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デイトライン上のダイバー (ブレイク)



 円堂は特訓、練習、また特訓のサイクルの中でしか生活していないから、比較的夜は早い。昔から母親にも「寝つきだけはいいのよね」なんて言われる。練習疲れで体が勝手に睡眠に直行してしまうのである。
 しかし今日は少しだけ事情が違う。いつもは母親が握っているテレビチャンネルの選択権を手にできたのだ。町内会での仕事が重労働だったらしく、疲れた様子の母親はもう床の中。新聞片手の父親に熱視線を送れば「守の好きな番組でいいよ」のありがたい返答。たっぷり数秒喜びに打ち震えてから、円堂はリモコンを引っ掴んだ。チャンネルに迷いはない。海外リーグの中継番組一直線だ。

「守は本当にサッカーが好きだなあ」
「うん!ほんっっっとぉに!好きなんだ!」
「やっぱり、おじいさんに似たんだろうね」

 試合はまだ始まっていないようで、選手たちのコンディションやそれまでの成績をBGMにしてざわつくスタジアムが映っている。キックオフまではそれまでの試合のハイライトなんかも流れるかもしれない。ちらちら気にしながら父親に笑顔を見せた。

「父さんも一緒に見ようよ!」
「いや、父さんはよく分からないから……」
「見てたら分かるって!」
「そうかな。とにかく風呂に入ってくるよ」
「あ……」

 困ったような笑みを浮かべた父親は、そそくさ立ち上がって居間を出て行ってしまった。母親ですら呆れるほどの長風呂だ、しばらくは出てこないだろう。以前、どうやったらそんなに風呂へ時間をかけられるのかと聞いたら、嬉しそうに文庫本の表紙を見せられたことがある。風呂で延々と読書なんて円堂にはとても信じられない所業だ。ひょっとしたら何かの罰ゲームかと疑うくらい。

「あーあ!絶対おもしろいのに!」

 父親に聞こえるように大きい独り言を呟いてテレビと向き合う。やっぱり納得はいかないが、自分が好きだからって無理強いもよくないだろう。誰かと一緒に見た方が盛り上がりはするだろうけれど、一人で見たからってプロ選手のプレーから精彩が欠けるわけでもない。
 ホイッスルと共に早速動き出す選手たちを目に皿にして凝視した。やっぱり早い。巧い。パスが通って、チャージが成功して、その度に思わず声が出る。素晴らしいプレーの応酬に、最早どっちのチームの応援という意識も抜け落ちてしまった。ミスがあれば頭を抱えるし、点が入れば立ち上がって歓声。それはスタジアムの観客も同じだろう。その熱気がここまで薫ってきているみたいだった。

 やっぱ、サッカーって、最高だ。

 サッカーに詳しくない人間でも名前ぐらいは聞いたことがあるだろう世界レベルのフォワードの選手が、相手チームの隙を見てがら空きのフィールドに躍り出た。思わず拳を握って身を乗り出す。即座に上がってきた敵チームを華麗に交わし、ゴールにボールを突き刺した。ワアア、観客の声は惜しみない。

「豪炎寺……」

 おかしな話だが、自分の声に自分でハッとした。意識して出た言葉ではない。気づけば口を飛び出ていた。しかし、画面の向こうで周囲の選手に肩や背を叩かれているフォワードが、特別豪炎寺に似ているというわけでもなかった。むしろ全く似ていない。お茶目なパフォーマンスでも人気のあるその選手は、ファンに手を振ってその場で宙返りをしてみせた。

 豪炎寺はもっと、サッカーのことしか見えていない奴だ。試合中はただ、相手のゴールを目指してる。そこにボールを、点を決めるためだ。そしてその背中を守るのがオレだ。でも時々、少しだけ敵が羨ましくなる。豪炎寺は仲間なのに馬鹿みたいな考えかもしれないけど、スゲー奴の、スゲーボールは、やっぱりオレが止めたい。
 豪炎寺のボールは、オレが止めたい。

