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やねうつら (炭義禰パラレル)



 カーテンの隙間から漏れる光が細い線を作ってまっすぐ床を走っている。狭い階段からそろそろと屋根裏に上がった炭治郎は、その光の線に引っ張られるように歩いた。どう気を付けても古い床は足を置く度キシキシ音を立てるけれど、それくらいで起きる人ではないともう知っている。寝起きが悪いのは雨の日だけだと言い張っているが、炭治郎から見るとあまり違いが分からない。

 すう、すう、寝息すら静かだ。ベッドに走る光の帯から逃れるためか、壁に向かって横向きになっている。首元で握られた拳が小さな弟の眠る姿にそっくりだった。思わず頬が緩む。やっぱり、と思う。

 ベッドにうっかり手を付けないように気を付けつつ横顔を覗き込んだ。カーテンの向こうから朝日の気配だけが滲む薄暗い部屋の中で、白い頬がぼんやり光って見える。いつもきりりと格好の良い細い眉が今は少し下がっている。瞳を覆う瞼の先に睫毛が幾重にも重なっていて、筆で線が引かれているみたいだ。鼻筋がまっすぐ通っているけれど鼻の頭もその下の口も小さくて、目を閉じていると幼い感じが強くなる。やっぱりかわいい。義勇さんはかわいい。いつものように跳ねた髪のすぐそば、目尻に少しだけ顔を寄せてすぐ離れる。

 早く声をかけないと。分かっているのに口が開かない。ずっとこのまま、一日中眺めていたいなと思う。一年前、最初に出会った日から不思議と炭治郎はそれに気づいていた。とても格好の良い人だけど、それより何よりこの人はかわいい。小さな弟妹たちに興味津々に眺められて困ったり、なんとか名前を思い出そうと長考して固まってしまったり、取り留めのない家族の話をきちんと追おうとして黙り込んだり。そういう匂いがする度、炭治郎の胸はおかしなふうに跳ねる。そして、年上の男の人にそんなこと考えたら失礼かなと思って、それ以上考えるのをやめるようにしている。

 ひとまずカーテンを開けよう、と屈めていた身を起こすことにした。

「うわっ、わあっ、ちょっ」

 けれど、それを狙ったように両腕が伸びてきて首に回る。あまりの不意打ちに何の手立ても取れないままベッドに尻もちを付いてしまった。そして腕に引っ張られるままぐらりと体が傾いて、バタリと倒れ込んでしまう。肩を包むように背後から抱き込まれて身動きが取れない。体中が心臓になったみたいにバクバク血が巡っているのを感じる。

「ぎっ、義勇さん起きて」
「……たんじろうのほうか」

 体の向きを変えたことでカーテンの隙間の光に当たってしまうからだろう、もぞもぞ炭治郎の肩の陰に入ろうと動く義勇がどこかぼんやりした声で言う。その言葉に何故だか複雑な気持ちになって首を巡らせる。義勇の癖毛があるだけで何も見えないが。

「禰豆子のほうが良かったですか」

 拗ねたような声になって自分でも驚いてしまう。義勇は動くのを止め、んんんと低く呻いた。

「べつに。どっちかなら」

 くぐもった囁きが背中に当たったかと思えば、すう、すう、とまた静かな呼吸が始まる。真夏でも涼しそうに見えるような人だが、こうしてくっついていると寝起きのせいもあってかやはり温かい。

「そうですか」

 今度は何故だかほっとして、口元が勝手に笑みになるのを抑えようとむずむずしてしまう。すう、すう、と呼吸する振動が心地よい。ずっとこのままで居ようかな──いや、だめだだめだ。俺は義勇さんを起こしに来たんだ。

「あの、義勇さん」

 んん、返事ともつかないような低い唸り声が一応返ってくる。それに苦笑して義勇の腕に触れる。

「俺、もうこどもじゃないですよ」

 うん、今度は少し返事らしくなった。しかしそれきり何も言わず、すう、すうと安らかな寝息が続いてしまう。義勇さん、と強めに名前を呼んだ。

「俺、もうこどもじゃないです!」
「……そうか……すごいな……」

 露骨にうるさそうな適当な返事だ。むっとして無理やり体を捻り、義勇の腕の中で寝返りを打って向き合った。義勇の瞼はやはり下りたままだ。

「寝ぼけてますよね」
「おれはねぼけてない……ねてる……」
「寝てますかあ……」

 いつもは見上げる白い顔が今は真正面にある。こうして間近で見ると睫毛の分厚さがよく分かった。頬に流れる光の道が眩しくて義勇の額に額を合わせるくらい近づいてそれを避け、その頬に手を置いた。

「義勇さん、俺もう中学生です」
「ふうん……」
「ふうんって」

 あんまり雑な返事に怒りも起きなくなってしまって笑ってしまう。ふっふふ、と肩を揺らしていると、義勇が体を丸めるように身じろいだ。炭治郎の頭を抱えるように引き寄せられる。

「こうしてると、あんしんする」

 ぎゅっと抱き締められると、それに合わせて心臓もぎゅうっと握り潰されたような気持ちになった。どうにか落ち着きたいのに逃げ場がない。ドクドクと血が巡る。目が大きく開いたまま閉じないので乾いていく。

「……俺は全然安心しないです」

 すぐ目前にある白い首筋を拗ねた声で睨みつけ、ゆっくりと顔を寄せた。

「お兄ちゃん」

 もう少しで唇が触れるところで、可愛らしい高い声が軽やかに降ってきた。びくりと肩が跳ねる。顔を上げると、いたずらっぽい笑みを浮かべた禰豆子が炭治郎を見下ろしている。妙に気恥しくて頬が熱い。

「朝ごはん食べるの?寝坊するの?いま決めて」

 言葉は急かしているようなのに、禰豆子の声も表情ものんびりしている。身を屈めて炭治郎の脇腹のあたりに顎をのせて顔をぐりぐり埋めるのでくすぐったい。ふっふふと体を揺らすと、うるさいのか義勇がまた小さく呻いた。

「ねぼうする」

 代わりに答えて、義勇は炭治郎の頭をぎゅっと抱き締めて壁側に体をにじる。ずるずる頭を引っ張られつつ笑みを止められない。同じようにくすくす笑う禰豆子は空いたスペースに腰を下ろした。

「やっぱり。そうだと思った」

 実のところ、炭治郎もそうだと思っていた。母も弟妹もきっとそうだと思っている。今は義勇も炭治郎も禰豆子も春休みなのだ。春休みは短いのだし、こんなにゆっくりできる日はそう多くない。

「義勇さん、もう八時ですよお」

 歌うように禰豆子が言うと、義勇の腕がのったり上がった。その先の手がぱた、ぱた力なく動く。禰豆子は満面の笑みを浮かべてベッドに飛び込んで炭治郎の背にぴったりくっついた。腕がまた下りて禰豆子ごと抱き締めている。

 ずっとこうしていたいなあ、とやっぱり思う。でも早く起きてほしい気もしている。夜の海みたいな蒼い目がゆっくり上がったらきっと、なんでこんなことになっているか分からない顔をする。それも絶対にかわいいに違いない。腹も背も温かくて重くなる瞼がうつらうつら、それを見るためになんとか起きていたいなと思った。

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