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継接 (不死川実弥)



 「幸せになって欲しい」。それがたった一人残った、幸せになって欲しい弟の最期の願いだった。幸せになって欲しい。死なないで欲しい。望まれたのはこの二つ。死ぬなと言われれば生きよう。痣のせいで多少縮んだらしい寿命をぺらっぺらになるまで引き伸ばしてやるつもりだ。だが「幸せ」とは一体何なのか。痛みも苦しみも悲しも無いことが幸せか。毎日ニコニコ笑ってれば幸せか。

 実弥が玄弥に望んだ幸せは何の変哲もない。朴訥な玄弥を理解し溌剌と導く女房が居て、その相手と子宝に恵まれ、山ほどの孫、ひ孫に囲まれる爺になって死ぬ。間違っても鬼に出くわして死んだり、藻掻き回った闇の中に沈んで死んだりしない。どんなに絵心が無いヘタクソな奴でも簡単に描き出せる幸せな絵。その中心に居てくれたらよかった。それを守れたらきっと、実弥も幸せだっただろう。

「アンタ、すっかり穏やかになったねぇ」

 最後のひとつになったおはぎに齧りついたところで、しみじみと声をかけられ思わず眉根が寄った。今食ってるだろうが話しかけるんじゃねェ、と目で返しおはぎを咀嚼する。

「わたしゃ、とんでもないゴロツキにうちの菓子を食わせてんじゃないかって心配してたんだよ」

 黙々とおはぎを食う実弥に構わず口を動かし続ける五十程の女は、「うちの菓子」店を切り盛りする女将だ。最近見かける洋菓子を扱うような洒落た店ではなく、昔ながらの手作り菓子を売る古い店で、軒先には長椅子が二つ並び、その隣に据えられた火鉢に乗る鉄瓶で勝手に茶を飲める。会話を極力せずに済み、その場で買った物をさっと食えるのが便利で通い始めたはずが、いつからか女将に絡まれるようになった。

「大怪我してうまいこと足抜けできたんだろ?そうだろ」

 相変わらず妄想の逞しい噂好きの女である。結果から見ると全く間違っているとも言えないのが面倒くさい。肯定も否定もせず、指に付いた餡を舐め取って湯呑を呷る。空は朝靄が紗をかけた柔らかい春日和だ。鴉が機嫌良さげに風を切って旋回している。

「アンタ、見た目からじゃ全く分かんないけど、優しい男だからねえ。本当に良かったよ」

 ──俺の…兄ちゃん…は…この世で…一番…

「ごちそうさん」
「毎度あり。また来なよ!」

 茶を飲み干し、小銭を椅子に置いて立ち上がった。傍らに立つ女将は実弥より頭一つは小さい。白髪交じりの髪の隙間に覗く笑みをちらりと見遣って歩き出す。

「ああ」

 記憶の中の母は小さくて快活で健気で、少女みたいな人だった。もし生きていれば、あんなふうに歳を取ったのだろうか。栓のない考えだ。人の妄想を笑えない。

 昔ながらの店が立ち並ぶ通りをゆらゆら進む。擦れ違う人がしばしば実弥の顔を見上げ、慌てて視線を逸らしては速足に擦れ違っていく。すっかり慣れた反応なので今更何か思うことも無いが。

「やめろ、それは……!」

 ふと、切羽詰まった声を耳が拾った。数歩戻ったところに長屋の続く小道があり、そこから聞こえてきたものだったようだ。体の大きな二人の少年の背が見える。片方がこれみよがしに巾着を掲げ、もう片方が別の少年を足蹴にしているようだ。

「それで、それで弟の薬を買わなきゃなんねえんだ!返してくれ!」
「ここを通るにゃ通行料が要るんだよ。そいつを知らなかったことを恨みな」

 後ろから見られているとも知れず威勢のいいことだ。腕を組み、仁王立ちになって道の口に立ち塞がる。少年たちは呑気に笑い合いながら身を翻し、走り出そうとして実弥にぶつかることになった。

「なんだおま、」

 大きな傷跡が走る顔や着物の袷から覗く胸板が、面倒を呼ぶ時もあれば避ける時もある。菓子屋が前者なら今が後者だ。たちまち真っ青になって逃げ出そうとする少年の腕を掴む。骨を砕かんばかりの力で手首を握り込めば、あっさりと巾着が地に落ちる。もう片方の少年がそれを目で追っているが、拾う勇気までは無いようだった。

