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夏度体温・ウルトラブルー



ウルトラブルー

 これ、夢か。

 痛いくらいの日差しも、裸足の裏の飛び上がるようなざらざらした熱さも、遠くから聞こえてくるみんなのはしゃぎ声も、全部が全部いちいちリアルだ。なのにこれが夢だと気づいたのは、豪炎寺の腕の熱さより自分の手のひらの熱さの方が気になって仕方なかったからだ。

 現実でも、こうやって砂浜の上を二人で走ったことがあった。でもそれはこの沖縄の透き通るような海じゃなかった。地元の汚い海水浴場だ。しかし円堂はそれで良かった。豪炎寺と見る現実なら、なんだってきれいに感じるだろう。

 考えてみたら、今この時期にどうして沖縄になんかいれるもんか。夢だと分かるとこの状況の全てはちぐはぐだ。でも足は止まらなかった。走る足の裏の分だけ砂浜がへこむ。少しよろけながら走る。

「円堂、」

 豪炎寺は夢の中でもやっぱり豪炎寺で、みんなの居る方へ戻ろうとする力を感じた。それでも円堂は絶対にその腕を離そうとは思わない。目の前にある白い砂浜ばかりを見つめる。みんなの声はどんどん遠くなる。

「どこに……行ってるんだ。何か新しい特訓でも思いついたのか?」

 何も。なんにも思いつかないから走ってる。

 口に出して説明しなかったのはそれが夢だったからだ。言ったら覚めるかもしれない。止まったら覚めるかもしれない。夢なんかさっさと覚めて今日も練習したいけれど、覚めたくない気持ちが今日だけは勝っていた。

「円堂、怒ってるのか」

 怒ってない。……いや、怒ってるかも。ちょっと。

 どうにもならない時は、どうにかする。そうやって生きてきた。でも今回ばっかりは、どうしたってどうにもならないって言われたみたいなものだ。別に豪炎寺には怒っていないけれど、そういう理不尽を前にやりきれない気持ちばっかり募る。

「ほんと、いつも、『それだけのこと』って思ってたんだ」
「円堂?」

 砂浜にやがてごつごつした岩肌が混じってきた。足を怪我しないように、させないように用心して減速する。掴んだ腕を撫でるようにそっと手を動かして、やっぱり手を繋ぐことにした。根拠なんて無いけど、そっちの方が離れないでいられる気がする。豪炎寺が何も言わないのは、これが夢だからだ。

「いつも、みんなでサッカーやってくのが、『それだけのこと』って!」

 もし怒ってるとしたら、きっと自分にかな。

 足を止めて振り返った。豪炎寺の顔が正面にあるはずなのに、太陽が眩しすぎて見えない。シャツが白い。円堂のシャツなんか、襟首の汚れが落ちないって母親にいっつも小言を浴びせられるのに。どうして豪炎寺のシャツはこんなに白いんだろう。

 遠くでみんなが楽しそうに笑う声がする。もしかしてこちらに近づいて居るのかもしれない。大岩が集まっている足元のすぐ先には、空と同じ色をした波が押し寄せていた。握った手に力を込めても何も言わないから、だったら円堂はそこから海へ飛び込んだ。

 たくさんの泡が目の前を遮る。豪炎寺だけは見失わないように手に力を込めた。段々泡が減って、視界が広くなっていく。片方の手だけじゃ足りない。空いている左手を伸ばして豪炎寺の右手を探り当てた。

 青い。

 青い、本当に海は。そしてすごくきれいだ。本当はこの色を表すのに、すごくいい言葉があるんだろうけれど、円堂には青いしか言えない。夢だからか水の中なのに視界がはっきりしている。息も苦しくない。目端に色鮮やかなサンゴや魚が揺れた。そして目の前には、難しい顔をした豪炎寺が。

 だって、だってオレは。

 豪炎寺がかすかに開いた口元から、こぽこぽ小さな泡が生まれて、宝石みたいだ。豪炎寺ならこの青い色をなんて言ったらいいか、分かるだろうか。

 豪炎寺と離れたくないよ。

 円堂の顔があまりに必死で、おかしかったのか。豪炎寺が難しい顔をやめた。円堂の好きな、仕方ないなっていう顔で笑う。また泡がこぽこぽ空に昇る。これが全部夢だっていうことも、起きたら豪炎寺は何も知らないっていうことも分かっている。でもこの青色はどうにかして覚えていてくれないだろうか。これになんて名前をつけたらいいんだよ。

 真剣な顔をしたらうっかり泣きそうになって、思わずイーって、歯を見せてごまかした。やっぱり豪炎寺は円堂の好きな顔で笑うから、それに思いっきり顔を近づけた。泡がこぽこぽきれいで、だからキスした。

 びくっ、階段を踏み外したみたいな感覚に驚いて目が覚める。そして自分がFFIのための合宿所のベッドの上に居ることを確認して、何とも言いがたい恥ずかしさを感じる。誰に見られたというわけでも無いのだが。

「円堂、起きたのか」
「え……っ?」

 まだ夢の青が頭の端にちらつくような状態で、すぐ間近に豪炎寺の声を聞いて驚く。慌てて飛び起きた。ベッドのすぐ傍にしゃがみ込んでいるのは間違いなく本物の豪炎寺だ。白いシャツではなくて、イナズマジャパンのジャージを着込んでいる。

「豪炎寺!?なんで!?」
「……寝ぼけてるのか?自分で言ったんだろ、早いなら起こせって」

 言われてみれば、確かに言った。昨晩寝る前に豪炎寺を捕まえて。最近、豪炎寺が早朝から夜遅くまで黙々と練習しているのを知っていたから、円堂もとにかく何か、それに付き合いたいと思った。何もできないからって何もしないでいるのは耐えられない。

「あ……うん。ありがとう」
「無理して起きることもないと思う。眠いならもう少し寝たらいい」

 カーテンから漏れる光はまだ弱々しい。それでも豪炎寺の顔には眠気のひとつもなく、今すぐ立ち上がってグラウンドに走り去ってしまいそうだ。半身を起こしてしゃがみ込んでいる豪炎寺の腕を捕まえた。

「円堂?」

 不思議そうに瞬きする豪炎寺に何も言えない。だからその肩に額を押し付けた。目を閉じればあの青が今でも思い出せるけれど、やっぱり何て言っていいか分からない。

「豪炎寺、オレさ……海に行きたいよ」
「……またサボるのか?」

 豪炎寺の声は少し笑っている。なのに円堂は苦しかった。ぐっと腕に力を込める。手を繋ごうと思わないのは、ここが夢じゃないからだ。

「いや、オレは……イナズマジャパンのキャプテンだから」
「そうだな。世界で、勝って……それからみんなで行けばいい。な、海隊長」

 強く握っていたから、豪炎寺の腕に少し力が入ったのがよく分かった。その『みんな』には、お前もちゃんと入ってるんだよな?入ってないと意味ないよ。豪炎寺、あの青、なんて呼んだらいいんだ。

 夢みたいにはできないよ。
 そうしたら本当に、夢になってほしいことも、なってほしくないことも、全部夢になっちゃいそうだ。

(2010-06-27)

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