 前半終了のホイッスルにびくりと体が震えた。まだ試合は続いていたというのに、意識がどこかへ飛んでいたらしい。普段ならありえないことだ。他のチームやリーグ、スポーツの試合結果が流れ始めたテレビにかじりつく。そのうち前半のハイライトやベンチの様子が映されるだろう。

 つい先ほどの見事なドリブルとゴールが、テレビのハイライトよりも先に脳内に閃いた。やっぱりかっこいいよなあ、なんて噛み締めて一人頷く。

『ああオレも、やっぱりあの選手は好きだ』

 ふ、とリアルに再生された声はやっぱり無意識の中で、思わず姿勢を正して左右を見渡してしまった。何やってんだろと思わず脱力する。これはつい先日の豪炎寺の言葉だった。練習が終わった部室で、海外リーグの話になったのだ。その時丁度、例のフォワードの話になった。豪炎寺はこのリーグではこのフォワードの居るチームがひいきなのだ。
 ひょっとしたらと思った。テレビに備え付けられている時計の時刻を確かめる。普段の円堂なら、もう夢の中で敵チームのボールをキャッチしている時間だ。だが豪炎寺の家には各種有料チャンネルが揃っていて、『次の日に響かないぐらいなら、中継でなくても起きて見てる』らしい。中継なら尚更気になって見るだろう。

 緊張した面持ちで監督の言葉を聞いている選手たちを横目に、リビングのテーブルを振り返った。中学への進学祝いに買ってもらって、一年以上の付き合いの携帯電話が円堂を見返している。何か特にあるわけでもないのに、こんな時間にいいのか?頭ではそうブレーキをかけようとしているのに、体が勝手に携帯を手にしていた。電話帳には、毎日顔を突き合わせるせいで使う機会の訪れない番号が並んでいる。豪炎寺もその中の一人だ。

『もしもし』
「あ……」

 コール音を聞いたのは3回だけだった。自分からかけておいて、まさか本当に出るとは、などと間抜けなことを考えている円堂には次の言葉が出ない。不自然な間を訝しがって、豪炎寺が円堂?と語尾を上げた。

『どうした。こんな時間に。何かあったか?』
「あー、……えっと。ごめん。起こしたか?」
『いや、起きてた』
「そっか……あのさ、見てる?」

 数秒、また沈黙がある。円堂の言葉が足りないせいだろう。慌てて補おうとしたところで、ふっと息の抜ける音が聞こえてきた。──多分、豪炎寺が笑ったのだ。

『……見てるぞ。お前もか』
「あ……ああ!すっごかったよなー!あのゴール!」
『ああ。やっぱりプロはすごいな』

 豪炎寺の言葉で視線をテレビに戻すと、後半戦が始まったところだった。急いでテレビの正面に戻る。1点先取で勢いづいたチームが、再開早々電撃攻撃でボールを前線に押し出した。携帯を耳に当てたまま、それに見入る。おおとか、ああとか、何か声も上げたかもしれない。瞬く間に繋がったパスがボールをゴールに飛び込ませる。しかし、間一髪のところでキーパーの手がコースを変え、ボールはラインを超えた。

「あちゃー……入らなかったな」
『……このチームが好きなのか?』
「オレはどっちも好きだよ。たださ、豪炎寺がこの前こっちのチームが好きって言ってたから」

 コーナーキックを固唾を呑んで見守る。受話器の向こうも静かだから、きっと豪炎寺も緊張しているのだろうと思った。

『……そんなこと言ったかな』

 だが、間を空けて聞こえてきた豪炎寺の声からすると、沈黙の正体は驚きだったらしい。固まっていたフィールドがあっという間に溶けて流れ出す。それと一緒に、円堂も言ったよ!と声を大きくした。確かに豪炎寺がそう言ったのだ。克明に覚えている。だが、それをあんまり強調するのも恥ずかしいような気がして、やっぱり「言ったって」くらいしか言い返せない。円堂の声が必死に聞こえてしまっただろうか。豪炎寺は少し困ったふうに、分かったから、と宥めるように言った。それが逆に気に入らない。オレは覚えてるのに。お前、覚えてないのかよ。

