※ 2011-08-21 / SCC関西17 / A5オフ / 28P / 遊ジャ
※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8730302
窓から入る陽は明るい。朝一番の電話に耳を傾けながら、眩しさに目を細めた。いいことのひとつくらいはあっても良さそうないい天気だ。地階ではあるが、一階をぶち抜いて作られたガレージは天気さえ良ければ窓から陽光が入る。特に東日西日が明るい。
「ひょっとして今日は修理屋か?遊星」
電話を切った途端に声がかけられたので、遊星は声の主、クロウを振り返って頷いた。家のテレビの調子が悪いから見てほしいと言う。型を聞いたがかなり古い型のようだ。少し手こずるかもしれない。工具をテーブルの上に置き、他に使えそうな部品が無いかとジャンクをまとめた箱を漁る。
「おいジャック、今日もどうせ大した予定なんてねえんだろ?」
「なんだその言い方は!」
「事実だろーが」
階段の踊場の椅子で朝食後のコーヒーを啜っていたジャックは、立ち上がってクロウを怒鳴った。朝から元気が有り余っている。その元気をもう少し有効活用してほしいものだが、遊星はクロウに任せて特に何も言わないようにしていた。遊星だって器用だなんだとよく言われるが、それは手先だけの話だ。結局のところ自分を表す手段はデュエルしか残らない。生き方として自分のことを器用だと思ったことはないし、自分もジャックもそう変わらないと思っている。
「だったら遊星についててやれよ。遊星、しっかりしてるみてーで時々抜けってからな」
「……どういう意味だクロウ」
「この前のこと忘れたとは言わせねーぜ」
クロウは遊星の顔に触れるか触れないかの距離で指を突きつけた。思い当たる節はあったが、あれは不可抗力だろう。依頼の際も特におかしいところは無かったのだ。修理のために向かった民家で悲鳴が聞こえ、踏み込んだところを拉致されるだなんて誰だって思うまい。
「あれは油断していただけだ。一度あったことは二度は繰り返さない」
「オレたち心配したんだぜ?アキなんて怖いくらいだったぞ」
「悪かったとは……思っているが……」
「あんときゃ運が良かったが、一歩間違えば洗脳か死んでたかってわけだろ?一大事じゃねーか」
「……」
返す言葉を失っていると、ジャックが踊り場の手すりを飛び越え、ガレージに着地した。部屋の隅にかけてあるコートを羽織り、D・ホイールのシートを取り去る。
「確かにお前一人では頼りないことは確かだな!チームとしても、また不安要素を呼び込まれるわけにはいかん!」
「いや、平気だジャック。一人で問題ない」
「いいだろ、外に働きに行かねえんだ。中で働いてもらうしかねえ」
「勘違いするな!遊星が頼りないせいでオレに面倒が降りかかっているだけだ!」
力仕事ならまだしも、機械修理ともなれば基本的に遊星一人の作業だ。ジャックと共に行動する方が厄介は多そうな気がしたが、こうなるとジャックはもう引き下がらないだろう。申し出を有難く受け取る事にした。
「やはり、待ってはいなかったか……」
一旦共に依頼主の家には入ったが、依頼主が怪しい人間でないのを確かめると、ジャックはすぐに外に出て行った。手持ち無沙汰と依頼主の好奇の目が気に入らなかったのだろう。現在、表舞台に立つことがほぼ無いとは言え、様々な意味で有名人だ。外で待っているとは言っていたが、予想通り少々時間を食ってしまったので業を煮やしたに違いない。陽の高さを見るにちょうど正午ぐらいか。作業開始から優に二時間は経過している。大人しく待っているとは思っていなかったし、そもそもついて来てもらう必要は無かったのだが、肩透かしを食らった気分になるくらいは許してもらいたい。やれやれと首の筋肉をほぐしながら自分のD・ホイールに足をかけた。
「帰りに何か食べるかと思ったが……」
無駄遣いをすることにならず却って良かっただろう。独り言を風とエンジン音に溶かしながら家路を急ぐ。青天の街は平和そのもの、平日の昼間らしくのんびりと人影が往来する。基本的にニューエンジン開発のためガレージに篭っている遊星だが、たまにはこの時間に外に出るのも悪くないように思えた。
「おっ、遊星!帰ってきたか」
「ああ」
ポッポタイムに戻ると、ガレージの机に体重をかけパンを頬張っていたクロウが片手を挙げる。普段、日中のクロウはほぼ外に居るが、丁度昼食を摂りに戻ったところだったのだろう。お前も食うかとフランスパンを差し出されたので有難く受け取る。
