三、てちてち服薬の旅
刷毛目の徳利の頸を掴み懇々と説教をする勝気なまきをに、盃を両手で包みけらけら笑いで答える須磨。慣れた様子で食事を続ける天元を挟んで、噛み合わないやり取りが湧水のように続いている。それぞれが好き勝手に話したり黙ったり笑ったりしていれば少しくらい険悪にもなりそうなものだが、却って和やかな雰囲気が部屋に満ちているのが不思議だ。そう言えばどこかでも似たようなことを考えたなと思い、炭治郎たちの顔が頭に浮かんだ。緩んだ口元に膳から持ち上げた盃の縁を付ける。杯を空にすると隣に座る雛鶴が酌をしてくれたので頭を下げて謝意を伝えた。まきをと須磨のやり合いに思うところがあるのかどこか申し訳なさそうな笑みだった。
「次はどこ行くんだ」
両端の声がまるで聞こえていない素振りの天元に軽い調子で問われ、義勇はひとまず盃を膳に戻し口元に手を添えた。酒がほんのわずか緩やかにした思考の流れに指先を差し入れ波立たせてみる。
「季節がいいから……鮭大根の美味いところへ行くのはどうだろうか」
「知らねーがどこなんだよそりゃ……」
「それが済んだら炭治郎のところだな。一月に一度くらいは顔を見せてくれと言われている」
「田舎の母ちゃんかあいつ」
負った深手の傷もまあまあ癒え、一番の薬は健康的な睡眠と食事ですと言い渡された時。それなりの時間とそこそこの蓄えがあり、利き腕を失った独り身となるとすることはひとつ、人の作った美味い飯を食うことである。と、まあ、もっともらしく断じてはいるが、全てはほんの思いつきだ。今ぼけっと天元の前に居るのも、明日ぼやっと北へ向かうのも。尊敬する師の生活に寄り添う女性の影にちょっとばかり気まずくなったとも言う。そういうわけで、気まぐれに知り合いと飯を食ったり、美味いと聞いた店に入ったりしてのんびり服薬の日々を送っている。しかし蝶屋敷と炭治郎の家だけははっきりと暦の感覚を持って訪ねるようにしていた。
「炭治郎と禰豆子が望むなら、俺は何でもしてやるつもりだ」
「何でも、ねえ」
匙で椀の中の雑炊を掬い上げると、卵としめじがとろりと震え三つ葉が薫った。出汁がよく染みている。天元を含めこの家の者は皆料理上手なので、この半年で既に三度は訪ねていると思う。
「死ねって言われりゃ死ぬのか」
「望めばな」
雑炊の味に集中しているため多少おざなりな返事になった。そもそもあり得ない仮定の話をされても身が入らない。それが気に入らなかったのだろうか、天元は呆れ切った半眼で猪口を煽った。空いた杯を傍らに差し出すと、まきをが須磨とやり合いながら器用に酒を注ぎ入れる。
「地味なのか派手なのか分かんねえ奴だな」
「普通だ」
「うっわ……お前それまさか本気で言ってんじゃねえだろうな」
天元は顔をしかめたが、逆に問いたい。ここで嘘や冗談を言う意味があるだろうか。顔をしかめ返すしかない。天元はたちまち呆れた表情に戻って息を吐いた。
「ま、会うことあったらお前が来るって伝えといてやるよ」
「要らない。連絡が無いほうが喜ぶ」
「教えてやるが今後は絶対に連絡しろ。連絡のない訪問はド迷惑だ。普通に」
「普通に……」
天元に指を突きつけられ普通を説かれたので義勇は衝撃を受けた。相手を特殊だと確信する義勇と天元の認識は共通しているが、残念ながら自身に対する理解が異なるため通じ合うことはなかった。ただし、今はそれなりに馴染んだ仲くらいにはなっているはずだ。決して手土産の各地の地酒だけが歓迎されているわけではない。前回美味いと言った切り干し大根の煮物が今日は小鉢にこんもり盛られているし、更には突然に何もかも分かったようなことを言う。
「まァ、お前の特権っちゃあ特権かもな。お前が見つけて来たんだ」
切り干し大根をもごもご咀嚼する義勇はそれを飲み込むまで返事はできないし、そもそも特に付け加える言葉もない。にんまり笑みを浮かべると、あーあ、大の男がガキみてェに、ぼやいて天元も笑った。