『だけどオレもどっちのチームも好きだ。さっきのキーパーが好きだな。こっちのチームでは』
「ああ、さっきの」

 反射で選手のフルネームが口から出る。自分と同じポジションだからやっぱり気になるし、好きな選手もキーパーが多い。どのリーグのどのチームだって、キーパーだけは選手の名前は難なく言えると思う。

『お前を思い出すよ』
「オレぇ?」

 このキーパーと円堂は、見た目は勿論内面も随分違う。それは円堂の思い込みではないはずだ。このキーパーはチーム内の冷静な司令塔というイメージが強く、サッカー雑誌にもそうやって書かれることが多い。円堂と似ているところといえばそれこそポジションくらいのものだ。

「どっちかって言うと……鬼道じゃないか?」
『ああ、鬼道にも少し似てる。だけどこの……ほら、諦めの悪さとか。お前を思い出してた』

 画面上で、件のキーパーが動きの逆を突いてきたボールを執念で弾いた。前半の1点が、本来の粘り強さを更に強化したのだろう。会話を中断して思わず上げた緊張の声は、たちまち感嘆のため息に変わる。

『ほらな』
「そうかなあ……」
『だから、お前から電話があって驚いたよ』

 あ、と思った。今度はなんとか声に出さずに済んだ。
 円堂もそうだった。フォワードの見事なプレー、見事なシュートで豪炎寺を思い出してこの電話をかけたのだ。

「なんだ、一緒か……」
『一緒?』

 気づくとおかしくて、思わず笑いが出た。豪炎寺が不思議そうな声を返してきたけれど、うまく説明できる気もしない。嬉しいような、恥ずかしいよう不思議な気持ちになって、うまく説明できたとしても正体不明の何かが溢れそうで、なんでもないとだけなんとか口にした。

『円堂、お前今日ちょっと……何かおかしくないか』
「そっかあ?」
『何かあったんじゃないのか。大丈夫なのか?』

 毎日朝も放課後も、同じクラスだから教室でだって顔を突き合わせている。なのにこの夜中の電話だ。不思議に思う気持ちは分かる。特に何と言うこともなく、こんなに長く通話が続いてしまっているのも、普段携帯をあまり使わない豪炎寺にとっては不可解な状況だろう。円堂だっていつもはそうだ。用件だけ聞いたら、大抵はそこで終わり。

「大丈夫、何でもない。その……変な話だけど、本当になんでもなくってさ……」
『うん』
「でも、電話したかったんだ。お前に」

 スゲー試合だったからさ、なんて言い訳みたいにくっつけた。わあわあ、一際大きい歓声が聞こえる。苦しいパスコースを突き抜けたボールが、ゴールの隅スレスレでキーパーの後方に回り込んだ。試合は同点、これで振り出しに戻ったのだ。実況が興奮気味にたった今のゴールを誉め称えている。受話器の向こうでも微かにその音声がした。豪炎寺が黙っているからだ。

『……円堂』
「うん?」
『オレは、お前のことが嫌いだ。だから、もうかけてこないでくれ』

 ピィィ、と審判が笛を吹いた。
 その後の試合は、2対1で豪炎寺ひいき(と円堂が思い込んでいた)チームの勝利で終わった。豪炎寺が円堂に似ていると言ったキーパーが、ゴールを割られてしまったのだ。

 試合の流れは克明に覚えているが、豪炎寺との電話は、その後何を話したか、切ったのはいつかさえ思い出せない。

 ゴーグル越しの目が少し見開いているのが分かった。そのレンズに映っている自分の顔も似たような表情だ。朝一番の部室、誰も居ないかと思って飛び込んだのだが、ドアの向こうには今にもグラウンドに駆け出そうとする鬼道が居て、危うく正面衝突するところだった。