「そういやあ、ジャックはどうしたんだ?」
「退屈だったんだろう。外で待っていたようだが仕事が終わったらもう居なかったな」
「アイツ……ガキじゃねえんだからよぉ。ちょっと待つくらいもできねえのかよ……ったく、しょうがねえなあ!」
塩気の強いフランスパンに大口で噛みついたクロウは、怒りと共にそれを乱暴に咀嚼した。それに苦笑しつつ遊星も同じ物を頬張る。
「だが……あいつの毎日の過ごし方を悪いとも言い切れない気がした」
「ああ?」
「オレたちはこの手で守り、ひとつにしたこの街がどんどん姿を変えていくのに、それを楽しむ暇さえすり減らしている」
この街のために何ができるか。そのために自分たちが何をしていけるか。その答えを探すために遊星たちはWRGPに出場したい。だが、そのために街のふとした変化を見落として生活するのは、なんだか本末転倒だ。不本意そうに遊星の話を聞いていたクロウは、ひとつ深いため息を吐いた。
「……アイツが働いてくれさえすりゃオレたちにだってその暇ができんだよ」
「それは……まあ、そうだが」
「ちはー!ジャックー!いるっ?」
「こんにちは!」
ドアを開け元気な声を響かせたのは龍亞と龍可の二人だ。入り口のスロープをテンポ良く駆け降りて来る。もう学校が終わるような時間らしい。D・ホイールの整備に没頭していた。ずっと同じ姿勢で画面と機体とを凝視していたため、筋肉をほぐすよう軽く伸びをしつつ立ち上がった。
「よく来たな。ジャックはまだ……帰ってきていないようだ」
作業に集中していたため気づかなかった可能性もあったが、D・ホイールがガレージに戻っていないのだ。まだ外に出たままなのだろう。ふらりと外へ出て行って、一日帰ってこないこともあるので、あまり珍しいことでもない。
「どこへ出かけたの?」
「さあな。何も聞いていない。いつもの店に居るかもしれない」
「そう思って龍亞と先にお店に寄ったんだけど……」
「居なかったよ!お店のお姉さんも今日は見てないって!新しいデッキのこと考えてたら、遊星は忙しいからオレが見てやる!って言ってたのに……」
口では棘のあることを言ってはいるが、ジャックは何だかんだと子供の面倒見がいい。龍亞との約束を簡単に破るとは思えないが、忘れてしまったのだろうか。残念そうな龍亞の頭に手を置いた。遊星がデッキを見てやることにする。
「……いいの?」
「遊星、忙しいんじゃない?」
「ちょうど休憩しようと思っていたんだ。いい気分転換になる」
「本当にっ?ヤッター!」
「もう龍亞ったら、単純なんだから……」
相変わらず仲の良い二人だ。龍亞からデッキを受け取り、カードを確認する。横から龍亞が身を乗り出してこのカードはどうでそのカードはああだと熱弁を振るった。出会ったばかりの頃からは考えられないほど相手のことを考えるようになっている。感慨深い。
「おっ、来てたのか。あんまり遊星の邪魔すんじゃねえぞ?」
「クロウ!」
「配達終わったの?お疲れ様!」
「おうよ!」
夜遅くなることもあるクロウの配達業だが、今日は早く切り上げることに成功したようだ。この調子だとそろそろアキもやって来る頃だろう。自然と賑やかになっていくこの時間帯が遊星は好きだ。
「っと、ああ、いいいい。オレが取る」
電話が鳴ったので中腰になったが、近いクロウが受話器に手をかけた。修理の依頼ならば受話器が渡ってくるので気にはしつつ、手元のデッキに意識を向ける。が、すぐに注意が引き戻されることになった。
「ああ?なんだって?わけ分かんねえこと言ってんじゃねえよ!なんかの勧誘なら間に合ってんぞ!うちにはただでさえジャックっていう金食い虫が居んだ!」
「クロウ?」
「はあ?お仲間の一人は預かった?って!……誰のことだよ!」
「こんにちは。お邪魔するわよ」
ガレージ中から無言の視線を集めて、笑顔を残したままアキは瞬きをしている。この場に居ないのは誰か。それを導き出すなり遊星はクロウから受話器を取り上げた。
『無事返して欲しくば、今から不動遊星一人をこれから言う場所へ向かわせろ』
「あんなにでっけえ図体して……誘拐ってアイツ……」
自分で面倒事背負ってきてどうすんだよ、クロウはへなへなとしゃがみ込んで頭を抱えた。そんなクロウにアキは厳しい顔だ。
「そんなこと言ってる場合?遊星を連れて行こうとしていた人たちは手段を選ばなかった。ジャックだって同じ目に……いえ、それ以上の目に合うかもしれないのよ」
