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生徒会長の御懸案 (パラレル)



 カンカン、カンカンと、わざとらしくやかましいその音が、やはり遊戯も真っ先に気になったらしい。部屋に入るなり室内に視線をさまよわせ、それから意外な光景に目を瞬いている、というところか。ドアの前で棒立ちのまま動かない。

「よ、相棒。随分遅かったな」
「ああ、うん。まあね」

 またお説教でもくらっていたのか、はたまた再三再四の居残りか、遊戯の返事は曖昧だ。深くは追求せずに、まあ入ってこいよと促すと、遊戯は視線を固定したままこちらに歩み寄ってきた。

「あの……あれは……?」
「いつものことさ」

 それを聞くなり遊戯は困ったような、微妙な表情をして、そっと足を動かした。カンカンカンカン、荒々しく天井と闘っている男の足場に近寄る。

「……海馬くん、また負けたの?」

 ガン、ひときわ鈍い音がして騒音が止まった。日曜大工に精を出していた男はその手を休め、鬼のような形相を振り下ろす。

「やかましい! 気が散るだろうが!」
「いや……そのさ、確かに雨漏りは困ってたけど……あんまりガンガンやると逆に穴開いちゃったりすると思うんだ」
「いっそ穴でも開けばいいのだ! まともに手も入れんから老朽化してこのザマだろうが! さっさと業者でも呼べばいいものを! むしろ全部ブチ壊して新築にしてやろうか!」
「海馬、生徒会予算に収まる程度にな。せっかくのタッパだ。有効活用できてよかったじゃないか。予算も節約されたぜ」

 最早返事も寄越そうとせず、海馬は板に釘を打ち込んでいる。その音に篭る怨念は丑三つ時の呪いの儀式にも劣るまい。ゲームに勝ったので、その罰ゲームに雨漏りの補修を頼んだらこれだ。板を打ち付けるだけで雨漏りが直るのかは大いに疑問だが、どうせ来週は業者を呼ぶことになっている。もちろん海馬には言っていないが。

「大体だ! 貴様!」
「は、はい!? 何?」
「貴様己の役職を何だと思っている! 庶務などというご立派な名前が付いているがただの雑用だ! 雑用! 貴様こそこんな仕事をするに相応しいわ!」
「いやー……ボクはそのう……」
「運動神経皆無のチビめ!」
「うっ……」
「何をボーっと突っ立っている! 釘を寄越せ!」
「ああ、はいはい……」
「返事は一回だ馬鹿者!」
「ダメだぜ、相棒。これは罰ゲームなんだからな。海馬が全部一人でやらないとな」

 海馬の酷い言い様にも文句ひとつ返さず釘を取り出そうとしている遊戯を止める。海馬が物言いたげな――というより怒鳴りたげな表情でこちらを睨んできたが、何よりもゲームの結果にだけは素直な男だ。黙って天井を壊す作業(もうそうとしか見えない)に戻っている。

「大体海馬、貴様は相棒に対して態度が酷すぎる。元々相棒にはオレが頼んで手伝ってもらってるんだ。役不足な仕事をいつも確実にやってくれてるんだぜ。貴様が素直じゃないのは知ってるが、少しくらい感謝の気持ちってモンを見せたらどうなんだ」
「言わせておけば戯言を! 役不足? 力不足の間違いだこんな奴は! 感謝してほしいのならそれ相応の行いを見せることだな! 何も成さんくせして図々しい! 貴様の処理能力の低さを身内で補っているだけの……!」
「うん分かってるから、海馬くん力加減はほどほどにね……」
「相棒! 言わせておいていいのか!? 副会長も庶務もただの役職なんだ。どっちが偉いってわけでもないんだからな」
「いいよいいよ、ありがとうもう一人のボク」

 海馬はまだ吼え足りていなかったようだが、遊戯の宥めすかしのおかげで不満げな沈黙を保っている。天井への破壊活動もひとまずの小康を得たようだ。しかし、この副会長殿には困ったものである。トンカチの音の合間に、深いため息を吐き出した。

 今年度の生徒会が発足して一ヶ月が経とうとしているが、最大の懸案事項というやつがこれである。活動の障害が内にあるというのも情けない話だ。しかしこの海馬瀬人という男ときたら非協力的というよりも攻撃的、何より殊更庶務をこなしている遊戯への態度が酷い。大切な友人である遊戯のためにも、なんとかしなければならないとは思っているのだが―――

