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糸半ば (遊ジャ)



「……ジャック」
「何だ!」
「それはファッションか何かなのか」

 ジャックは基本的に派手好きだ。昔は貧しかったために、そこまでその性質が露見してはいなかったと思うが、シティでの暮らしがジャックには毒になったと見える。遊星からすると奇抜な服装やフォーマットをよく好んでいる(しかしジャックに言わせれば遊星のセンスもひどいものらしい。納得はしていない)。

「何の話だ!?」

 遊星はグローブに包まれた己の腕をトントンと叩いたが、ジャックは目を見開き、顔中の筋肉で不可解を表明するだけだ。己の腕を見て確かめ、遊星が指摘する「糸」も目の当たりにしているはずなのに、気味悪げに遊星を見返している。

「痣がどうかしたのか」
「いや……そうじゃない」

 ジャックの右腕の手首からだらりと白い糸が一本伸びている。細さは凧糸ほどで、地面に付くか付かないかのところで途切れている。なんだか凧を逃してしまった子供みたいだ。斬新過ぎる。

「何のことかは分からんが朝から妙な言いがかりをつけるのはやめろ!」
「オイオイ朝から血圧高えなあ、っはよお」
「クロウ」
「遊星が腕がどうのと言ってくるのだ」
「腕ぇ?腕がどうしたってんだよ」

 クロウの登場で活路が見出せたと思ったのだが、ジャックに突き出された右腕を見てもクロウは首を傾げるだけだ。二人分の怪訝な視線を受け止めることになった遊星は、2:1で負けを認めざるを得ない。

「……いや、オレの見間違いだったようだな」

 ソファーで眠るブルーノはそのままに、そのあたりに寄りかかったり椅子に腰掛けたりそれぞれで朝食を摂る。ブルーノを叩き起こしてあれが見えないかと2:2に持ち込みたいところだが、早朝までプログラム調整に勤しんでいたのだ。安らかな眠りを妨害するのも忍びない。窓際に寄りかかり紅茶を飲むジャックの横の椅子にさりげなく腰かけ食パンを頬張った。

「遊星。まだ何かあるのか」
「ここに座りたかっただけだ」

 何かあるのかと問われれば大ありだ。正体不明のものをそのまま放置しておけるほど遊星の探究心は浅くない。ジャックがこちらを見ていないことを目端で確認し、糸の先を確認する。問題なく触れる。が、触感は無く重みも感じない。糸の根元近くを握り思い切って引いてみるが、ジャックはぴくりともしなかった。どうやら糸の方が伸びている。益々不可思議だ。ふむ、小さく唸ったつもりがジャックの視線を引き付けてしまった。

「フン……気味の悪い奴め」

 ジャックが階段を下りて行く。遊星が端を持ったままのせいで糸はどんどん伸びる。手を放すと、巻尺のように糸はジャックを追って縮んでいった。

「糸?」

 昼下がりにようやく起き出してきたブルーノにカップラーメンを作ってやりながら、遊星は我慢できずに口を開いた。クロウは配達へ、ジャックはブルーノが起きるなりどことも知れず一人出かけている。糸を引きずったまま。

「どうやら他人には見えていないらしいが、オレだけには見えているんだ」
「フーン……不思議だね」
「信じてくれるのか……!」
「だって遊星がここで嘘をつく理由なんて無いからね。疲れ過ぎてるって感じでもないし」

 さすがブルーノ、冷静で柔軟な判断だ。妙な安心感を得つつも、3分経ったぞとカップラーメンを差し出した。子供のように目を輝かせ、手を合わせたブルーノは早速フタを剥ぎ取った。麺をすすろうとして、何かに思い当たったらしい。不意に遊星と視線を合わせる。

「あ、それってさ、ひょっとして小指?」
「小指?」
「小指と小指を繋ぐ運命の赤い糸!赤い糸が運命の恋人同士で繋がってるって言うんだ。まあ、迷信ですらない、女の子の妄想みたいなものだけどね」

