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「そのひと」にしか見えない角度 (キ学)



「仲がいい?」

 思わず言われた言葉をそっくりそのまま返してしまった。炭治郎くんと冨岡先生、仲がいいよね。首を傾げた炭治郎をクラスメートは意外そうに見つめた。屋上の隅にまで秋の風が吹いて、花の香りみたいな爽やかな匂いがする。時々同じような匂いの人と擦れ違うから、制汗剤とかそんなものの匂いだろう。それに気づく時、何故だかいつも後ろめたい、照れる気持ちになってしまうから炭治郎は少しだけ鼻の先を明後日に向ける。そんなことをしてもなんの意味は無いが。

「毎日怒られてはいるけどなあ」

 「仲がいい」とは全く逆の状況のような。気まずく思いながら頭を掻いて苦笑する。昼休み、たまたま一人廊下を歩いていたところを引き留められ、相談に乗ってほしいと言われ二つ返事で引き受けたはいいものの、なんだか想像していた困りごとと違うようだ。頼まれる頻度が最も高い喧嘩の仲裁だったら、それなりに実績と自信があるけれど、まさかこの日頃大人しいクラスメートが冨岡先生と喧嘩したとも思えない。

 クラスメートは炭治郎が「冨岡先生と仲よし」だと信じ込んでいるから、こちらも戸惑った様子だ。だって炭治郎くん、先生のこと怖くないんでしょ、と言われて傾けた首を反対側へと傾ける。

「いや、怖いよ。だってすごく足が速いし、先生昔剣道の大会で全国行ったことあるんだって。最初の頃は全然竹刀が避けられなくてさ。スパン、ていい音がするんだけど、これが痛い。すごく痛い」

 頭に思い切り竹刀が命中したことを思い返す。自慢の石頭でなければ無事逃げきっていなかっただろう。真剣に言っているのだが、大きく身振り手振りを入れる炭治郎が面白いらしくクラスメートはくすくす笑う。この子が炭治郎と同じくスパンとやられる日は無いだろうからいいか、と思うことにしよう。

「まあ、それは、俺が校則守れないせいだから。そうじゃない人にはそんなに怖くないと思う。真面目な先生だよ」

 仲がいい、わけではないと思う。でもきっと悪くもない。冨岡先生は毎日真面目に仕事をしているだけだ。怒っている人は怖いから、怖い人のイメージを持ってしまうことは仕方がないと思う。でも、生徒のためになるから怒っているわけで、理不尽な怖い人で片付けられるのはもったいないなあと炭治郎は思う。

「先生が怖いから困ってるのか?」

 尋ねたが、クラスメートは困った匂いと制汗剤の匂いをさせて黙り込んでしまった。伏せられた目の先を追って、炭治郎も柵の向こうを眺める。やっと暑さの落ち着いてきたグラウンドでは、男子生徒がバスケを楽しんでいるようだ。屋上にもそれなりに人が居て、楽しそうに談笑している声が風に乗る。あ、と思ったのは、グラウンドの手前にある特別教室棟の非常階段に独り座る人の姿を見つけたからだった。ひょっとして同じところを見ていたのだろうか。拾うのがやっとのクラスメートの声がボソボソと風の中に巻き取られていく。

 先生が怖い。朝、校門の脇を擦れ違う時、あいさつすると静かに頷いて顔を上げて、また他の生徒を見る横顔が、すごく怖い。厳しい顔で、じっと遠くを見ていて、睫毛が長くて、朝の光に目の色が透けて。あいさつの他の言葉を言ったら、馬鹿だと思われるんじゃないかって思うと怖い。近くに居たら考えていることが何もかもバレて、呆れられるんじゃないかって思うと怖い。

「……何してる」

 何かいい方法がないか、俺も考えてみる。だから思い詰めたらだめだ。炭治郎は真っ青な顔でクラスメートを励ました。こうなったら何がなんでも糸口を掴むのだ。事態は急を要する。残り少ない昼休みを有効活用するべく非常階段に駆け込み、右から左から冨岡先生を眺める。階段を上って擦れ違ってみるが、ここは朝の校門ではないから、炭治郎を不審そうな目が追うだけだ。クラスメートの言う角度にはならない。

「先生って怖いひとですか?」

 冨岡先生の座る段から二段上、必死の炭治郎は率直に本人に確かめることにした。炭治郎が作る影が眉根の寄った怪訝そうな顔を翳らせる。ううん、言われてみると確かに怖い顔をしていることが多いな。

「怖いも怖くないも人から見た時の話だ。俺は知らない」
「なるほど……」

 さすが先生。すっかり納得させられて炭治郎は階段をたしたし下りた。冨岡先生の座っているのと同じ段、ピアスを取られそうになってもギリギリ逃げられる端へ腰を下ろす。真横に座ってみて気付いたが、昼飯だったのだろうパンくずが首元に落ちていた。すん、こっそり鼻を動かすとぶどうの少し甘い匂いがする。それでふふ、と思わず笑ってしまった。何がおかしいんだ、相変わらず眉根には皺が刻まれている。

 きっと、仲は良くない。でも悪くもない。怖いけれど、怖くない。炭治郎の角度から見る冨岡先生は飾らなくて真面目でいい人だ。

「俺は、いい先生だと思います!」
「お前は悪い生徒だけどな」

 すみません、素直に謝って顔色を窺う。冨岡先生は呆れたような深く長いため息の後、ほんの少しだけ笑ってくれた。

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