「早いな、豪炎寺」
「……お前に言われたくない」

 豪炎寺の答えに鬼道は苦笑するしかなかったようだ。豪炎寺より先に部室に辿り着いて、すっかり準備を終えてしまっているのだから、豪炎寺に反論する材料などひとつも持っていないはずである。

「今日はたまたま早くに目が覚めたんだ」

 お前もそうなのか、答えを求めるでもなく独り言のように呟いた鬼道がわずかに体をずらした。今は鬼道が入り口を塞いでいる状況なので、入れ、ということなのだろう。
 部室には鬼道の他に誰も居ないようだった。春休みの間も毎日練習はしているが、まだ集合時間までは一時間以上あるのだ。それが当然だろう。

「いつもこの時間か?」
「いや……オレもたまたまだ」

 歯切れが悪くなってしまったのは、心の奥底でちらついた動揺が滲んだからではない。あくびを噛み殺すためだ。目元に浮かんだ涙を拭いながらユニフォームに袖を通す。

「……眠いのか?」
「まあな」

 それ以降、鬼道は黙り込んでしまった。鬼道も豪炎寺も、円堂のように口が回るほうではない。二人の間に沈黙があるのは特に珍しいことでもないが、今日ばかりは少し居心地が悪かった。鬼道がこちらをじっと見つめているのが分かるからだ。耐え切れず視線を合わせると、ゴーグルの向こうには探るような慎重な色が見えている。

「……なんだ?」
「今日は、朝はやめておいた方がいいんじゃないか」
「鬼道?」
「寝不足なんだろう」

 つらつらとコンディションの重要性を説く、マネージャーが乗り移ったかのような鬼道を今度は豪炎寺が凝視する。その怪訝に気が付いたのだろう。鬼道は一度口を閉じて、ゴーグルのすぐ下あたりを指差した。曰く、隈だ。豪炎寺は今度こそ、動揺をうまく表情の下に隠す方法を忘れてしまった。

「ちゃんと寝たのか?」
「……」
「豪炎寺」
「朝方に、少しな」

 はあ、鬼道の深いため息の音が静かな部室に響く。こうなった鬼道に逆らっても何も得することはない。正直に、素直に対応しておかないと、完膚なきまでに論破されねじ伏せられてしまうのだ。

「円堂か」
「……!」

 見開くと、寝不足で乾いた目が少し痛む。豪炎寺は全く円堂のことには触れていなかったというのに。普段から並ならない奴だと思ってはいるが、まさかここまでとは。どうして分かってしまったのか。

「鬼道……やっぱりお前エスパーだったのか」
「やっぱりとはなんだ」
「いや……」

 我ながら馬鹿らしいとは思うが、それ以外に考えようもない。言葉に詰まると、鬼道は呆れたように苦笑して見せた。

「実は今日早く起きたのは円堂からメールがあったからなんだ。起きているなら練習に付き合ってくれ、そういう内容だった」
「そう、なのか……」

 鬼道の表情はいつもと変わらない。変わるような話でもない。だが、そのはずなのに何故だか胸の奥がざわついている。理由の分からない感情に困惑した。なんだ、これは。

「円堂は寝てない、と言ってた」
「……あいつ、昨日遅くまで中継見てたんだぞ」
「興奮して寝てられなくて、としか言わなかったが、それだけには見えなかったな」
「何があったんだ……」

 不安が胃の底のあたりをぐっと圧迫し始めた。だが先ほどまでの困惑が消えたわけでもなく、どうして円堂は何も言わないのか、そのことがなんとも言えない苦みを胸に落としていた。鬼道なら何か予測がついているだろうか、そう思って視線を寄越すと、そこには不思議そうな顔が待ち構えている。

