さて今、遊戯の目の前には一枚のカードがある。何ら特殊加工はされていないはずなのに、白く輝いて見えるのはそのカードが持つ品位というものか。カードスリーブが電灯を反射している、などと俗っぽいことを考えてはいけない。
「うーん……」
M&Wをやる決闘者なら誰しも知っているだろう、世界に一人しか所有者の居ないはずのレアカード、《青眼の白龍》。そしてそれを前に正座して唸るのは、そのカードの本来の所持者ではないはずの遊戯だ。なんだかいつも見るよりカードの中の青眼が鋭い気がするのは気のせいか。君の仲間の一枚だってね、ボクの家に居たこともあったんだよ。
「どうしよう……」
そしてカードの隣には、電話番号の走り書かれたメモが一枚。遊戯はもう一度唸った。それから視線を上げる。窓の向こうはもうすっかり夜の色をしていた。時計が示す時間は宵の口。日没も随分早くなったものだ。
メモの上で踊る番号は、遊戯が調べうる海馬コーポレーションのインフォメーション窓口などの番号いくつかである。電話の子機もこの右手にしかと握られている。しかし、決闘盤の不具合などという単純かつ正当と思われる問い合わせでない以上、どうにも決断は鈍った。
「いきなり社長さんの誕生日教えてください、は無いよねー……」
少し不審な感が漂う。ならば一から経緯を説明すればいいのだろうか。なんだかそれも微妙だ。ボクの誕生日に貸してもらった青眼をこっちも海馬くんの誕生日に格好良く返したいので……だめだ、恥ずかしい。
一応遊戯も出来る限りで調べてみたのだ。大企業の若社長、しかもその強烈なキャラクター、ということでかなり知名度はある人物だ。誕生日ぐらいどこかに漏れ出ているのではないかと希望的観測をしていたのだが、遊戯の探し方が悪いのかまるで分からなかった。遊戯の手に青眼が渡ってもう5ヶ月近くが経とうとしている。
(してないのかな……決闘)
そっと青眼を手に取る。もうこのまま店に……なんて言う祖父から必死に守り抜いて大事に保管してきたつもりだ。だがこのカードは、大事に大事に引き出しに仕舞っておくようなものとは違うような気がする。素晴らしい値打ちや価値のあるカードだと知っているし、格好良くて強いから好きなカードだ。でも遊戯の手にあっては、どこか精彩に欠けているのだ。
(だってもう、随分ボクのとこにあるよ、このカード)
海馬が決闘をしていないなんて、青眼を引き連れてあの闘志にあふれた笑みを浮かべていないなんて、とても信じられない。こうやってその様を思い浮かべるだけで震えるぐらい胸がいっぱいになるのに。
(決闘しようよ、海馬くん)
海馬の誕生日はいつで、今はどこに居るんだろう。ネットの検索で引っかかったビジネス系の情報サイトでは、同い年とは思えないことを語るインタビューが載っていた。3行で解読は諦めた。
もう誕生日が終わったなんてことが無ければいいのに。
(これって暗号なんでしょ)
遊戯がこの青眼を返して始めて、海馬のデッキは完璧になる。それでまた決闘しようって、それがプレゼントなんだろうって、勝手に納得して勝手に喜んでいた。
でも海馬に繋がるきっかけは、すごく難しかった。本当に学校ぐらいしか接点の無い関係だったんだって思い知る。海馬と当たり前のように顔を突き合わせていた時、そこにはいつも『彼』が居た。
(ボクじゃ、やっぱり……まだまだ遠いのかな。)
『彼』は色んな強い絆を色んな人との間に繋げていった。遊戯も海馬も、そのうちの一人だったと言えると思う。それをそのままなぞる気なんて無いけれど、羨み憧れる気持ちはやはりある。
(これが第一歩、かなあ……)
受話器と電話番号メモ、それから青眼を順に確認した。これがきっかけになって、新しい何かに進めるかもしれない。もちろん進めないかもしれない。だが問題は勇気だろう。
「あー……!でも無理!やっぱ無理!何て言っていいか分かんないぜ!」
受話器を放って、冷えた床に倒れこむ。じわじわ頬で受ける冷たさが、変わる季節を遊戯に伝えていた。ここのところ急に寒くなった。
「……冬生まれっぽいかなあ……」
意味の無い呟きを漏らして目を閉じる。青眼が鼻で笑っている気がした。青眼はやっぱり君のところに居ないとダメだ。だから、返すよ。返すからさ、決闘しようよ。
バリバリバリバリ……
「……ん……?」
腰に響くような重たい音が部屋を震わしている。体は未だ心地良いまどろみを求めているのに、騒音がそれを無遠慮に邪魔してきて不快に思いつつ体を起こす。一体何事だろう。目をこすりながら、すっかり太陽の高い青空を映す窓を開け放った。
