジャックの言葉など、大風呂敷程度に思って忘れてしまっただろう。しかし、結果的にジャックは遊星たちをシティに引きずり出すことに成功した。それを良いと思うか、悪いと思うかは主観と状況による。2年という空白が、ジャックには理解できない遊星を生み出したことだけは事実だ。

「ブルーノ!」
「わっ、なに!」
「どこへ行く!」
「買い物だけど……ああえっと、ボク余分なお金は持ってないからね」

 ドアを出たところをジャケットの首根っこごと引っ掴むと、でかい図体が容易に傾いた。鍛錬が足りないというものだ。クロウに仕込まれたのだろう入れ知恵をたっぷりと睨めつけ、道に押し出すようにして手を離してやる。おずおずといった調子で歩き始めたブルーノに並び、大股で噴水広場に出た。

「ジャック……ううんと……これは、手伝ってくれるのかな?」
「誰がだ!」
「じゃあ、何か話したいことがあるんだね」

 視線を前方から真横に向ければ、咄嗟にブルーノが頭を庇った。ガードの甘い腹に軽く拳を当てて体を折らせる。その力加減に不機嫌でないことを悟ったらしいブルーノが小さく苦笑した。メカニックとしては信用を置いてはいるが、まだまだ気に入らない。しばらくは無言でネオドミノの街を進む。元気の溢れる子供たちが騒がしく横を走り去って行った。その会話の中にジャックという言葉があったが、今日は気づかないでおく。

「……お前は、遊星が何を考えているか分かるか」
「え?」
「だから!お前が来てから遊星はお前とよく話し込んでいるだろう!」

 ブルーノは真意を探るような視線でジャックの顔を凝視している。物分りの悪い相手に自然と機嫌は下降したが、それが底に到達する前にブルーノは口を開いた。

「ジャックは遊星が何考えてるか分かるの?」
「顔を見れば分かる。……だが最近は、何を考えているのか分からん時がある。何を企んでいるんだ、気味が悪い」
「ボクも遊星が何考えてるのかなんて全然分からないよ?」

 ブルーノは困惑したように眉根を寄せている。ジャックの表情を窺いながらもゆっくりと街道を右折した。ジャックはそれを噛み付くように追いかける。その視線に答えて、ブルーノは言葉を繋いだ。

「遊星もきっとボクが考えてることなんて分からないと思うよ。ただ趣味が近いから、こういう構造を見たら遊星ならこう思うかなってくらいさ。でも気味が悪いなんて思わないし……普通はそうなんじゃないかな」

 黙り通しのジャックが納得していないということに気づいているんだろう。ブルーノは何度か口を開きかけてはやめてを繰り返している。市場に足を踏み入れる直前に、やっと言うべき言葉を見つけたようだった。

「触ってみたら?」
「何だと?」
「遊星は何か知りたいものがある時、まず触るって言ってたよ。ジャックもやってみたら?」
「それはジャンク相手の話だろうが」

 それに遊星は、人に触れるのを嫌がる節がある。人と直接に触れ合うのが得意でないのだろうと解釈して、大抵の同性がそうであるように、特別男同士ベタベタする趣味も無いジャックは最低限遊星と接触しない。拳でのケンカはカウントしないが。

「そうかなあ、遊星、ジャンクだけじゃなくて色んなものに触ろうとするクセがあると思うよ」

 物知り顔なブルーノに何故だか無性に腹が立ったが、その気配を敏感に感じ取ったのかブルーノは腹を防衛しながら距離を取っている。生意気なのでガードの甘い頭にゲンコツを落とした。

 遊星はいつものように、薄暗い部屋の中をひとつの明かりで作業に没頭している。2階ではブルーノが画面に食いついていてジャックの気配に気づきもしないし、まったく呆れた奴らだ。ため息を吐き出しつつ踊り場から更にガレージへと下りた。ガレージ全体の電灯スイッチに触れると、たちまち空間に光が満ちる。

「遊星、またお前はこんな部屋で……」

 作業に没頭する遊星はいつも猫背がちではあるが、今日は完全に丸められている。生真面目だが何かと不精でもある遊星だ。今日はこのまま寝てしまおうとでも思ったのだろう。つくづく人のことは言えない身分の奴だ。なんとなく腹立たしい気分になって足音も隠さずに近づく。遊星は珍しく身じろぎひとつもしない。

「遊星」

 声を張り上げたつもりだったが、思う以上にジャックの声量は低くなった。机を覗き込むと組まれた両腕の上に遊星の横顔がある。目を閉じているとばかり思っていたので、目が合って少し驚いた。叩き起こそうと伸ばしていた指の行き場に迷う。ゆっくりと遊星が顔を上げれば、もう片方の目もジャックを捉えた。最近たまに見る、よく分からない物言いたげな表情だ。しかしその時ジャックには遊星の言外の声が耳を劈くほどに聞こえた。

 ひどく端的に言うなら、ジャックは遊星の考えることが口に出されずとも分かっていた。しかしそれは、付き合いを続けている上で身につけた勘のようなもので、決して特殊な能力などではない。ただの経験の積み重ね、そのはずだ。いや、だった。しかし今、ジャックは遊星の見たこともない表情から、聞いたことの無い声を聞いている。

 ジャック、遊星の乾いた声に弾かれるようにして、ジャックは踵を返し、階段を駆け上った。

(2011-10-03)
初めて聞いた声音(幼馴染みの恋物語-09

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