「鬼道?」
「心当たりは無いのか?」
「……無い」
「オレはてっきり……。お前も寝不足だと言うし、円堂が試合中継を見たことまで知っていたから、お前と何かあったんじゃないかと思ってたんだが……」

 なるほど。エスパーじゃなかったのか。……などと馬鹿な感想はともかく、鬼道にも分からないとなるといよいよ不安だ。昨夜、後半戦の真っただ中から突然上の空になってから、やはり何かあったのでは無いかと気になって仕方なかったのだ。円堂のことだ、試合に熱中しているのかと思ったが、ゴールが決まっても気の抜けた声しか上げていなかった。

 そもそも、円堂から電話がかかってきたところからおかしいとは思っていたのだ。一緒にサッカーが見たい、と言われたのは嬉かったが、やはり何の用件も無くあんなに長々と電話を切らないでいたのはおかしい。何か言い出そうとして、しかし豪炎寺が全くそれに気づかない。そのせいで言い出せないままになってしまったのではないか。その原因が豪炎寺に関わることなら殊更言いにくいだろう。

「……鬼道の言うとおり、朝はやめておく」
「円堂ならいつものところだ」

 当然のように挟まれた言葉が、何故だか気恥ずかしい。腹いせと言うわけでもないが、口角を少し持ち上げている鬼道の腕をガッと掴んだ。

 朝日をバックに木に吊したタイヤをひたすら受け止める。民家から離れているおかげで、気合いの大声も近所迷惑にはならない。太陽がまだ完全に起き出さないような時間、鬼道が河川敷で練習に付き合ってくれたが、何度もゴールを割られてしまった。そのままだと余計な心配をかけそうだったし、鬼道に無理をさせるのも悪い。鬼道は帰して、鉄塔広場でいつもの特訓に打ち込むことにした。いや、打ち込むように頑張ろうとして失敗している。

 オレ、何かしちゃったのかな。

 サッカーが好きなあまり、強くなりたいあまりに、円堂は自分が色々なものを見落としがちなのを知っている。それが自分に手痛く返ってきた時のことを忘れない。なのに、またやってしまったのだろうか。

 豪炎寺は基本的に一人でなんでもやってしまう奴だ。できるから一人なのかもしれないし、一人で居たいからできるのかもしれない。それは分からないが、もし後の場合なら円堂の今までの行動は煩わしいことばかりだっただろう。昨日の電話だってそうだ。

 なら、オレ、電話なんかしなくて、サッカー以外では豪炎寺とできるだけ関わらないようにすればよかったのかな?でもそれじゃあ……

 ―――それじゃ、足りない。

 口が勝手に動いていた。タイヤが丁度戻ってきて、危うく舌を噛むところだ。足りない?何が?一端特訓を止めてちゃんと考えようとする。だが、それより前に人の声が近づいてきているのに気づいた。

「おい、豪炎寺、オレはいいんじゃないか……!」
「いや、鬼道も気になるだろ」
「気、にはなるが……多分円堂は、」
「あ……豪え」
「円堂危ない!」

 同じ位置にいてタイヤを受け止め損ねたら、地球が自転してるってことだぞ。

 円堂の特訓方法をどこからか伝え聞いたらしい理科の先生の言葉が頭を巡った。うっかり居眠りをして叱られた時のやつだ。今思い出してたって全く意味は無いし、そもそも意味が分からない。集中して特訓しているつもりだったが、それはやっぱり「つもり」でしかなかったという証明だろう。鼻の芯に走る激痛に声すら出ない。

「大丈夫か!?」
「な、なんとか……」
「まったく。『なんとか』で済むのはお前くらいのものだぞ、円堂」

 鬼道の呆れた声に苦笑いを返して、それからその隣の豪炎寺を見た。自然に自然にと心の中で唱えていたが、果たして成功しているだろうか。足の裏からぴりぴりと、痛みとは違う何かが這い上ってきている。

