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あい染め (パラレル)



※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8143395
※ 現代?パラレル、以前twitterで公開したものです。

 境内をぶらつくのにも飽きて、手持ち無沙汰に竹ぼうきを弄ぶ。元々、待つという行為は青江の得意とするところではない。焦らすのも焦らされるのも好きだが、相手の影すら見えないのでは退屈だ。

 ざりざりと掃除の真似事をして玉砂利を掻き回していると、一の鳥居の向こうに小さく人影が見えた。思わず口角がぐっと上がる。まるで恋人との逢瀬だ。この神社の神主たる石切丸がこの場に居れば物騒な逢瀬もあったものだね、と呆れたに違いないけれど。

 人影の動きはのろい。おまけに体の芯が右に左にふらふらと振れて頼りない。何度か立ち止まっては呼吸を整えている。纏っているのは白いシャツとスラックスという涼しげなものだが、それを重そうに引きずっているように見えた。人影は次第に麗しい青年に姿を取り、近づくにつれ儚げな精気がそれを飾っていることを悟らせ、最後にはその真っ青な顔色を青江の視界にはっきりと映し出した。男はそんな態でも折り目正しく深く頭を垂れ、一の鳥居を覚束ない足取りでくぐった。

 はあ、大仰なため息だ。境内に満ちた清浄な空気が、男の肺を洗っているのだろう。命からがら底なし沼から顔を出した者のように、浅い呼吸を繰り返している。ふふ、思わず笑みが漏れてしまった。男はそれでやっと青江の存在に気がついたらしい。驚いたように目を丸めている。

「やっぱり来た」
「青江殿」

 耳を柔らかくくすぐるような声もどこか儚げだ。幼い頃は体が弱く、成人まで生きられないだろうとまで言われていたと聞く。その来歴が姿かたちに滲んでいるのかもしれない。この青年の名を一期という。なるほど、名まで体を表している感がある。

「三日月殿は…」
「居るよ。でも…そろそろ指名料でももらわないといけないくらいだねえ」

 きょとん、と音がしそうな表情だと思った。一期は苦しげに屈めていた身を気力だけで正し、青江の表情を窺ってくる。

「はあ…今までお納めしたお礼は少なかったでしょうか…?恥ずかしながら、こういったことの相場は詳しく分からんもので…」

 なんとも真面目なこの青年らしい言葉に笑みを堪えることができない。冗談を言われたことに尚気づいていないのか、一期は怪訝げな表情のままだ。

「君のそういうカタブツなところ、僕…も、好きだよ」
「はあ…」

 少し考えて並列の表現を使った。一期をいたく気に入っている「もう一人」への青江なりの敬意だ。早速、一期のご指名であるそのもう一人に引き合わせるべく先導する。体を支えるかと尋ねると丁重に断られた。声は掠れているが、鳥居の外で見た時より多少顔色が良くなっている。やはり石切丸の清めた気のおかげだろう。

「石切丸がひどい瘴気だって拝殿に籠ったから、そろそろ来ると思っていたんだ」

 石切丸はこの神社を遙か太古から守る一族の末裔だ。みなし児だったものを拾われたに過ぎない青江はさほど詳しくないが、戦で穢れたこの地を見事に祓い宮を築き、それからはあらゆる禍を退けてきたという。

「それにしても、今回は随分早いね」

 そしてその清く強い血を受け継ぐ石切丸が忌避するほどの邪気を寄せ付けてしまうのが、この一期という男だった。幼い頃の病弱というのも、この男が浮世のあらゆる陰の気を引き寄せて、澱を溜め込んでいたものだったらしい。

 今この障子の向こうにいる一期の尋ね人こそ、その積年の澱をきれいさっぱり祓ってしまった当人である。まだ顔も見ていないというのに、一期の瞳には安堵さえ見える。それがおかしくてまた笑みが喉のあたりで転がった。

「太夫、いつもの上客だよ」
「青江殿…」

 へえ、これは冗談だって分かったのかい。じとりとした批難の視線を他人事のように受け止める。対して障子の向こうは気を害したふうもなく、むしろ伸びやかな笑い声を返しているだけだ。それが余計に一期の眉根を寄せているようだった。それって照れ隠しだよねえ、と追撃を加えると、この男にしては珍しく返事を待たずに障子をざっと引き開けた。

「よく来た、一期。まあ座れ」

 古風な文机に本を伏せ、部屋の主はゆっくりと顔を上げる。こちらも麗しい男だ。だが青江がこの男の姿で一番気に入っているのは、どこか夜を思わせる艶があるところだった。紺青の和装がそれをより引き立てている。男の名は三日月。なるほどこちらも名が体を表している。

 祈祷、中でも清めにおいて石切丸の右に出る者はこの神社――いや日の本にもそうはいない。その清く力強い加持に引き寄せられ、多くの神職がこの神社には集っている。

 しかし修祓、祓いにおいて言えば、三日月の右に出る者はない。もしかすれば青江自身が左くらいには出るかと思っているが、試したいとも思ったことはない。三日月の修祓はあらゆる意味で規格外だ。

「またこれは…ひどい澱だな」

 笑みを口元に残したまま、しかし三日月はすっと目を細めた。すると一期の眉尻が少し下がる。何度も手を煩わせて申し訳ないと嘆いているのは毎度のことだ。

「首か。見せてみろ」
「はい」

 一期はゆっくりと腰を下ろし、それから三日月の元まで膝を詰めた。詰襟の、随分古風なデザインのシャツだと思っていたが、どうやら首元を隠すためだったらしい。一期がボタンをひとつ、ふたつ外すと、すぐに青黒い痣が露わになった。人の手の形がわずかに残り、まるで蝶のようだ。三日月が指の先でなぞると、痛むのか小さい呻きが漏れる。一期の表情は思い詰めたように暗く、さすがに三日月の表情もやや険しい。

