※Pixiv掲載: https://pixiv.net/novel/show.php?id=14376253
※現代パラレル
※お題箱で頂いたお題:PG12の映画を見たいショタんじろに付き添ってあげる近所のお兄さんな義勇さん
二人の土曜日
数学に古文、物理に英語。朝から黒い文字の滝に打たれた後に聞くチャイムはどこかくたびれた響きをしている。わっと歓声を上げたり、ああ疲れたと溜息を吐き出したり。たちまち賑やかな音が溢れる夕暮れの中を冨岡義勇はスタスタ横断する。幾人か声をかけたそうにその横顔を見送っているのだが、一切気づく様子はない。長く続けてきた剣道に培われた無駄のない身のこなしと背筋の正しさ、白く凛と整った面差し、目元に黒い線をはっきり描く分厚い睫毛。その全てが近寄りがたい空気をうすぎぬのように纏わせてしまっていることを本人は知る由もない。冬頃にはもう少しこのクラスにも馴染んでいるだろうと確信している。もう秋も中旬だが。
ともかく、義勇はスタスタ家路を急ぐ。てちてち歩いていないのは近所の道場へ急ぎ向かうためだ。道具一式を学校に持ち込んで直行すればもう少し余裕があるかもしれないが、一度は必ず家に戻ることになっている。家に戻り、道着に着替え、弟弟子を引き連れて道場へ向かうのだ。
義勇の師は鱗滝左近次という。その道場に通う子供たちの多くは鱗滝が引き取った身寄りの無い子供たちだ。幼い頃から厳しく鍛えられてきたおかげで、年齢に関わらず誰もが手練れ。一番年上ながら一番最後に道場へ入った義勇は名実ともに弟の扱いを受けがちだ。しかし六歳年下の小学四年生、竈門炭治郎の登場が義勇を兄弟子へと押し上げた。そう、末子である冨岡義勇は生まれて初めて兄となったわけである。道着に着替えた表情はいつも通り凛と澄んでいるが、内心は喜びと活気に満ち溢れている。かわいい弟弟子のため家に一旦戻ることなど苦であろうはずもないのだ。
最低限の荷物を片手に意気揚々と戸を開けたところ、うわっと慌てた声がした。そうかと思えばどすんと鈍い尻もちの音。目を真ん丸にして義勇を見上げているのはまさしくその弟弟子だ。義勇の目もきょとんと丸くなってしまった。これから迎えに行くはずの男が一体何故ここに。数秒互いにぽけっと見つめ合い、兄たる義勇が先に我に返った。しゃがみ込んでその顔をじっと覗き込む。
義勇が炭治郎を迎えに行くのは、炭治郎が下校後すぐ家業であるパン屋の手伝いをしているからだ。ギリギリまで手伝いをして、義勇が迎えに来たら一緒に道場に向かうことになっている。道場の道のりから言ってもそちらのほうが都合がいい。多少の距離ではあるけれど、わざわざ炭治郎が義勇の家まで来てしまったら遠回りになるのだ。
「あの、ごめんなさい」
一体どうしたのだろうか、義勇は炭治郎を観察して考え込んでいただけだったが、炭治郎は眉を下げて情けない顔になった。何を謝られているのか。弟というのは難しい。時々こういうふうに謎に謎が重なる時があるので、義勇は小首を傾げるしかない。
「怒ってない。別に」
「でも、びっくりさせました」
「それはしたが……」
申し訳なさそうにぺこりと下げた頭の先で赤っぽい毛先がピョンピョン跳ねている。炭治郎はよくできた弟なので、時々丁寧が過ぎる。手を伸ばして柔らかそうな毛先に少しだけ触れた。力加減が分からない。すると炭治郎は上目で義勇の手のひらを見て、おずおず頭を摺りつけて恥ずかしそうに笑う。申し訳なさそうな顔でなくなったのにほっとして、親しげなふれあいに嬉しくなる。思わず笑みが漏れて、そうすると炭治郎の笑みも弾けんばかりになる。
「どうしたんだ、突然」
「はい。あのう……道場に行く前に、義勇さんにお願いがあって……」
「お願い」
炭治郎が申し訳なさそうにしていた理由はこれを切り出す気後れにあったようだ。かれこれ半年ほどの付き合いだが、初めて炭治郎の口から聞いた言葉な気がする。
「お願い」
うっかりもう一度繰り返してしまった。弟から兄へのお願い。これはつまり頼りにされている証ではないだろうか。ついに俺も兄弟子として昇段したか、義勇は居ずまいを正した。
「何でも言え」
「本当ですか!?」
「鱗滝の弟子に二言は無い」
ついでに判断も速い。
期待と緊張を顔にぱんぱんに漲らせた炭治郎は、肩にひっかけていたリュックに腕を突っ込み、市松模様の巾着を取り出した。そしてそれを義勇の眼前に開いてみせる。中には小銭が入っているようだった。
「これ、貯めたお小遣いです!二千円あります!」
「うん」
「映画に!一緒に!映画に!……行きたい、と思って……」
じっと炭治郎を眺めて話の行方を見守っていたが、何故だか勢いが弱くなってきた。また小首を傾げると、炭治郎はぎゅっと巾着を握り締める。耳が赤い。
「すごく流行ってるアニメの映画なんですけど、俺の歳だと保護者が居ないといけなくて。でも、俺の父さんも母さんも忙しいし、あの、刀!刀の出てくるアニメで、剣道やってる人と行ったほうがよくて、いえ、そうじゃなくてももちろんいいんですけど、その」
なんだ、そんなこと。正直なところ拍子抜けしたし、かわいい頼みだとも思う。好きなアニメやマンガの内、何故だか姉と共有しづらかったり、自分が子供っぽく感じて恥ずかしい気持ちになるものがあるのは、義勇にも覚えがある。
「明日でいいか」
えっと言葉に詰まり。ぱっと笑顔が弾け、ハイッと轟く炭治郎の返事は両隣三、四軒に響き渡ったのではと思うくらい大きい。実際隣人が驚いたようにドアから顔を覗かせている。だが弟が元気なことに悪いことがあろうはずもない。立ち上がって尻もちをついたままの炭治郎の右手を取って立ち上がらせる。そのまま手を引いて歩き出した。
今日は金曜日。厳しくも充実した鍛錬を終えれば土曜日。義勇の心は弾んでいて、炭治郎と繋いだ手は秋風の中あたたかい。きっといつもとは全く違った土曜日になるのだろう。
しかしその映画、二人の思う以上の人気作品。二人の土曜日はその封切りの翌日。確かに普段とは異なる様相となったことはまた別の話である。