 小指を立て、ブルーノは小さく苦笑した。そういう話は聞いたことがあったが、随分昔、マーサのところに居た頃だろう。どうにもそういうことに疎い自覚はある。が、今回の「糸」はそういうものとは違うものだろうと断定はしていい気がする。

「残念だが小指ではないな。赤くもない。それに糸が伸びているのはジャックだ。オレじゃない」
「へえ……ジャックから……。さっき見送った時は何も無かったけどなあ……」
「やはりお前にも見えないか……」

 見送ったというよりは、のんびり声をかけただけのブルーノにジャックが反発して飛び出した、というのが正しい気もするが。初対面よりは随分軟化はしているが、保守的なところがあるジャックにとって、ブルーノはまだもう少し仲間のラインまで到達していないらしい。困ったものだ。幸いは、ブルーノが全く意に介していないところか。

「それで、その糸誰と繋がってるの」
「繋がってなければいけないのか?ただ垂れ下がっているだけだ。糸の先はきれいに切断されていたな」

 はさみか何かで断ち切られたかのように、斜めのシャープな切り口だった。ずるずる引きずって歩いているのだからもっと毛羽立っていてもおかしくなさそうなものだが、そこはやはり実在する糸ではないからだろう。考えるように目を伏せたブルーノは、箸でカップの中のスープをかき混ぜた。ふん、小さく息を吐いている。

「なんだか……不吉じゃない?」
「不吉?」
「誰とも繋がっていない糸を引きずって歩いてるなんてさ」

「……ジャック。どうした」

 今日は調子が出ないから寝るね、ブルーノがガレージを出て行ってからも遊星は一人で作業を続けていた。ブルーノとは反対に今日は調子が良かったのだ。その手は止めないまま、誰かが階段を下りてくる気配を感じていたが、ジャックだと気づいて少し驚いた。メカニックに関することは自分の分野外だと思うのだろう、テストラン以外で、ジャックはあまり夜の作業には近寄らない。ブルーノが来てからというものそれが顕著だった。目だけ寄越せば、糸は組んだ腕の中に巻き込まれている。

「チームとしてやっていくからには、ここで誰かが欠けたり遅れたりするのは大きな問題だ」
「……そうだな」
「遊星、お前、どこか悪いのか」
「何だって?」

 ジャックの言いたいことがよく掴めない遊星に、ジャックはあからさまに苛ついて見せた。遊星とジャックは根本的に思考回路の経路がまるで違うので、こういうことが時々起こる。ジャックは腕をほどいて一歩前進した。糸がだらりと地面に触れる。

「朝から様子がおかしかっただろうが!ただでさえお前は重要なことを言いもしない欠点があるのだ!まあ、余計なことも言わんがな!」

 芝居がかった大仰な動作で眼前に指をつきつけられた。糸が揺れる。ジャックは怒りの形相だが、遊星は思わず表情が緩んでしまった。思考回路がいかに正反対に組みあがっていたって、行き着くところを間違えなければどんな問題も帳消しだ。と、遊星は思う。

「ありがとうジャック。なんともない」
「フン、気味が悪かっただけだ」
「そうか。悪かった」

 ジャックはもう、自分の手元にある糸を全て断ち切って一人で生きていこうとするような人間じゃない。それこそが正しいと信じ込んでいる孤高のキングではない。不吉なんて蹴っ飛ばして高笑いするだろう。

「ジャック」
「何だ!」
「少しホイール・オブ・フォーチュンの調整についてまとめてみている。今のところマイナーチェンジと言ったところだが。これだ」

 差し出したのはニューエンジンのためにアイディアを走り書いたメモ紙の一枚だが、専門用語が並んでいるだけでなく、遊星の悪筆も合わさってきっとジャックにはよく分からないだろう。それでも必死に紙から何かを読み取ろうとしているジャックに悪いとは思いつつ、糸の先を手に取った。

 この糸なら、ジャックを縛ることもない。遊星が縛られることだってないだろう。遊星にしか見えないこの糸でも、遊星もジャックも一人でないことを証明できる気がして、遊び心のままに自分の右腕に結びつけた。

(2011-08-12)
幼馴染みの糸の色(幼馴染みの恋物語-03

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