「どんな悪い女と交遊しているのかと友人や…家族にまで心配される有様で。このままでは弟の教育にも良ろしくないでしょう」

 しかし、その一言で部屋の重い空気が一瞬で凝固した。青江が先か、三日月が先か。結果だけで言えば二人は声を上げて笑っていた。一期だけが憮然とそれを睨み付けている。

「笑い事ではありません」
「そうだぞ。笑い事ではない。下手を打てば命を落とす」

 ふっと、また空気の質が変わった。三日月は笑みのまま、しかし一期にそれ以上の言葉を許さずに手を伸ばす。こうまで穏やかに、しかもその品位を損なわずに怒りを相手に染み込ませることができるのは三日月くらいのものだろう。指の先が一期の目の下に触れた。

「ひどい隈だ…眠れないか」
「毎夜、眠りにつこうとすると、何かが、首を…」

 苦しみが蘇るのか、顔を歪めて一期は己の首元をこわごわとなぞる。ふむ、三日月はひとつ息を吐いた。素直なこの男には珍しく、どこか呆れた色があった。

「お前はもう少し己の身を案じることだ」

 部屋の隅に重ねられた座布団を手に取り、半分に折って枕にする。三日月はぽんとその枕を叩いた。一期の手のひらを幼子のようにぐいぐいと引いて、横になるよう促している。

「楽にしておけ。すぐに済む」

 一期の前髪を三日月は何度かぱらぱらと梳いた。手のひらで目元を覆い、それを閉ざさせて立ち上がる。手に取るのは太刀だ。床の間の太刀掛に置かれている太刀は、三日月と同じ名を持つと聞く。三日月の名こそむしろこの刀が由来なのかもしれない。しかしこの男が何者で、どこから来て、どうしてここに留まっているのかは誰も与り知らぬことだ。旧知の仲らしい石切丸ならば分かるのかもしれないが、知りたいとも思わない。理由は先と同じ。

「手伝うかい?」
「任せる」

 三日月は青江に笑みを向けたが、もし文字に表したなら「にっかり」にでもなりそうなものだった。それを見て一切の手助けは無用だと勝手に悟る。

 太刀がざらりと鞘から抜かれると、三日月の気が部屋中に満ちた。真冬の夜のような青藍の気だ。それだけで一期に憑くものは圧倒されたらしく、怯えながらも挑むように一期の周囲をぞわぞわと渦巻く。一期が呻き声を上げて苦しみ始めた。首が締まるのか両手でひっかくようにもがいている。三日月の気が一層強くなった。石切丸の清めの気とは質が違う。まるで濃藍一色を使った絵にこの部屋のものを全て封じてしまったかのようだ。万物を三日月の則で塗り替えてしまう、神か、そうでなければ鬼の所業だ。

「悪いが。これは、俺のだ」

 一閃、それだけだった。澱は絶たれ、太刀は鞘に戻っている。部屋には色が戻り、肺には石切丸の清めた空気が戻る。やれやれと青江も深いため息を吐き出した。刺激は好きだが、この時ばかりはいつも心臓に悪いと思ってしまう。

「一期、終わったぞ」

 そんな青江など気にもかけない様子で、三日月は一期の元にしゃがみ込んだ。いつもと変わらぬ緩やかな笑みと、伸びやかな声音だ。いつもよりどこか甘く柔らかい色があることを、もちろん青江は見逃していない。

「嘘のように、息が楽になりました…」

 はあ、はあ、と緩く胸を上下させる一期は、微かながら穏やかな笑みを浮かべている。首元の痣もほとんど消えたようだ。白かった面にも健康的な血色が戻りつつある。この社で少し休めば、精彩に欠けた儚さが薄れ、壮健な美丈夫が返ってくることだろう。

「少し寝ろ。見ていてやろう」

 またも三日月は一期の前髪を先ほどよりも楽しげに弄っている。長い不眠からやっと解放された一期は、最早それに気づくどころか目を開くことすらままならぬ様子だ。礼とも遠慮とも知れぬ言葉が口元でもごもごとくすぶっている。

「しかし、惜しいこと、ですな…見ていなかった…祓う貴方は美しいのに…」

 三日月が目を丸めて動きを止める。青江も思わず呆然としてしまった。あんなに型破りで万物の理を破壊する世にも恐ろしい修祓が美しいとは。青江のように絶叫マシーンのような楽しみ方をしているならまだしも。ぱたぱたと睫毛を上下させて三日月が青江を見上げてくる。

「私には貴方がおらんと…生きて、いけませんな…」

 口の端に笑みを滲ませ、瞳を閉じたまま彷徨わせた一期の手が三日月の手をぎゅっと握った。そのまま眠りに落ちてしまったらしく、規則正しい寝息が部屋を渡っていく。

「タチの悪い女ばかり憑くのも、納得だねえ」

 太古から陽は男、陰は女だというものだが。それにしても一期は「そういったもの」を最も引き寄せる。今回もその例に漏れない。三日月は青江を見上げたままふっと笑った。

「そうだろう?本当に、しょうがない奴だ」

 呆れていると言いたいらしいが、どう見ても惚気にしか見えない笑みだ。タチの悪いと言えば、こっちもそうかな。

さまざまないちみか「不眠症の一期一振×拝み屋の三日月宗近」

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