「この道を抜けたきゃ置いてきなァ」

 手を放してやると、ヒイイと間抜けな悲鳴を重ねて少年たちが逃げ出していった。くだらない悪餓鬼にも、そいつを脅かしてやったことにも虚しさしか感じない。はーあ、ため息を吐きながら巾着を拾う。

「あ……それ、は……」

 地に伏せた格好のまま、悪餓鬼どもと同じように、むしろそれ以上に真っ青になった少年が震える声を上げている。悪餓鬼たちと違って手足が細くヒョロリとした体格だ。じっと見下ろし言葉の続きを待ったが、更に小さく縮み両目に涙を溜めるだけだった。とうとう見かね、実弥は脛を弾き出し足先で少年の顎を掬い、煎餅を返すように地面へ仰向けに転がした。うぎゃあ、間抜けな悲鳴が上がる。その胸倉を掴み巾着を押し込んだ。

「隙を見せるんじゃねェ」

 赤くなった顎と懐の巾着に恐る恐る触れている少年の顔には恐怖と困惑が入り混じっている。ハ、ハ、と呼吸も引きつり気味だ。

「泣いて喚いたってどうにかなるかよ。できることを何でも、死ぬ気でやりやがれ」

 言った後で、何故見も知らずの少年に説教めいたことをしてやっているのか分からなくなり苛立った。チ、と舌を打ち、行けと顎で示せば少年も脱兎のように小路を抜け町へ駆け出していく。最悪の気分だ。いつもそうだった。鬼を殺す時も、殺した後も、人のものを平気で踏みにじる奴らを逆に蹂躙していることを楽しんでいる格好でいて、少しも気晴らしにならなかった。

 バサバサと羽音がして振り返った。あまり見かけない若い鴉が文を咥えた嘴を突き出して滞空している。

「オイ待て」

 文を受け取るなり飛び去ろうとするのでそれを止め、懐を探り小袋を取り出す。口を開いて取り出すのは金平糖だ。三つ手のひらに載せて差し出してやると、鴉はおずおずそれを覗き込んで黒い目をキョロキョロさせる。

「駄賃だよ」

 嘴でつんつん転がしながら金平糖を口に含んだ鴉はギャアと元気に鳴いて飛び去って行った。苦笑しつつ金平糖をしまって文を開く。そして固まった。

  ■の状態が悪い。どうにもうまく行かない。助力頼む。  冨岡義勇

 黒い蚯蚓がのたくっている。

「不死川。お前は考える頭が無いのか」
「ハァ?」

 反射でいきり立った声が出た。字が汚い、と乗り込んだ実弥を見ての一言目がこれだ。来いと言うからわざわざ来てやった客に対して玄関先でかける言葉がこれなのだ。相変わらずの唐変木ぶりに血管が浮き上がるのを感じる。

「俺にも無いらしい」
「……ハァ」

 ただ以前とは違い、会話を続けようという気持ちを一応持っているらしいことはこの一年で理解した。そのため、いきなり拳を出すことだけは体中の理性をかき集めて堪えてやることにしている。苛々と息を吐いて相槌の代わりにする。

「字も、技と同じで体で書いているようだ」
「……長くなんのか?だったら先に一発殴らせろォ」
「なんで」

 文には画数が多い字なのか潰れてしまって読めなかった部分があった。状態が悪くなる画数の多い字と言えば、例えば「傷」だろうか。そう考えた自分をまず殴るべきか。不本意そうな表情を浮かべる義勇は、どこからどう見ても憎たらしい程ピンピンしていた。

「俺は技のために左腕も鍛えていた。右と比べて力はさほど劣っていない」
「……ほん」

 全く興味の引かれない話題だ。早く本題を聞き出したい。しかし義勇は実弥の心ない相槌など一切気にしない。

「同じ字を反対から書く。それだけの違いのはずだ。だが字を書くことは利き腕に染みついているから、何も考えずには一字も書けないことに気が付いた。書き出すと、どうしてか文字まで反対になる。右でやっていたことを体がそのままなぞろうとするのに頭が追い付かない。これを直すのが却却骨だ。頭が無いと右の二倍も三倍も時間がかかる」
「……で?」
「やってみるか」
「やってみんわ」

 じっとりと互いを非難する沈黙。大体、そんなに不便なら書くのを止めたらどうなのか。指が二本落ちた実弥も字を書くのには不便があるので、必要に迫られた場合のみ人に頼んでいる。友だち居ねえのか。大抵の場合、この男に対しては理性のかき集め損である。苛々と文を引きずり出しその憎たらしい顔に突き付けてやる。

