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Glass Never Empties



 Seasonal Showは、Battle of Unityのオープニングイベントの盛り上がりを見たエンタメ系企業が企画した特別イベントだ。Battle of Unityとは直接関係しないものの、良い宣伝になると考えてBAEで他のチームにも声をかけて回った。もちろん最初はノリ気でない者たちも居たが、最終的にはアレンやアンの熱意に折れた──というか諦めて全員が参加を決めたようだ。

 ヘッズ向けにはチーム分け投票やチームごとの交流会、アーティストたちでは曲作りにレコーディング……バトルの隙間で様々なイベントがそれなりの盛り上がりを見せて続いていった。Shuffle Team Showの興奮が忘れられないらしいアレンは、企画の話を聞いた当初から変わらぬ熱量を維持して全力疾走している。むしろ勢いが増しているのは、まず間違いなく智生の存在があるためだろう。

 一方、アンも珍しくかなり暑苦しい勢いだ。というのもこの企画、主催企業が必要な施設や衣装などに全面協力している。演出はやりたい放題、衣装は使いたい放題アレンジし放題と聞いて、アンは同じ分野に興味を持つライバルたちに声をかけ、Battle of Unityの準備と合わせ日々楽しそうにスキップ疾走していた。那由汰を引き込んだことで結果cozmezが参加することになったので、全員参加の功労者と言えるかもしれない。

 そしてそのアンが最も楽しみにしている日が夏準たちの「秋」チームにもやってきた。衣装合わせと撮影だ。特にこのチームはコンセプトに合わせて普段はまず着ないような衣装ばかりなので、春や夏以上にチーム外のメンバーたちの野次馬が多くなっている気がする。一通りの準備を終えて入ったスタジオには既に賑やかな喧噪が満ちていた。

「おお、夏準さん!! 迫力MAXっすよ!? 生まれた時から着てました!? 1枚1枚!」

 よく晴れた夜の星空のように輝きに満ちた瞳が目ざとく駆け寄って来たので苦笑する。ベストショットが撮れそうな距離に入ったところで口角を持ち上げ、付けた牙を見せてやるとすかさず歓声とシャッター音が上がる。

「今日の葵だけでもおれのスマホほぼパンクなのにみんなビジュがちすぎ! ハオ無限すよ〜」
「夏もなかなか良かったですけどね。斗真くんを夏に選んだヘッズは見る目がありますね」
「ええ!? ここで急にデレ!? 今日の主役は秋のみなさんですんで!」

 大げさな反応で照れ隠しをする姿がおかしくて笑ってしまった。髪を撫でつけつつ視線を泳がせた斗真は、また新たに何かを見つけたようだ。星くずを弾かせるように目が見開く。

「あっ、東夏さーん!」

 ズバッと風を切る音が聞こえそうな勢いで手が上がり、ブンブンと振られる。その視線を追ってゆっくり体の重心を回転させれば、細い影が偉そうに腕を組み怪訝そうに斗真を見返している。当然、その背後に影のように控えて微笑んでいるのは忠成だ。面白そうなので、喜び勇んで飛び出した斗真の後に続く。アレンやアンにもその傾向はあるが、どうも夏準と親交のある斗真は、間に因縁しか無いはずの東夏にも親しみを覚えているように見える。

「写真! 撮りますよ~!」
「……何故お前が僕を」
「そりゃーそんなバチイケ姿、バッシバシ撮っとかないと世界の損失っしょ~!? ほら、夏準さんも!」

 満面の笑みで振り返られたので、人慣れしていない猫のように警戒している東夏に微笑みを循環させる。何故だか理由は全く微塵も分からないが、東夏の顔はますます不機嫌に歪んだ。気にせずに隣に並ぶと、白眼がじろりと顎のあたりの輪郭をなぞっているのを気持ちよく受け止める。

「……가소롭군」
「おや、褒めてくださってありがとうございます」
「は?」
「だって、コンセプトはハロウィンじゃないですかあ。怖がってもらえたなら光栄です」
「だ、誰が怖いだと……! とうとう母語も分からなくなったのか……!」
「그쪽도 잘어울리시네요、도련님?」