 ユウギがこの日本の地を踏んだ時、まさかこんな生徒会長などという大役を負わされるとは考えもしていなかった。ユウギは生まれも育ちも国籍も全てエジプトのものである。しかしなまじ大きい家に生まれたために、いざこざに巻き込まれ、一時日本の遠い親戚を頼ることとなってしまった。日本びいきの祖父を持っていたせいで、日本語は英語と同程度には教え込まれていた。思えば祖父は、こうなることを予見していたのかもしれない。

 そうして世話になることになったのが『遊戯』の家だった。遠いという割に、まるで兄弟のように似ている親戚に出迎えられた時は驚いたものだ。一緒に居た遊戯の友人たちのうち一人――城之内が「もう一人の遊戯!?」と驚きの声を上げてから、その語感をえらく気に入った遊戯は、『もう一人のボク』とユウギを呼んでいる。仲間うちから呼ばれるのも『ユウギ』、『遊戯』と音はほとんど一緒だ。

素直に名を呼ばれないのは、ユウギの名が長すぎるせいである。祖先の名や家名や字や勲や祖先縁の地名や――とにかく長ったらしく連なっているせいで、初対面でなくてもフルネームを覚えてもらったことはない。しかし『遊戯』の名に慣れている仲間たちは、その長ったらしい名前の一部が『ユウギ』に聞こえたらしかった。敢えて表記しようとすれば『イュギ』という音に近いのだが、『もう一人の遊戯』というユニークな印象と共に『ユウギ』で定着してしまったのだ。

「君がボクの二人目って意味じゃないんだよ。ボクももう一人の君なんだ」

 柔らかく笑ってみせる遊戯とユウギはやはり似ていて、他人という気がしない。だが、遊戯はユウギにはない何か尊いものを持っている気がした。そんな予感をユウギは大層気に入って、遊戯のことを相棒と呼んだ。エジプトを発つときには波乱を覚悟したこの滞在は、遊戯たちのおかげで緩やかに楽しく過ごすことができたのだ。何をするにもいつも一緒の遊戯は、本当にもう一人の自分のようだった。相棒という言葉が口に馴染んで、もう一人という言葉が耳に心地良い。

 そして、冬がやってきた。元々知識があったおかげで、大抵の日本語には不自由しなくなった頃、突然に「生徒会長に立候補しないか」という提案が持ちかけられたのだ。遊戯などは「ああ、やっぱり」などと納得してみせたが、ユウギにとってはまったく晴天の霹靂という奴である。しかも教師などに軽く持ちかけられたわけでもなく、クラスメートに団体になって説得されたのだ。

 なんでも、この童実野高校は生徒会役員の権限が普通の学校より数倍も強大らしい。それだけなら人だかりがユウギの元に押しかける理由にはならないだろうが、どうやらたったひとつだけ避けたいと願う未来が生徒たちに迫っているようなのだ。

「……海馬くん、だろうね」
「カイバクン?」
「海馬瀬人、っていう……ボクたちと同じ二年生だよ。家はスッゲーお金持ちで、頭も良くて、勉強もできる。ボクたちが一年の時にお兄さんが会長さんだったよ」
「……なんだ。そいつが立候補するなら安心じゃないか」
「……ただ、ちょっとその……」

 と、遊戯は言い淀んでしまったわけだが。説得の代表格とも言える城之内に言わせれば、傲慢不遜の冷血漢、高慢高飛車のイヤミヤローということらしい。あんなのが会長になったらどんなこと強制されるか分かったもんじゃないぜ、とまるで暴政を恐れる民衆の図だ。城之内ほどはないにしても、クラスの誰もが似たような見解を持ち合わせているらしかった。終いには他のクラスからも続々と説得の人間が訪れる始末で、ユウギは決断を迫られた。

「相棒はどう思う」
「君、自分じゃ気づいてないと思うけど色んな人から好かれてるし、まとめるのうまいし、向いてると思うよ。そういうの」
「オレもここまで言われて引き下がる気もしないけどな。手伝ってくれるか?」
「もちろん! もう一人のボクのためなら何だってするよ!」