「遊星……」
「遊星、どうしよう……」
不安げに龍亞と龍可に両脇から見上げられて、遊星はその背にそれぞれ手を当てた。受話器から聞こえた声に聞き覚えは無かった。というのも、ボイスチェンジャーのようなものが使われていたのだ。犯人から接触があり、遊星一人を要求したということは、遊星に対する怨恨にジャックが巻き込まれた可能性がある。
「とにかく私、深影さんたちに連絡を取ってみるわ」
「ああ、頼む」
アキが受話器に飛びつく。窓にべったりと夕陽が張り付き始めていた。暢気に昇った太陽が、不吉に沈もうとしている。恐らくジャックは遊星を待っている間に捕らわれたのだろう。自分がもっと早くに気づくべきだったのだ、遊星は拳を握り込んだ。
「どうする。遊星」
「ご指名だ。行くしかないだろう」
「間違いなく罠だぞ!」
「それでも行く」
もし遊星の持つしがらみが仲間を傷つけているとしたら、それ以上に悔しいことはない。だったら自分が傷ついた方がいくらかマシだ。クロウには考えていることが分かってしまうのか、気負うなと頭を小突かれたが。
「遊星!深影さんがすぐ来てくれるそうよ!」
「分かった。アキたちはそれを待ってからジャックを探してくれ」
「分かったわ」
『うん!』
「オレはもう行くぜ!さっさと見つかりゃ、お前が危ない橋渡ることもねえんだ!」
「頼む」
「ったく、どこまでも高くつくヤローだぜ!すぐに見つけて首根っこ引きずって帰って来なきゃな!」
ヘルメットを被りクロウが飛び出していく。遊星もその後を追ってガレージを出た。相手が指定してきた場所は埠頭だ。走り出した風を体全体で受け止めて走り出すとふと、遠い昔の記憶が脳裏をよぎった。そうだ、そう言えばそうだった。
――オレは借りがあるんだったな。あいつに。
「誘拐犯」は、サテライトに住む女子供を誘拐して、身代金を踏んだくるという悪質な犯罪だ。金にならなければ誘拐した者をよそへ売り飛ばせばいい。安易に金が稼げることから、サテライト管轄のセキュリティが徹底的に取り締まるまで、そのような事件が度々起こった。
マーサからあまり遠くに行っては危険だと教わり、確かにその通りだと恐れ、きちんと言いつけを守ってハウスの付近で遊んでいるのも、幼い数年の間だけだ。特に男は何かとマーサの目を盗んで遠出したがった。遊星やジャック、クロウもその例外ではない。むしろ率先して飛び出していくやんちゃ坊主の筆頭だった。その日はたまたま、遊星とジャックの二人だけだったが、それが幸いだったかは分からない。クロウにとっては間違いなく幸いではあっただろうが。
遊星とジャックは、当時流行していたその「誘拐犯」に誘拐されていた。
「ジャック。……ジャック、へいきか」
随分高くにある窓では換気扇のプロペラが回っており、日光を通したり遮ったりする。薄暗い室内は狭い。今は使われていないようだが、元はボイラー室だったのだろう。大きな機材やタンクがすぐ傍にそびえている。どこからかぽたぽたと聞こえるのは不規則な水音だ。
「ジャック……!」
腕ごとロープで縛られた状態のまま、なんとか体を起こした。ジャックはぐったりして動かない。ここに入れられる前までは果敢に抵抗していたというのに。それが遊星の不安を倍にした。誘拐犯たちは乱暴ではあったが、命に関わるような暴力まではして来なかったはずだ。
「……いきが、くるしい。せまいところは、きらいだ」
目を閉じたまま、ジャックは浅い呼吸の合間にぼそぼそしゃべった。いつものジャックじゃないみたいだ。確かにジャックはいつも広い場所か、窓の近くにいる。しかし今は二人がやっと動けるようなスペースしか無い。どうしたら少しでも友が楽になるだろうか。いくら考えても分からない。黙り込んだ遊星を、ジャックは億劫そうに見上げた。
「ゆうせい、じかんがない」
それは遊星も考えていたことだ。マーサのことだ、遊星たちが人質になったと知れば全てを差し出してしまうだろう。そうなる前にマーサのところへ戻らなければ大変なことになる。遊星たちだけが路頭に迷うならまだいい、だが遊星たちには多くの血の繋がっていない弟や妹が後に控えているのだ。
「オレがひとりだけのこって、ジャックはかえれるようにする」
「ふざ、けるな……!」
今のぐったりしたジャックを見ればひょっとして誘拐犯たちに聞き届けられるかもしれないと思った。しかしジャックは弱っているくせにきつい目で遊星を睨んだ。点滅する日の光がジャックの目玉をぎらぎら光らせる。