「円堂、お前……」
「あのさ!あの……豪炎寺、ごめん!」

 豪炎寺が何か言いかけていたのに遮って大声を上げてしまった。慌てて何だ、と聞き返したが、視線で発言権を譲られてしまう。尚更言いづらくなってしまった気もするが、黙っているのも結局辛い。あれこれ悩む性分でもないのですぐに意を決した。決しただけで、どうしたらいいかはやっぱり見つからないのだが。

「オレ、その……何て言ったらいいか分かんないけど、お前のことちゃんと考えてなかったかもしれなくて、えっと……」

 呼吸が苦しい。心臓がどくどくとうるさい。こんなんじゃ落ち着いてマジン・ザ・ハンドも出せやしないだろう。豪炎寺は少しだけ眉根を寄せて、黙って円堂を覗きこんでいる。いつもは悪くないと思っている黒目がちな目も、今はまともに見返すことができない自分が情けない。

「ほんとに、悪かった……。だけどさ、お前はオレのこと嫌いかもしれないけど、でも、オレは……」
「そんなことあるわけないだろう」

 声を上げたのは豪炎寺ではなく、何故か鬼道だった。面食らった顔でこちらを見て、それから豪炎寺へ視線を移している。それに釣られて豪炎寺を見ると、こちらも鬼道と同じような表情だった。

「お前、だって昨日の夜電話で……!」
「あ……」
「言ったのか!?しかもわざわざ電話をかけてまでか!?」
「違う、違うんだ。あれは……今日になったから」

 今日?鬼道と顔を見合わせる。今日……というと何の変哲も試合も無い平日だ。日付は四月の一日――

「あ!!ああー……ええー!?ひょっとして……」
「エイプリルフールだろ?」

 一瞬で体の中の全てのものが真っ白になって空っぽになった気分だ。脱力してへなへなその場にへたり込む。我慢できずに地面に寝転んでしまった。見上げると、鬼道も同じようにしゃがみ込んでいる。寝そべるまではさすがにしなかったようだが。

「……豪炎寺、お前はそういう冗談を言わない方がいいぞ」
「そうか?鬼道。お前のことも大嫌いだぞ?」
「……やめてくれ。お前がそういうことを言うと本気にしか聞こえない」
「そうだぞ豪炎寺ー!お前、本当に!本当に信じたんだからなー!」

 見上げる豪炎寺の顔はすぐ真上にある。少しだけ嬉しそうに笑って、それからしゃがみ込んで、困ったように悪かったと呟いた。その変化を見逃さずに見ていられる自分にほっとする。

「お前って毎年こうなのか?去年は転校する前だし居なかったもんなあー!」
「毎年ならタチが悪いぞ。そういうデータは取りようもないからな。警戒できない」
「いいや。今年だからだな」

 嘘で良かった。細められた黒目がちの目をまっすぐ見返していると、怒りたくても笑顔になってしまうのが少し悔しい。

「……今日でもなきゃ、とても言えな」

 自分で言ってるくせに、それがとんでもない自白だと気づいたのは今になってらしい。咄嗟に顔を隠すように立ち上がった豪炎寺を追いかけるように立ち上がる。悔しい負けは嬉しい勝ちで跳ね返すものだ。

「そろそろ集合時間じゃないか?練習も兼ねてランニングで戻ろう」

 軽い足取りで豪炎寺が走り出す。その背を一旦は見送って、それから鬼道と顔を見合わせ、ひとつ笑って後を追った。あの豪炎寺がかなり速度を出しているから、追いつくのは骨だろう。

「豪炎寺ー!オレも大っ嫌いだぞーっ!」
「オレもだ!オレもお前が大嫌いだ!」
「やめろ!」

 「もうかけてこないでくれ」の言葉を思い出す。さっきまでは、胸が痛んで思い出したくないとすら思っていたのに、何度も何度も。
 追いついたら、いや日が変わってからの方がいいかな、また用がなくたって電話をかけていいかって、聞こう。

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