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金円柑



 柔らかい面差し、涼しい髪色、優しい声音。不思議なもので、ほのかな甘さのようなものがこの男にはある。直刃の強い苛烈な刃文と猪首切先の鋭さのある刀身から出た人の身とは思えない。

 この本丸で人の姿を取って、初めて探したのはあの甘い男の姿だった。唐突に白刃を陽の下に晒されて驚いた。長らく電灯のほかの光など忘れていたからだ。だがそれよりも驚いたのは、太陽よりもずっと近くに黄金色の瞳を見たからだ。柔く甘くべっ甲のように蕩けた瞳がじっと俺の姿を眺めていた。思えば初めからあれは不思議な男だった。何故だか心地よかった。もっと見られていても良かったんだが、あの男はすぐに刃を鞘に納めてしまったからな。

 ううん、首を傾げた。じっとりと湿った夜気の中、廊下をのんびり進む。右に曲がってもだめ、左に曲がってもだめ。今日はなかなかあの涼しい姿が見つからない。あまりに見つからないから、少し面白くなってくる。くふくふ笑いながら諦めずに歩くことにした。未だ空には分厚い雲がかかっているが、遂に雨は止んだ。ところがそうするとねっとりと纏わりつくような暑気がやって来た。人の身を持たねば知らないことだっただろう。面白いと思うが、妙に一期が恋しくなる。一期の声は涼しい。あいすきゃんでえよりも淡く心地よく身に染みる。こう蒸し暑い夜だ。皆そう思うから見つからないのかもしれんなあ。

 誰かと笑い合ったりして、その涼しさ甘さを分け与えているんだろう。優しい男だから、難しい想像でもない。だがそれは、ほんの少し、俺にとっては──

「ああ、三日月殿」

 なんだかいつもより嬉しげな声が後ろからかかって目を丸めた。涼しくて柔い声音。ゆっくりと振り返ると、そこには一期。今日は爽やかで甘い香まですると思えば、手には柑橘の載った小皿がある。

「やっと見つかりました」
「俺を、探していたか」
「ええ、よかった。誰かの部屋に招かれているかとも思ったんですが」

 ふふ、思わず笑うと、笑わんでくださいと一期が照れたような困ったような笑みで言う。だがこればっかりは止まらない。人の身とは難しいもので、心が少し動くとくすぐったくてついつい笑ってしまう。大倶利伽羅などはどうやってこれを我慢しているんだろうなあ。今度聞いてみよう。

「俺もお前を探していた。入れ違ったな」
「そ……う、ですか。これは失礼を。どうされましたか」
「どうされた?」
「私を探しておられたのでは」
「ああ、いや、ただ。お前の声が聴きたくてな」

 短い呻きの後、一期は俯いて淡い笑みを隠してしまった。皿を持たない手の方で胸元を抑えている。急に気分でも悪くなったか。驚いて肩に手をやろうとしたが、その前にがばりと一期は顔を上げた。顔は笑みのままだ。

「どうした?」
「いえ、いいえ。修行が足りんらしい。精進致します」
「うん?そうか。俺も励もう」

 一期で修業が足りんと言うのなら、ここへ呼ばれたばかりの俺はもっと足りていないだろう。相変わらず生真面目な男だと感心する。うんうん頷いていると、それはともかく、とそのまま縁側に腰かけるよう誘われた。否やもなく一期の後に続く。そうして手の皿を手渡された。

「甘夏です」
「あまなつ」

 爽やかな甘い香が手の中から鼻先までふわりと舞い上がる。さあ、と急かされて楊枝を手に取った。そろりと口に運べばじゅわりと甘味が口の中に広がる。おお、と思わず声が出た。一期が笑みを深める。

「この暑さ。人の身を得たばかりでは堪えるでしょう」
「それで、俺を探していたか?」
「ええ」

 口の中にじゅわりとまた甘味が広がった。やっぱりこう暑い日は一期を探すのが正しい。時間がかかっても、すれ違っても、最後には甘夏が食える。

「しかし、直に梅雨も明けると聞いておりますが、相変わらずの曇天で残念ですな」
「残念なのか」
「そうですな。美しい星月夜が恋しいもんです」
「そうか、一期は星が見たいか」
「いえ、私がというよりはせっかく貴方が──」
「ううん、星は無いが、月ならここにあるぞ」

 かたり、と小皿を縁側に置き、その隣りに手をついた。そのまま一期の銅鑼の瞳を覗き込む。丸く見開かれると、それが甘夏よりも甘い色をしていることがよく分かる。三日月に似ているとよく称される打除けがよく見えるように、もっと長く俺を見ているように、じっとそのまま動かずにいる。そうすると、一期がゆっくりと顔を近寄せ──

「あー!いち兄!」

 ぱっと離れて行ってしまった。とたとたと足音を響かせるのは厚だ。この刀も世を長く渡って来た名物だが、短刀にちなんでか見目が童の姿になっていて、そうすると何をしていてもどうも愛らしくなるのだ。よっ三日月と挨拶されて思わず笑みが浮かぶ。

「その甘夏、大将のだろお?暑さにやられてるから大将だけの特別って歌仙が言ってたぞ」

 一拍、静寂を挟んで、一期はひとつため息を吐き出した。不思議そうな顔をしている厚に語って聞かせるには、頼んで余ったものを少し分けてもらったのだという。なるほどなあ、と厚は得心したように頷いた。

「いち兄は三日月には甘いよなあ」
「は……」

 ちらり、何かを憂うような瞳が向けられて首を傾げる。一期は何故だか、それにほっと小さく息を吐いた。そんなことはないときっぱりと否定して、しかしやっぱり甘い瞳をしてこちらを見つめてきている。

「ただ、私はこの方を重んじたいと思う」

 柔らかい面差し、涼しい髪色、優しい声音。一期は否定したが厚は正しい。一期は俺にとって甘夏よりもずっと甘い。

(2018-06-30)
三代目いちみかワンライ「月を愛でる」

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