「オレの、ほこりを、きずつけるきか」
ジャックは時々、難しい言葉で難しいことを言う。だが遊星にはいつもなんとなく分かる気がするのだ。しかし、今回の場合はただ納得するだけで終わるわけにはいかない。なんとかしてジャックを助けなければ。苦しそうに寝返りを打って、ジャックは少しだけ遊星に近づいた。
「ゆうせい、ちからをかしてくれ、そしたら、おまえをここからぜったいにだしてやる……」
どうやらトラックのコンテナらしき場所に転がされているジャックは、コンテナに取り付けられた画面の向こうに居る男の、不愉快な笑い声に耐え忍んでいた。ロープで後ろ手と足を固定されていなければ、早々に叩き割っているところだ。血管が顔面で今にも切れそうになっているのが鏡を見なくても分かる。
『いやー……面白いものを聞かせてもらったよ。誰も君が居なくなったって気づいてすらいなかったようだ!むしろ清々しているところかな、金食い虫さん!』
「クロウめぇ……!」
目覚めるなり聞かされた所謂『脅迫電話』を取ったのは間違いなくクロウだ。普段から何かとちょっとしたことで衝突することは多いが、こんな時にまでいつもの節を披露とは。正直なところ、ぼんやりとD・ホイールに寄りかかって遊星を待っているところに、うっかり頭を殴打され捕獲されることより屈辱だ。
「お前たちの目的はなんだ!オレは今のチームから離れる気はないぞ!」
『いやいや、我々も元キングなどお断りです』
「なんだと!」
『知れたことだ。過去の栄光だけのハリボテを飼い慣らす趣味は無いんだよ』
「貴様ぁ……!」
『君は餌だ。不動遊星をおびき寄せ、叩き潰すための!』
どうやらこの男は以前遊星をチームに引き込もうとして失敗した輩らしい。当然の報いを遊星の責任にすり替えて憎んでいること、今回は周到に遊星を叩きのめす準備をしたことを滔々と語っている。聞いただけで胸糞の悪くなる話だ。
『しかし今の電話を聞いたところは失敗か……。君は不動遊星たちからは必要とされていないようだ。それなら、どうしようか……そのトラックもろとも海の藻屑となってもらうしかないようだ!』
「ふざけるな!」
またも不愉快な笑い声と共に画面が消える。と、画面が強い光を供給していただけに視界に暗闇が迫った。しばらく目を閉じ、また開くと、コンテナの隙間から入る細い光がぼんやりと視界を広げた。すぐ背後には愛機のホイール・オブ・フォーチュンがある。光があるうちには意識しなかったが小さなトラックなのだろう。狭い。
「とんだ茶番に……巻き込まれたか……」
深呼吸を繰り返すが、どうしても呼吸が浅くなっていく。閉所に苦手意識を覚えるなど、子供の頃だけの話だ。そんなものとっくの昔に克服している。だが似たような体験が以前の記憶を蘇らせるのか、首元をじわじわと締めつけられているようだ。酸素を失って重くなってくる頭が煩わしい。
「ここだな……!」
ブレーキをかけ、機体を体に沿わせるようにして停車させる。かつては廃倉庫がただ並ぶだけだった埠頭も、今では荷が揚げ下ろしされる立派な港だ。しかし今は夕陽がネオダイダロスブリッジの背景にまで落ちてきている時間である。倉庫はどれも所有会社ごとにペイントされたシャッターが下りており、ひと気はほとんど無い。目端の海面がゆらゆら揺れて、黒と赤とのコントラストを作っている。記憶の電話の声を頼りに徐行運転で目的地を探した。
「何も書かれていないシャッターが半ばほど上がっている倉庫……これか」
半開きのシャッターの向こうからほのかに明かりが漏れ出て、まるで罠ですと自分から説明しているようだ。一瞬顔をしかめ、D・ホイールの画面を確認した。クロウやアキたちから連絡はまだ無い。
「行くか」
D・ホイールから降りないまま、倉庫の中に飛び込んだ。ブレーキをかけ、来たぞと声を張り上げるが何の返事も無い。不審に思いつつあたりを見渡すが倉庫内は静寂そのものだ。しかしこの場所で間違いないはずだ。わずかに感じる、押し殺された気配や息遣いが遊星の勘を刺激している。
「居るのは分かっている!オレ一人だ!さっさと出てきてジャックを返せ!」
やはり静寂、怪しい。犯人の目的は遊星のはずだ。D・ホイールから降りて様子を伺う。カタリ、小さな物音を耳が拾った。跳ぶようにそちらに駆け寄る。その瞬間、体にロープのようなものが巻きついた。それはセキュリティがよく使っている、捕縛用の投げ縄だ。まずいと気づいた時には両腕を封じられ、バランスを崩して転倒だ。