「見ろ、ここォ。読めねえだろーが」
「潰れているな。すまない」

 押せば素直に引く。困ったことに、この男にはどうやら悪気が無いらしいのだ。そちらのほうがよっぽど厄介である。何故実弥が腹を立てているかを多分この男は一生理解しない。

「糠」
「は?」
「ここは『糠』だ。糠の状態が悪い」

 なるほど、画数が多い。

 そもそも義勇の家にある糠床を作ってやったのも実弥だ。思い出すと苛立ちが蘇りそうなので意識的に忘れ捨てたが、その時も何故かまんまと巻き込まれ、蝶屋敷から様子見に来たという少女たちと一緒になって作った。これじゃ俺の糠床だろうがと文句をつけると、じゃあうちに置いておくからいつでも食べに来いと気色悪い笑みで言われた。肌が粟立った。

「硬ェ」

 義勇が炊いた米は水が少なかったのか炊き方が悪かったのか。硬い白飯と共に糠床から引き上げた胡瓜をハリハリやる。

「そういう時もある」

 太々しい。自分で炊いておきながら硬い飯をまともに食うことをさっさと放棄している義勇は、椀に茶を入れ匙で米を掬っている。

「まだまだ鍛錬が必要だな。いつかは炭治郎たちを驚かせてやるつもりだ」
「人を試し斬りに使うんじゃねェ」

 小芭内風に言えば義勇は大罪人である。人に一体どれだけ面倒を押しつければ気が済むのか。ネチネチ小芭内が責め立て、蜜璃がそれを熱っぽく見つめ、しのぶがこういう人ですからねと助け船を出し、悪気は無いようだぞと杏寿郎が援護する。喧嘩を心待ちにしている天元に、我関せずの無一郎。それを呆れと慈しみで見守る行冥とお館様。気に入らないことはあっても賑やかではあった。今この部屋ではたった二人、向き合っている。

「頭が幸せそうで何よりだな」
「そうだな」

 振り切るように飯をかっ喰らうと、あっさり返事があった。皮肉も通じないようじゃどうしようもない。何が悲しくてこんな奴と飯を食わなければならないのか。さっさと終えて出て行ってやろう。義勇はやはり実弥に構う様子もなくゆったり匙を椀に入れる。

「毎日、何か必ず増えていく。失うこと以外は皆、俺にとって幸いだ」

 そう言って米を掬い、口に入れて静かに咀嚼して飲み込み、義勇はすっきりした目で真正面から実弥を見上げた。

「お前は違うのか」

 いつ見ても沼の底を覗き込んでいる気分になる不気味な目をしているやつだった。溶岩のような粘性の憎しみを無理やり沈め冷やし固めているような気味の悪い目。それが鬼に向かっているのか人に向かっているのか世に向かっているのか、どれにせよまともな奴ではないと思っていた。自分と同じで。

「……違うんじゃねぇの」

 義勇は匙を動かす手を止め、じっと実弥を見ている。その探るような目つきが不快で飯を流し込むことに集中した。椀を空にして膳に叩きつけ立ち上がろうとする。

「待て、不死川」
「あぁ?」

 まさかまだ何か押しつける気なのか。招いておいてほとんど何もやっていないようなものなのだ。片付けくらいは引き受けるべきだろう。思い切り睨みつけてやったが、当然の如くこの男が怯むわけもない。相変わらずのっぺりした表情だった。

「炭治郎に不死川が夕飯世話になることを伝えてある」
「ハァ?」
「枇杷をもらった。届けてやってくれ」

 どうやら人がせっせと糠床をひっくり返して水を切ってやったり汁物を炊いてやったりする間、この男は右腕の二三倍時間をかけて呑気に文をしたためていたらしい。回って来てくれる鴉に託したのでもう伝わっているはずだ、と悪びれもせず男は言う。怒りを滾らせる実弥を心底不思議そうに見つめている内に何かに気づいたらしい。頭が小さく下がった。

「すまなかった。左で書くところを見せてやる約束だったか」
「いつ誰がそんな約束したァ……!!」

 してなかったか。何の飾り気もなく訥と落とされた言葉に、こちらの怒りが一切響いていないことを実感してしまった。まさに糠に釘。怒っていることすら馬鹿馬鹿しくなり額に手を当て大きく息を吐いた。

「お前と話すと疲れんだよ……」
「もうそんなに体力が落ちたのか。無理するな」
「……」

 もう返せる言葉も無い。これはもう、まともに相手をしたら負けだ。そういう勝負だと思えばいい。相手の頸を取るために必要な手段が会話でなかった。それだけの話だ。こいつの言葉は全部川のせせらぎくらいに思っておこう。