「どけ!遊戯!」
「へ……?」
頭上で声がして反射で視線を持ち上げる。その丁度視線の先には、ほぼ半年振りの顔が厳しい表情を作ってヘリのドアを掴んでいた。唖然としつつも叫ばれた言葉どおりに窓から離れることができたのは奇跡と言える。その瞬間に、海馬が窓めがけて落下してきた。そして危なげなく遊戯の学習机の上に着地だ。
「な、な……!?」
言葉を発することが出来ず、鯉よろしく口をパクパクと動かしている遊戯をよそに、海馬は忙しくどこかと連絡を取っている。何事か怒鳴りながら机から床に足を下ろした。その間にも開けた窓から聞こえてくる騒音が遠くなっていく。――パタン、通話を切り上げて海馬が携帯を閉じた。そこで初めて呆然としている遊戯に気づいたような顔をする。
「……邪魔をしている」
「げ、玄関から入ろうよー!?」
思わず叫ぶが、海馬は素知らぬ顔だ。白いスーツに青いネクタイと、一歩間違うとヤクザなド派手な格好をまるでフォーマルだと言いたげに着こなしている。仕事の途中なのだろうか。土曜日の遅い朝にまず相応しくない人物と服装だ。あまりに物騒である。
「貴様はこんな時間までぐうたら寝こけていたのか。いいご身分だな。あと5秒窓を開けるのが遅ければ窓をかち割って突撃するところだったぞ!」
「何で突撃!?もっと穏便にお願いします!だからうちには一応玄関ってやつがあるからね!?」
「フン、時間が惜しい!そんな微細なもの、このオレの目には映りもせんかったわ!」
説明を求める遊戯の必死の視線をつまらなそうに受け流し、海馬は遊戯の部屋をぐるりと見渡した。それからベッドの近くの棚に避難させてある青眼を目ざとく見つけて、腕を伸ばす。海馬が手にした瞬間にカードが皓く光ってはっとした。スリーブが陽光を反射している。
「今日が何の日か分かるか?」
「え……あ、もしかして……!?」
「返済日だぞ。遊戯」
ニヤリとひとつお得意の悪い笑み。慌てて横目でカレンダーの日付を確認した。25日、10月25日が海馬くんの誕生日!?馬鹿みたいに立ち尽くして何も出来ないでいると、あからさまに嘲笑される。
「貴様が愚鈍なせいでオレがわざわざ出向いてやることになったのだ。せいぜい心して喝采で祝わんか」
「お、おめでと!本当に!でもびっくりしたよ、君、そういうの嫌いかと思って……!」
「ハ、オレは誕生日というものが大好きだぞ。年端もいかん子供のために己の遺伝子が組み込まれているというだけで目の眩んだ大人どもが阿呆のように金を落としていく日だからな!ワハハハハハハ……!」
それ、自分の誕生日の話じゃないじゃないか。
高笑いをする海馬にかける言葉を完全に失う。昨日の夜まで受話器の前で悶々としていたのが馬鹿みたいだ。あまりに唐突で、何もかも吹き飛ばして海馬はそこに立つ。窓の外の空は深く青い。
「……おめでとう、海馬くん。6月からずっと、祝いたくてたまらなかったよ」
「フン、今日の空はオレに見合いの空だろう」
ふわりと、頭の中で白いカーテンが広がってしぼんだ。教室で見た群青の空が今日の空の色と重なる。少し秋の匂いのする今日の空は群青よりも益々深い気がした。
あの日突然笑ってしまった理由を考える。
「……何だこれは」
「あ、」
ふと海馬が足元のメモ紙を拾った。走り書かれた番号に覚えがあるのだろう、馬鹿にしたような目が痛い。恥ずかしくて目を明後日に泳がせた。
「相変わらず、考えが足りんらしいな」
だって、仕方ないじゃないか!日本に居るかも分からない君への連絡の取り方なんて分からないよ、そう返そうとした。だがぐっと思い留まる。昨日まではその方法は闇の中だった。でも、今ならある。
「返すね、青眼。ありがとう、嬉しかった」
「言われずともこのカードはオレの手中に返ったわ」
「うん、これで君のデッキはこれで完璧だよね?」
デッキを持ってきてないなんて言わせない。勝った暁には海馬へ直通の連絡先でも教えてもらおうか。誕生日に人から物を強請るのかと聞かれたら、海賊とでも山賊とでも呼んでくれと返してやるのだ。魂のカードを託してくれなくったって、気まぐれに学校に来てくれるのを待たなくったって決闘ができるようにしてやる。
(これがプレゼントになるって、ボクの思い上がりじゃないよね?)
海馬と居ると、空は広く深く高い。
海馬と決闘すると、胸は高鳴ってこらえられなくなって笑いが出てしまいそう。
「海馬くん、決闘しようよ!」
だからボクは海馬くんに繋がる道を探すんだ。