「くっ……なんだこれは……!」
「ハハハハ!かかったな、不動遊星!」
肌で感じていた通りに、あちこちに潜伏していたらしい男たちが姿を現す。中でも一際大きな声を上げたのはつい最近に不本意にも覚えた顔だ。遊星を力ずくで自分のチームに引き入れようとした男である。
「お前は……!しつこいぞ!オレもジャックも、お前のチームなどには行かない!」
「フン、そもそもお前のような人間、我々のチームに相応しくはない。世界中にはお前よりも何倍も速く!強い!D・ホイーラーがいる!」
「懲りない奴だ」
「だがその前に!不動遊星!オレ様の面子を潰してくれたお前は確実に潰す必要がある……!」
確かに遊星筋の怨恨ではあるが、完全に言いがかりの逆恨みだ。怒りを通り越して呆れさえ覚える。しかし、肩でバランスを取ってなんとか立ち上がり、遊星はそんな呑気なことを言っていられない事態を視認した。遊星のD・ホイールにはどこの誰とも知れないライダースーツの男が足をかけている。
「貴様……っ、オレのD・ホイールから離れろ!」
「ハッ、やっと事態が飲み込めたか!これが無ければ、途端にお前はWRGP参加資格を失う!そしてこれを手に入れた今、釣り餌であるお前のお友達も必要なくなった!」
「ジャックとD・ホイールをどうするつもりだ!」
男はニヤニヤと気に入らない顔で笑っているだけで何も答えない。分かっているだろうとも言いたげだ。
「ひとつだけお友達とD・ホイール……どちらも無事に帰ってくる方法がある」
「オレはお前のチームには相応しくないんだろう」
「控えの選手は何人居ても困らない。それに不動遊星、お前はメカニックの腕もある」
尻ポケットにたまたま入れていた工具で縄を断ち切ろうとしているが、相手に見えないようにしながらの作業だ。まだ時間がかかる。アキたちからの通信も入った様子は無い。もし奪われたものを安全に取り返したければ、自分の身ひとつを投げ出した方が簡単で早い。
「――断る!」
しかしここで遊星が犠牲になって無事に帰れても、ジャックは遊星を許さないだろう。それはジャックの誇りを傷つけることになるのだ。
「仲間を捨ててまで保身に走るのか?」
「違う!オレは仲間と、みんなで歩いていける道をいつも選ぶだけだ!」
「だがそれは、共倒れの道の間違いのようだな」
倉庫の電球の光を赤く反射し、遊星の元から離れたD・ホイールがその身を翻した。男たちも素早くそれを追い外に出て行く。
「待て!」
「ハハハハ……!その倉庫ごと消し飛べ!不動遊星!」
シャッターが轟音と共に勢い良く下りた。外気とかすかな波音から遮断された倉庫は途端に空気が淀み、埃くさいようなカビくさいような匂いが鼻孔をかすめる。男の言葉が気になって耳を澄ませてみると、チ、チ、チ……と時計の針の音を拾った。なるほど、絶体絶命というわけだ。
「だが……こんなところでぼうっと吹き飛ばされている余裕はないな」
男たちの目的は、遊星ではなく、遊星からD・ホイールを奪い復讐を果たすことだったのだ。それが達成された以上、男の言葉通りジャックの身も危うい。ぐっと右手の工具に力を込めると、縄の一周がぷつりと切れた。そこをきっかけにぱらぱらと拘束力を弱め遊星の足元に落ちる。動いている対象を一時的に停止させるための仕掛けだ。そこまで頑丈ではない。両手が自由になればあとはどうとでもなる。少し高いが窓もあるし、シャッターをいじってもいい。だが爆発すると聞いた以上、それを放っておく気にはなれなかった。
「……せっかくだ。利用させてもらおう」
力を貸せ、そう言われても小さく弱い遊星には何もできない。何もできないから、こうしてジャックとともに捕らわれている。返す言葉すら浮かばず、ただ打ちひしがれているだけの遊星の肩にジャックは頭を乗せた。苦しそうに息を吐く。ひとつ上で背も高く、いつもは随分偉く見えるジャックが遊星に縋っていた。
「ジャック……」
少しでもジャックの苦しさが分けられやしないかと思って、自分の額をジャックの額にくっつけた。近すぎて少しぼやける視界の中で、ジャックが薄く目を開いた。言葉に出さず、一緒に深呼吸することを促す。初めはひどく浅く、引きつった呼吸をしていたジャックが、次第に遊星と息を合わせることができている。
「もういい。らくになった」
「……よかった」
「おまえは、きみがわるい」