「不死川」
「もう喋るんじゃねェ。疲れるって言ったろうが」
「俺たちはもう明日をも知れぬ身じゃない」

 穏やかな川の流れに魚が跳ね、日が当たってきらりと光り目を刺す。そんな馬鹿げた喩えが浮かぶくらいに、うっかり目を上げていた。軒端から入る春の日差しを受けた蒼い瞳は、影の中でも以前のようにほの暗く沈まない。

「誰とも知れず生きてはいけない」

 不愉快だ。クソッタレだ。まずそう思った。自分の中から決して出ようとしなかった男が今、実弥に今更な世の道理を解こうとしている。そんなことは重々分かっている。任を解かれた鴉たちが自主的に生き残った者たちを見守っているのも、蝶屋敷の娘たちや炭治郎たちが実弥を気にかけて文を寄越すのも、隊士たちの墓の傍で墓守の真似事のようなことを行冥から引き継いでやっている実弥を様々な人が訪ねてくるのも、皆その道理に沿っているからだ。支え合い笑みを交わしながら明日へ向かう。そういうことがきっと幸せなんだろう。

 枇杷の他にも一人の時は持ち切れないからとあれやこれや押しつけられ、結局無視することもできず大荷物で炭治郎たちの住む家まで訪ねてきている。考えたくないだけで分かってはいるのだ。結局大人しく言葉通りにしている自分が悪い。だが冨岡、テメェはいつか限界を超えた時にブッ飛ばす。

「わあ、いい匂いですねえ」

 玄関先で早速風呂敷を広げた炭治郎は歓声を上げた。その隣から伊之助が目を輝かせて覗き込む。先程まで木刀を投げて寄越して勝負だとはしゃいでいたが、食べ物を前にすればたちまち休戦になるらしい。皆これくらい単純だと有難い。

「義勇さんにお礼の文を飛ばさないと。実弥さん本当にありがとうございます!」

 まさに絵に描いた満面の笑み。水の呼吸が悪いのか、と呼吸の型に難癖をつけたくなる。こいつもまた「悪意が無い」をとんでもない猛威で振りかざす男なのだ。押し付けられたので仕方なく来てやっただけなので、炭治郎に礼を言われる筋合いは無い。どちらかと言えば義勇こそ地に額を摺りつけて感謝すべきである。絶対にしないだろうが。

「あの、落ちました」

 義勇さんも一緒に来ればよかったのに、という言葉を一睨みで黙殺しつつ、かけられた声を振り返る。おずおずと小袋を差し出すのは禰豆子だ。その禰豆子を盾にするようにこちらを警戒しているのが善逸。何が気に入らないのか、この男は度々こういう態度を取る。

「ああ……お前にやる」
「えっ」

 きっと風呂敷を解いた時に落としたのだろう。食べかけの上、地に付いたもので悪いが、それを気にするような少女でもない。こわごわ袋の口を開け、中身が分かると大きな瞳をぱあっと輝かせる。

「良かったなあ。禰豆子、金平糖が好きなんですよ」
「お、お兄ちゃん!」

 子供っぽく見られたくないのか。わたわたと慌てて兄を咎める姿が珍しい。母によく似て小さい体のくせして、ませたことばかり言っていた貞子を思い出す。いや、違う。全く似ていないだろう。何を考えているんだか。

「……鴉と一緒だなァ」

 やると言われた物を前にした時の慇懃さといい、喜び方といい。思わず笑ったが、それなりの年の娘を鴉に喩えたのはまずかったらしい。禰豆子は何とも言えない妙な表情で俯き黙り込んでしまった。その背後では鬼の形相をした善逸がおり、禰豆子の代わりに怒っているようだ。奇怪な動きでこちらを威嚇している。

 善逸は今にも実弥を追い出したいようだったが、伊之助に引っ付き回られ、炭治郎にどうしてもと懇願され、結局は夕餉を共にした。兄弟のように仲が良い四人の食事はとにかく騒がしい。なんでもないことで笑い、汁の実ひとつで揉め、結局また笑う。耐え難かった。耐え難い懐かしさだった。

 腐っても元は柱だ。夜の道などなんともないが、結局また炭治郎の懇願に折れる形で泊っていくことになった。布団を敷いてさえ騒がしさは続いたが、ようやく寝静まったようなので実弥はそっと布団を抜け出す。