 快諾に嬉しくなって微笑む。どちらともなく拳と拳をぶつけ合って笑った。しかし説得続きのこの数週間、ユウギにはどうしても気になっていることがあった。

「……そんなにひどいのか。その海馬って奴は」

 噂ばかり聞くが、実際に触れ合ったことは無い。あれが海馬だと教えられ、遠目に見たことはあっても、それ以上はなんの実地も無いのだ。そんな噂ばかりで固められた人物像を信じるのは、あまり好きではない。

「ボクは……ボクは、そんなんでもないと思うけどな」
「知ってるのか? 海馬のこと」

 遊戯はあいまいに笑って、何も答えなかった。それを不思議に思っている内に、話題を変えられてしまう。

「君、こっちには結局いつまで居られるんだよ。任期中に帰ったりしないよね?」
「大丈夫、だと思うぜ。まあ一度そういう仕事を引き受けたからには、帰る条件が整っても卒業までは居てもいい。いや、居たいな」
「じゃあ張り切って当選してもらわないとね! 一日でもたくさん君と居たいからさ」

 それにしても、と、未だ腑に落ちないものを抱えているユウギをごまかすように遊戯は話を続けた。今思えば、あの含みのある態度は、遊戯にだけは殊更手厳しい海馬への何とも言えない感情だったのだろうか。弱みでも握られているのだろうか? 遊戯と海馬に一年の頃から交流――と言うより八つ当たりと八つ当たられの関係――が存在したのを知ったのは会長になってのことだった。

「君って結局どういう事情でこっちに来ることになったのさ。まあ……見てたらただの一般人じゃないって感じは分かるけど」
「いや、オレはただの一般人なんだが、色々とややこしいしきたりがあってな。そもそも話は三千年前の――」
「ま、いいよね。だって君がここに居てくれるってことだけが大事なんだもん。ボク、君と一生知り合えないままの遠い親戚で終わらなくて良かったよ」

 こうやってまた、大事な使命も忘れて日本から離れがたくなるのだ。そう言ってやったら、申し訳なさそうな顔をされてしまうんだろうか。意外にいたずらっぽく笑ってくれるかもしれない。遊戯を覗き込んで、ユウギは笑った。

「オレもだぜ!」

「城之内くん、ちょっと相談に乗ってくれないか?」
「―――え?」

 なんだって? M&Wの話を楽しそうにしているままの顔で城之内が問い返してきた。放課後、一人居残されていた城之内しか居ない教室だ。聞き取れない距離では無いだろうと思ったが、素直に同じ言葉を繰り返す。熱中すると一直線なタイプの男だから、話に夢中で気づかなかったのかもしれない。

「ユウギが? オレに?」
「うん」
「マジで? いいのか?」
「……迷惑か?」
「そんなワケあるかよ! オレってさ、結構ユウギに頼っちまってるとこあるからなあ、遊戯にもなんだけどよ。だから、頼ってもらえると嬉しいんだよな! で、何だ? 何でも聞くぜ?」
「そんなこと無いと思うが……」

 椅子ごと身を乗り出してきた城之内に苦笑する。その相貌は感動の涙でも流さんばかりだ。何かと頼りになる心根のまっすぐな親友は、いつも好ましい返事をくれる。それに比べて海馬は素直じゃないな、と思うと少しおかしかった。

「海馬のことなんだが……」
「あー奴か。分かる、分かるぜ。何も聞かなくても分かるぐらいだ。どうする? 一発ブン殴っとくか?」
「いや、そういうのじゃないんだ……城之内くん、とりあえず座ってくれ」

 元々血気盛んな城之内だが、海馬に対しては余計に血が騒ぐらしい。顔を合わせる度冷たく突き放されていればそうもなるだろうとは思うが。城之内に対しても海馬の態度はなかなかキツい。クラスが違うのであまり顔を合わせないのが最低限の幸いというやつだろう。それに比べて遊戯は役員として毎日のように顔を合わせているのだから。

「相棒に生徒会の仕事を手伝ってもらってるだろ。それで……海馬のやつが相棒にだけあんまりだからな。どうにかならないかと思ってるんだが……」
「あー……遊戯か……」

 すぐにでも義憤に立ち上がるかと思っていたのに、城之内はまず曖昧な相槌を打ってみせた。それに瞳を瞬く。怪訝なユウギの目を受けても表情を渋くしただけだった。

「まあ……その、あいつがヒデーのは誰に対してだと思うんだけどよ……。ま、そういうわけだしやっぱ一発ブン殴っとこうぜ!」
「いや、城之内くんそれは待ってくれ。城之内くんは気づかないか? 相棒に対してだけあいつは辛く当たってるだろ?」