ほっと息をつく遊星を、さっきまでの弱々しい雰囲気など無かったようにジャックは睨んでいる。ひどい言い草だ。力を貸せと言うから、できるだけのことをしたというのに。しかしジャックの言葉には続きがあった。
「そこがない、ふかいぬまみたいだ。でもどこまでもひろがっていて、せまくもくるしくもない」
何もできない。でも遊星は苦しそうなジャックの傍にいてやれる。これひとつだけが、今この瞬間他の誰もが持ち得ない遊星だけの力だ。深い紫の色をした目が明るい輝きを取り戻したことが、遊星のその力を証明してくれていた。
「また……くだらんものを……」
独り言とともに肺を活用して大きく深呼吸をした。軽い酸欠を起こしていたか、しばらく意識が昔に飛んでいたようだ。しかしそのおかげで幼い頃間近に広がったあの藍色の目を思い出した。大変に不本意だが、少し呼吸が楽になった気がする。脳にも酸素が行き渡り、動こうという意欲が戻ってきた。あれから画面からの接触は全く無い。これからも無いと読むべきか。遊星やクロウたちに切り捨てられた可能性はありえないことだと信じておくことにする。
「……?」
どれくらいの時間が経ってしまったのか。扉の隙間からはほとんど光が入ってこない。寝返りを打って仰向けになると、手元に何かが当たっている。触れているとすぐに分かった。カードだ。恐らく腰のホルダーから滑り出てしまっているのだろう。しかもそのうちの一枚はただのカードではない。スリーブに包まれた、幸運のキーカードだ。
「……っ、」
両手を縛られている状態ではやはり自由が限られていて指先を「カード」で切ってしまったようだが、なんとかスリーブから引き出した。それはチーム・サティスファクションとして荒くれ者をやっている頃に、遊星が作ったカードに似せた刃だ。カードの一辺だけが刃になっている。
「あいつのわけの分からん趣味も……たまには役立つようだな……」
器用と言うか、あそこまで行くと病気と言うか。腕や指を何度も攣りそうになりつつも、縄を切ろうと奮闘する。
「どうせ食われるなら美食家の魚に食われたほうがマシだ……!」
もう空はほんのりと赤みを残しているだけで、月明かりの方が強く見えた。少し煤けてしまったジャケットを手ではたきながら重たい潮風から逃れるように走る。手元にある簡単な追跡端末が、D・ホイールの現在地を示していた。以前に比べ格段に治安が向上したとは言え、旧サテライト地区を根城にして良からぬことを企む輩は多い。そこで遊星はチームのD・ホイールに発信機を装着し、その追跡端末をそれぞれに渡した。
「こういう時のために互いの位置を補足できるようにしておくべきだったか……」
ジャックは嫌がりそうだが。安価な白黒の液晶が示しているのは街の大通りだ。そのままネオダイダロスブリッジに乗ってシティに向かうつもりだろうか。速度としては速くない。まとまって行動しているためだろう。どこかで一旦止まっていたのか案外近い。もしかすると爆発を見ていたか。遊星のことは完全に亡き者だと思っているのだろう。
「急がないとな」
夜の埠頭は、夜行の船が着くために却って人が増えていた。先ほどの爆発を聞きつけてかどこか騒然としている。が、残念ながらいちいち状況を説明してやる余裕が無い。通信機器は、基本的にD・ホイールに頼っている。誰かに連絡を取ろうにも時間を食う。
「ひとまずは車道に出るか」
着いた荷を運ぶため発進したトラックの背後のステップに跳び移る。施錠された取っ手を掴んで振り落とされないようにした。幸い、運転手は全く遊星には気づいていないようだ。徐々にトラックのスピードが上がるが、しばらくしてネオダイダロスブリッジとは逆方向に進路を取り始めた。高架の車線に乗ったところで、下の車線にバスが向かってきているのを見た。トラックから飛び降り、低い塀に迷わず足をかけ、タイミングを計ってバスの屋根に飛び移る。風圧と足の痺れによろけつつもバスの表示を確認した。ネオダイダロスブリッジを通りハイウェイに乗る急行だ。
「参った……料金はどう払えばいいだろうか」
すれ違う車から視線の矢を集中攻撃で受けている。しかし今は緊急時だ、後でうまい方法を考えることにしよう。とにかくD・ホイールを奪還し、ジャックの場所を聞き出さなければ。
「オレの時はトラックに放り込まれたんだったな……」
もしジャックも同じ目に合っていたなら、狭く、暗い場所だ。記憶の中で幼い頃のジャックがぐったりと目を伏せている。