 炭治郎の家は山中の一軒家だ。辺りにはまるで人の気配が無い。鳥の声や虫の音が体を撫でさするように響き合う。星月の光が明るく、家の傍に桜の木々があることに気が付いた。関心が無いせいか、実弥はそういった景色には全く疎い。青白く光っているから、ただそれだけの理由で虫の如くふらふら桜に近寄る。すると、その先、家の裏にもまた青白く光る白い花々を見つけた。地面を覆うように草が茂り、その上に毬を乗せたように丸く小さな花が浮かぶ。

「綺麗でしょう」

 ふう、投げやりに息を吐いて振り返った。申し訳なさそうに眉を下げ、炭治郎は実弥に並んで白い花の元に腰を下ろす。抜け出すことを気付かれている気配はあったが、まさかついて来るとは思わなかった。こっそり帰るとでも思ったのかもしれない。

「母と、弟が三人、妹が一人。ここに埋めました」

 返事をしないのは特に何の感想も感慨も無いからだ。鬼殺隊では「よくある話」である。話す人間を炭治郎から別の隊士に挿げ替えても通用する。じっと白い花を眺めていると、不意に炭治郎が意気込むように息を吸った。

「実弥さん、ずっと寂しい匂いがしますね」

 覗うように上げられた顔は、実弥が炭治郎の言葉で傷ついてはいないか慎重に探る顔に違いない。また厄介な鼻とお節介か、鼻白んで顔を上げる。

「別に、俺だけ特別じゃねェ。くだらねえことをわざわざ口にするな」
「……そうですね。すみません」

 誰だってそうだ。炭治郎の話が「よくある話」なら、そこにある寂しさ、悲しさや苦しさもありふれている。今こうして賑やかに暮らしている炭治郎も、あの朴念仁の義勇ですら、生き残った者は皆拭いようのない寂しさと裏表で生きている。わざわざそれを取り上げて不幸ぶる、そんな趣味の悪いことなど吐き気がする。玄弥もそれを望まなかった。

「会いたいなあ」

 玄弥、その名が胸に浮かんだ時に炭治郎の声が重なり、つい目を下ろしてしまった。炭治郎はもうこちらを見上げておらず、慈しむような優しい目で小さな花々を見つめている。

「禰豆子が残って、善逸や伊之助が居てくれるけど、色んな人が気にかけてくれて、毎日賑やかですけど、やっぱり時々は寂しくなります。寂しいのと、会いたいのは似ているけど違うから」

 弟たちは頭を撫でてやって、ぎゅっと抱きしめて、肩車なんかもしてやって。父さんや母さんには思いっきり飛び込んで、それはもう大きな声でわあわあ泣きたいなあ。ぽつり、ぽつり、穏やかに呟いていた炭治郎はふっと口元を緩めた。

「父さんも母さんも、弟たちも妹も皆、今きっと困った顔してます。今の実弥さんみたいな顔です」

 照れた笑みで顔を上げた炭治郎を凝視し、言われた言葉を間抜けな遅さで理解して思い切り顔をしかめた。すみません、といたずらがばれた子供のように炭治郎はまたうつむいた。

「それが手に取るように分かるのは、きっと幸せなことですよね」

 お節介で天真爛漫な笑みが匡近に似ている。純朴そうで案外頑固なところが玄弥に似ている。だから何だって言うんだろうか。誰かの居ない穴を誰かで埋めたような気になって生きていくなんて最悪だ。クソッタレだ。きっと玄弥の望んだことじゃない。そう思っていた。それでいて、玄弥が何を実弥に望んだのか掴みきれないでいた。

 うつむいた丸い頭で柔らかい髪が跳ねている。手を伸ばそうとして、この男が鬼殺隊として立派に無惨と渡り合ったことを思い返し、敬意を表す必要があったと思い直す。

「乳臭ェ」

 ぐっと握り込んだ拳で頭をぽかりとやると、うわっと全く痛そうでない悲鳴を上げ炭治郎が顔を上げた。むっと頬を膨らませている。

「実弥さんのそういうところ、俺良くないと思います!」
「うるせェ」

 思い出さない日はない。毎日ふとした瞬間、ふとした場所で思い出しては寂しい。痛いし苦しいし悲しいし最低だ。全く笑えない。それでも実弥は不幸ではない。ただ心配ではある。この程度で家族に心配をかけちゃいないだろうか。玄弥の望みを裏切ってはいないだろうか。

 胸に思い返す玄弥は困ったように笑ってこちらを見ていた。

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