 カシャカシャカシャ、シャッター音が途切れずにBGMとなっていることにほぼ同時に気づき二人して視線を音に向けると、忠成が構えるどこから取り出したか分からない一眼レフのレンズと目が合った。その隣の斗真の笑みは引き気味に引きつっている。

「あ、あのー、爆イケ目線はこっちで、お願いしまーす……」

 いつも通りの忠成は気にしないことにし、ひらひら手を振る斗真のスマホに視線を合わせて笑みを作って見せる。不本意を少しも隠そうとしていないが、東夏も一応はじっとしてやっているようだ。

「こんな茶番に、この僕の貴重な時間をどれだけ食い潰されなければならないんだ?」
「まだ準備に時間がかかっている方がいらっしゃるご様子。特殊なメイクもあるようですから」
「たーしかに。準備、大変そうっすよね~!」

 つまらなそうに鼻白んだ東夏は忠成のエスコートで壁際へ移動している。それをちょっと残念そうに見送っている斗真に再び苦笑を送りつつ、夏準も少しだけその場を離れることにした。すぐに戻るという言伝を斗真に託し、そっとスタジオを出る。

 忙しなく人が行き交っているとはいえ、スタジオ内に比べれば廊下は静かなものだ。すれ違うスタッフらしき人びとから時折視線を奪っている感覚が面白い。人に見られることには慣れているが、今日の装いは一際人目を引いている。ただ、だからこそひとつ、気に入らないことがある。

 最初に案内された控室に戻りドアノブを静かに回した。キ、とほんの小さな音で蝶番が鳴き、安っぽいドアが隙間を作る。そこからするりと体を滑り込ませた。世界のすべての音や視線から隔絶された小さな部屋の隅。ペンが紙を滑ったりテーブルを叩いたりする音だけがしている。

 やっぱり。

 口角を少し引き上げて笑うと、唇に偽物の牙が当たる奇妙な感触がした。まるで本当に人ならざるモノに成ったような気分でもしてくる。なるべく足音を立てずにその丸くなった背中のすぐ後ろまで忍び寄った。うつむいて晒された首に人差し指を押し当て、爪を立てる。軽い力でそのまま首筋を引っ掻いた。

「ぅわっ!?」

 ガバリ、あまりの勢いで振り返ってくるので風が起こっている。してやったりと微笑むと、驚きの表情はすぐに呆れに燻っていった。ここで怒りまで振り切れないのがアレンなのだ。

「おお……着替え、終わったんだな。って誰も居ない!?」

 周囲を見渡して今更大騒ぎしている姿に呆れる。この調子だと世界が終わっても気づかずに曲を作っているかもしれない。もし本当にそんなことになれば、きっとまずHIPHOPを分かち合う相手が居なくなったことを嘆くのだろう。またも込み上げてくる気に入らない感情を押し込んで両手を開いて見せてみる。

「どうですか」
「トラックだけ聴かせてもらってるけど、イメージぴったりだな! どんな曲になるのか楽しみだ!」

 どこまでいってもアレンでしかない感想だ。ふ、鼻で笑って少し身を屈める。アレンの肩に手を置き顔を覗き込むように首を傾けた。星を模った大きなピアスがチャラチャラ揺れる。

「見えます? これ」
「え?」

 牙がよく見えるように口を開いて見せると、アレンはまんまと目を丸めて自分から顔を近づけてきた。興味津々に尖った牙を眺めている。

「うわ、すごいな! 付けてるのか?」
「ええ、付け牙です。ヴァンパイアがイメージなので」
「ヴァンパイア! はは、言われるとそれっぽいなあ」
「どうですか?」

 釣りは終わり。口を閉ざして微笑めば、アレンはなんとも言えない表情になった。言葉にせずとも「さっきもう言った」という感情が読める。相変わらず表裏どちらもHIPHOP一色だ。

「曲は、ボクのリリックと歌で最高にならないわけがないでしょう? この格好のことです」
「格好かあ……似合ってるとは思うけど……」
「アナタを魅了できそうですか?」

 自分の好みから外れているので言葉に困っているところを狙い撃ちして微笑む。咄嗟に何も返せない間抜けな顔が愉快だ。

「死者に悪いモノが入って蘇ったのがヴァンパイアだ……という伝説もあるそうですよ?」

 更に身を屈めてアレンの首筋に口を近づける。その緩やかな動きにワインレッドの瞳だけがしっかり追いついてくるのに、手を置いた体は少しも動かない。夏準には創作物でよく見る不思議な力なんて無いというのに。かぱりと口を開け、牙を見せつける。