「……ジャック、今は隣にはいない。だが、力はいくらでも貸す」
「つよくて、ヒキョーなてきがあらわれたのに、おまえはてもあしもだせないくらいよわい!そんなとき、おまえはどうする?」
「……せいいっぱい、がんばる」
「だめだなぁ、おまえは」
すっかりいつもの調子に戻ったジャックは、近くにあるタンクのようなものに寄りかかって立ち上がった。ジャックはこうして時々、遊星のことを馬鹿にしたような言葉を使うので、そんな時のジャックが遊星は苦手だ。
「じゃあ、どうすればいい」
「つよいあいてにはぜんりょくだ。だが、ヒキョーなヤツをまっしょうめんからあいてしてやるギリはない!」
「ギリ?」
ジャックは遊星の疑問には答えず、部屋の隅にある排気口に歩み寄った。そしてそれを塞ぐ格子を思い切り蹴りつける。大きな音が出て外に漏れていないかと不安に思ったが、すぐに気にしている場合ではないと思い直した。ジャックと並んで格子を蹴りつける。元から錆びていたのだろう。案外簡単に格子は外れた。子供一人がやっと通れるほどの穴を作って、格子はその向こう側に落ちる。が、その着地音は随分小さく遠く聞こえた。ジャックと目を合わせて排気口から外を覗きこんだ。
「ここは……!」
「1かいではなかったか……」
廃ビルの二階。ある程度年齢を重ねてからは、必要に迫られて身体能力が上がり、ビルの二階程度の高さなら難なく飛び降りるぐらいできるようになった。しかし幼い子供にとって、その高さに感じる恐怖は尋常なものではない。
「どうする。ゆうせい」
ジャックは笑っている。だが強く握り締め過ぎた拳が小さく震えている。それでも遊星よりは随分余裕があるように見えて、子供心に悔しく思ったことを覚えている。
「ヘタすればおおケガだ。しぬかもしれない。……だが、うまくいけばオレたちのかちだ」
「おい、速度違反だぞ……っ」
遊星もあまり人のことを言えた立場ではなかったが、吹き飛ばされそうになりつつかなりのスピードを出している車の屋根にしがみつく。車の屋根と屋根とを渡ってここまで来たが、我ながらよく無事にここまで来れている。しかし、危険な綱渡りもここまでだ。
「不動遊星……!」
「爆弾で吹っ飛んだはずじゃなかったのかっ?」
何台かのD・ホイールが一台の車を囲むように走っている。先頭は遊星のD・ホイールだ。しかし背後まで接近したところですぐに気づかれてしまった。目立つのだから当たり前か。速度を上げられ逃げられるとまずい。遊星は腕を伸ばして下にある窓をノックした。
「な、何だっ?なんなんだよお前!いつの間にっ?」
「おい、スピードを出せ!あの車と並ぶんだ!」
「は、はあ……っ?」
「安心しろ!スピードには慣れている!」
「いや、そういうことじゃねえよ!」
「頼む!」
窓から首を出した見た目の派手な若い男は、持ちうる限りの負の感情を混ぜ込んだしかめ面を披露したが、最終的にそれは面倒そうな表情に統一され、窓から引っ込んで車のスピードを上げた。D・ホイールに囲まれた黒塗りの車と並ぶ。
「不動遊星、どうして生きている……!」
「爆弾か」
バラして規模の小さな物に組み直し、シャッター破壊に利用させてもらった。ただし、かなりの荒業を使ったので少々威力を読み違えてしまったが。あんな単純な構造で遊星を消し飛ばせると思っていたなら、かなり甘く見られている。
「く……っやれ!」
D・ホイールに乗った人間が次々と車に接近してくる。ぶつけてくる揺さぶる気か。再び窓を強くノックすると、言うまでもないと言いたげにスピードが尚上がる。下手をすれば転げ落ちて大怪我だ。だが、成功すれば勝つ。これはあの時と同じ状況だ。
「そうだな……オレは、戦わないで苦しみたくはない、負けたくもない、だから戦って勝つ他にない!」
遊星が迫っているのを見てか、遊星のD・ホイールに乗っている男は更に速度を上げたいようだ。だが、スピードに身を任せることができないでいる。あんな調子じゃ遊星の愛機は乗りこなせない。片手でしっかりと車の屋根に張り付きながら、尻ポケットに入れている本日大活躍の工具を取り出した。愛用のモンキーレンチだ。すまない、ひとつ謝罪を念じる。惜しいが仕方ない、愛機に並ぶ一歩手前で工具を思い切り投げる。速さや風の抵抗が不安だったが、工具は見事男の横っ面にストライクした。車を蹴って宙に跳び出し、痛みに悶えるD・ホイーラーを道の端まで蹴り飛ばして愛機に乗り込む。バランスはかなり危うかったが、なんとか持ち直した。遊星が世話になっていた足場の持ち主が、化け物かよと呟いている。
