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笹の葉はみ山もさやに乱ども



※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8143395

 本丸に戻った審神者が手にしていたのは、審神者を優に越える程の笹二本だった。これは何だ、どうしてこれを、と寄り集まる刀剣たちを前に、審神者は粛々と言った。七夕だから、と。今その二本の笹は風雅もへったくれもなく軒下の柱に荒縄で巻きつけられている。処遇を任された山伏や御手杵が立てたものだが、適任は他にも居ただろうなどと歌仙がぼやいているのを聞いた。しかし、短刀らが小さな背丈をうんと伸ばして飾り立てているのを見ると、審神者の選択が間違いばかりとも言えないように思える。もっとも、そんな歌仙も今や熱心に色紙を指先で捏ね回しており、不満などすっかり忘れてしまったように見えるのだが。

 さやさやと鮮やかな緑が乱れて、むっと湿った風が頬を撫でていることに気づく。ささのはさらさら、祭り好きの愛染が得意げに声を上げると、興の乗らないような顔をしつつも蛍丸が、のきばにゆれる、と重ねた。空衣の東を紺で、西の空を紫で染め抜けば天頂のあたりはちょうど紫紺になる。夏は夜、古くからそう言われてきたのもよく分かる。淡い虫の声にいくらかの歌声が重なり、昼間のじっとりした熱を少しずつ宥めている。

 遠くで長谷部の呆れたような声がする。それを悪びれるでもなく聞いているのが同田貫で、その隣で小さな体を余計に小さくして肩を落としているのが秋田のようだ。どうやら手渡された短冊に書かれた内容が七夕に相応しいものでないらしい。主は座右の銘や明日の献立を書くために短冊を渡したわけではない、と長谷部は小言を鳴らしながら結局その二つをできる限り高いところで結ってやっている。それと競うように己の短冊を掲げているのは今剣だ。肩を借りている岩融にまだたかく、まだたかくと強請っている。

 二つの笹のうち一つは、短冊と飾りですっかり埋もれ隙間もない。三日月は重たげに頭を垂れるその笹の下で七夕に沸く庭を愛でていた。賑やかだが、穏やかに夜が深くなっていく。さやさやと、それを笑うように笹の葉と短冊が風に揺れる。愉快な眺めだ。三日月の周りでとぐろを巻くしじまが浮き立つ。心が不思議としんと凪いでいた。

「何も書かんのですか」

 笹がさやと擦れるような控えめな響きがしじまに突如落ち、三日月は声のするほうへぱっと顔を上げた。そこにある顔は親しげで柔和だが、佇む一期は笹の手前に居る。三日月の座る縁側には決して近づいてこない。浮かべる顔色が、本当は頭上の短冊よりも鮮やかなことを三日月は知っている。三日月だけが知っている。

「何でも、望むものを書けばいいとの主のお言葉でしたが」

 弟の多いせいだろう、世話好きのところのある一期は、頭上にある紫紺と同じ色の短冊を三日月が手にしていて、そこに何も書かれていないことを目ざとく見つけたらしい。三日月は笑みを浮かべたまま、一期の柔和で礼儀正しい彼らしい型どおりの笑みをじっと眺めた。そうしているとやっと少しだけ笑顔に困惑が滲んでくる。ふ、と小さく笑って言葉を返すことにする。

「望むのも、叶わなければ望まぬのと同じだ。望まぬでも叶うこともあるな。これは望むのと同じこと。そうは思わんか」

 三日月の言葉は一期にとって思惑の外にあったものらしい。笑顔がぱっと立ち消えた。それに三日月まで驚いて目を瞬くと、何がおかしいのか一期はすぐに顔色を取り戻して小さく笑う。一度不自然に塞き止められた時が、ぎこちなく元の流れに戻っていくのを感じる。

「望むのと望まんのと同じなら、私は望んでおきます。せっかくですから」
「はっはっは、道理だ。では、さて…何を書くか…」

 手元の短冊をじっと見つめた。そうしていれば文字が浮き出てくるわけでもあるまいに。何とはなしに短冊を持ち上げてみると、ちょうどその先には一期の笑みがある。

「では、橋が架かるようにと」

 咄嗟に意味を掴めずにいる三日月に、一期はゆっくりと近づいた。未だかつて近づいたことのない距離に――いや遥か昔に踏んだ土を今懐かしく踏みしめている。

「ですが、望んでも叶わんなら泳いででも川は渡るべきですな」

 一期は、丁寧に「隣によろしいですか」などと尋ねた。それでいて、言葉を失う三日月を楽しむような、この男にしては珍しい、少し意地の悪い笑みだった。

いちみかワンライ「七夕」

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