「本当にヴァンパイアかもしれませんね」

 ふ、息だけを吹きかけるとくすぐったそうに手の下の体が身じろいだ。もちろん、仮止めしただけの偽物の牙で遊ぶわけにはいかない。体を起こして肩から手を離す。

「……夏準」
「なんですか?」

 首でも痛めたように手で摩っているアレンはしかめ面だ。微笑みで先を促してやるが、すぐに後が続かない。歪みのない視線がまっすぐに夏準に注がれ、カラーグラスの下に何があるか探ろうとしている。

「お前こそ、なんだよ」

 想像していなかった返しに不覚にも意表を突かれてしまった。ここに来てアレンはようやく気分を悪くしているらしい。しかも原因はきっと夏準がからかったからではない。BAEにとって大きな事件を、その当事者も当事者である夏準が軽々しく持ち出したからだ。

 ほとほと、どうしようもない。愚かなお人好しだ。

 逃がさない、とばかりにじっと睨み上げられ、今日ばかりは夏準が少しだけ折れることにした。はあ、ひとつため息を吐き腕を組み、ささやかな抵抗で目を逸らす。

「……アナタはこんな調子ですし。アンも西門先生に付きっ切りでしたから」

 いくら待っても何の音も返ってこない。ふう、もうひとつ息を吐いて視線を落とすと、不機嫌そうなしかめ面は穏やかな笑みに変わっていた。やっぱり気に入らない。

「ごめん」
「いいですよ。今、取り返しましたので」

 少しだけ気が済んだのは確かだ。もっと想定通りにからかわれてくれれば尚文句は無かったのだが。すっかり興醒めしたので、組んだ腕を解いて体の向きを変える。

「もうそろそろ始まるでしょう。ボクは行きますね」
「じゃあ俺も行くよ。他の奴らも楽しみだな!」
「そうだ、アレンやアンも、何かそれっぽい服でも借りたらどうですか? ボクの眷属として隅っこでも写り込んでおいたらいいじゃないですか」
「あのなあ……いやでも、ちょっと面白いかも……」

 ブツブツ言いつつ立ち上がるアレンを放って歩き出すと、「夏準」と呼び止められた。ドアノブに手をかけたまま振り返ればアレンが笑みのまま近づいてくる。背中に手が触れ、何かと思っていると、そこに少し力がかかった。あまりに自然な様子でアレンの顔が首筋に近づき、ためらうこともなく歯が肌に立てられた。痛みなど感じないほんの軽い力だが、思っても見ない湿った感触に動揺してしまった。首筋に手を当ててアレンから距離を取る。

「何をしているんですか!」
「何って」

 頭がおかしいとしか思えない不意打ちをしておいて、アレンはちっとも悪びれていない。お前も同じことやっただろ、とでも言いたげな笑みだ。「やろうとしてからかった」のと、「本当にやった」は雲泥の差があると分からないのだろうか。

「ヴァンパイアに噛まれたら仲間になるんだろ? 俺たちのほうがヴァンパイアだったかもしれないぞ」

 ふざけたことを気楽に言い放ち、機嫌良さそうにドアノブに手をかけたアレンは、少しの気負いもなく廊下にスタスタ歩み出している。一体これは。仕事を放り出すわけにもいかず不本意にその背中を追う。

「あー! いたいた夏準、どこ行ってたんだよ! うっわー!! やっぱサイッコーに似合ってる!! 僕、これを見に来たんだよ……って、どしたの?」

 スタジオに入るなり飛び込んできたアンの満面の笑みが、夏準の表情に気づいて怪訝そうに曇った。夏準としてもアンの期待に全力に応えてやりたいが、残念ながら今は到底そんな気分になれないのだ。

「……少し、ムカついています」

 無視するわけにもいかず、なんとか捻り出した真面目な答えだというのに、「夏準がまた変な言葉覚えてる!」とアンまで愉快そうに爆笑を始める始末だ。先ほどとはまるで違う理由で、心底気に入らない。

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