「……どうやらここは、オレの勝ちか」
唖然とする男たちを振り返った。しばらくなんの返事も無かったが、黒塗りの車の窓から出ていた顔が大きく歪んだ。
「だが!お前のお友達は……!」
胸の奥が熱で震えているような、不思議な痛みに引き寄せられて右腕を見た。遊星に答えるように、竜の頭がそこで赤く輝いている。
「ジャック!」
突然、狭く息苦しい空間の一部が夜の車道に切り取られた。アキのモンスター、ローズ・テンタクルスがジャックを覗き込んでいる。アキのサイコパワーに助けられたらしい。夜風と赤みのある車道の灯が流れ込んでくる。
「無事なのね!」
「アトラス様ー!ご無事で!」
「ジャック!やばいよ!早く助けなきゃ!見て、あそこのカーブ……!」
「あんなスピードじゃ曲がれない……!」
女子供が危ない危ないと騒ぎ立てているところから想像するに、この先にカーブがあり、このトラックはそれを曲がるつもりが無いらしい。もちろんここで何もしなければジャックは崖下に真っ逆さまだ。
「こんなところで死ねるものか……いや!このオレが死ぬものか!」
ホイール・オブ・フォーチュンに足をかけ、エンジンを噴かす。
「ジャック……っ!」
「危ない!」
「アトラス様!」
がくんと体が後方に引かれて傾くのが分かった。しかし動じず、坂となったトラックのコンテナの床を駆る。ひとつ咆哮を上げたが、それはジャックのものか、赤き竜のものか分からなかった。右腕の羽が赤く光っている。衝撃によろめきながらも何とかバランスを取って着地した。どうやら赤き竜にもまた助けられたようだ。急ブレーキを切る。
『ジャック!』
「金食い虫が死んでいなくてがっかりという顔だな!クロウ!」
『何アホなこと抜かしてんだよ!人がどんだけ必死になって探したと思ってんだ!』
『ジャック』
まだ続きそうなクロウの憎まれ口に割り込んで、D・ホイールのディスプレイに静かで深い藍色が映り込んだ。遊星は何を考えているか分からない。長年の付き合いでも実はよく分からない。それでもジャックは、遊星がほっとしていると分かる。単純な奴だと知っている。そう思いたいだけかもしれないが。
「遊星!今まで連絡も取らずどこにいたの!」
『そーだぜ!ジャックもお前も!心配ばっかかけやがって……!』
『悪い。D・ホイールが奪われていた。だがこの通り、無事だ。ジャックも無事で良かった』
ジャックが何も答えないでいると、画面越しの遊星はわずかに困ったような表情を見せた。それから、通信が拾うか拾わないかの声でぼそりと呟いた。背後にはまさしく犯人たちが居るようで、衝突音や怒号が遊星の声を更に遠ざけている。
『オレは、お前に借りが返せなかったようだ』
それはいつでもジャックのセリフだ。
「フン!詳しいポイントを教えろ!このまま引き下がってやるほどオレは甘くはない!」
『オレだってそうだ!一暴れしなきゃ気が済まないぜ!』
「私も行くわ」
「オレも!」
「私もよ!」
「牛尾捜査官にもすぐデータを送るわ」
「お前は寝ないのか」
クロウがもう寝る、と階段を上がっていったので、遊星は作業を中断して視線をジャックに送った。ガレージの隅のソファーで足を組み、頭に氷嚢を乗せたジャックがそれを睨み返してくる。作業を始める前と全く同じ姿勢だ。捕らわれる際に殴られた箇所がコブになっているらしい。
「さっきの今で寝る気になれるか」
「確かにこの一日で起こったこととは思えないな」
「お前のせいで散々な目に遭ったぞ!」
それは当然の主張かもしれないが、遊星にとってもただの災難だったのだ。ジャックとD・ホイールを奪還するため奮闘したのだから、差し引きゼロくらいには考えてもらいたいところだ。だが一応、口ではすまなかったと謝っておく。
「……狭かったろ。苦しかったんじゃないか」
「お前いつの話をしている!そんなものとっくに克服したに決まっているだろう!」
「そうか」
いたた、大声を上げたのがコブに響いたかジャックは顔を歪めた。
幼い頃の記憶が強く思い返されて、隣にいない自分をひどくもどかしく思っていた。だが余計な心配だったか。歩み寄って目の前で止まると、ジャックは怪訝な顔で遊星を見上げた。その額に自分の額をつけて紫の目の輝きを確かめる。
「良かった」
「……相変わらず、お前は気味の悪い奴だ」
離れてから少し笑って、良かったと繰り返した。