 ユウギにとって海馬は、悪評が先に立っていた人物である。だが何か行事に当たる時、海馬の仕事が速く確実であることを実感する。また、効率のためならば何をも惜しまないある種冷徹と言える理性があった。それはユウギにとって眉をしかめることの多い理論を実装した理だが、時に感心するところもあったのだ。しかし遊戯に対する海馬にはその理をまったく感じない。理由が無いのだ。だから余計に黙って言うことを聞いている遊戯が心配になる。

「んー……」
「何か込み入った事情でもあるのか? だったらオレもあまり詮索はしないが……」
「事情つーかなんつーか……難しいな、うん。だけどオレが海馬のことすんげー腹立つってのは間違いねえ。本当アイツ、一回は遊戯に泣いて土下座させねえと気ィ済まねーぜ。だからブン……」
「いやその、できればそういう感じじゃなく解決したいんだけどな」

 拳をバキバキと鳴らしている城之内は、やはりどうしても一発は海馬を殴っておかねば気が済まないようだ。城之内と海馬との関係の改善も懸案に加えるべきか、ユウギは軽く頬を掻いた。

「だけど本当、ユウギは日本語うまくなったよなあ!」
「どうしたんだ? いきなり」
「いやだって、来たばっかの頃は結構カタコトだったよな? そもそもなんだってエジプトから日本なんかに?」
「それは、三千年ほど前の王朝で――」
「いやまあ、いいんだけどよ。どんな事情でだってユウギはユウギで、オレのダチだからな」
「城之内くん……!」
「それで、なんだっけ? 海馬をブン殴る話だっけ?」

 照れたような城之内を笑いながらふと目を上げると、窓の向こうに遊戯を連れ立って歩く海馬の姿が見えた。遠目だが、視力には自信がある。急いで立ち上がった。天井の補修は終わったらしい。

「悪い、この話はまた今度しよう」
「おう、今度こそボッコボコだな!」
「いや、まあ、うん。ともかく、居残りがんばってくれ」
「あーあ、ユウギも見捨てんのかよー!」
「城之内くんならできるさ。だから相棒も教室を出たんだろ」

 机に突っ伏してしまった城之内を苦笑して、ばたばたと教室を出る。

「海馬くん」
「何だ」
「海馬くんは先生に、今度委員会で使うしおりを作るのを頼まれたんだよね?」
「そうだな」
「で、今そのしおりを印刷して、これを生徒会室に持ってって束ねようとしてるんだよね」
「くどい。わざわざ確認する事項でもないだろうが」
「……印刷したのもそれを運んでるのもボクで、それからこれを束ねるのもボクだと思うんだけど」
「文句でもあるのか」

 それは充分に文句が出ても問題の無い状況である。後方から二人の様子を垣間見ていたユウギは、小さく息を吐き出した。予想通りの状況過ぎる。思いっきり文句言ってやっていいんだぜ、相棒。

「文句は無いんだけど……海馬くんどうしてボクに任せて生徒会室に居なかったのさ?」

 いやそうじゃないだろ、相棒。
 ユウギは思わず肩をがくりと滑らせそうになった。遊戯の優しさ、人の良さ、純真さは間違いなく長所である。しかし、残念なことにそれらはどれも短所と表裏一体であった。

「貴様がいつミスをしでかすともしれん無能だからだろうが。わざわざこうして監督してやったというのに随分な物言いだな! フン、気分が悪いわ! 勝手にしろ!」
「あ、海馬くん……」

 パシン、これは海馬が何故かいつも持ち歩いている鉄扇を大仰に閉じてみせた音だ。不機嫌を隠しもしない海馬はすたすたとどこかへ歩き去っていってしまう。そもそも海馬が頼まれた仕事なのに随分な物言いだな、と返してしまいたいところだが、ここで申し訳なさそうな顔をして立ち尽くすだけなのが遊戯である。ユウギはもう一度深いため息を吐き出した。

「相棒!」
「あ、もう一人のボク!」
「どうしたんだ? 仕事か? 結構量が多いな。皆でやろう」
「うん……」
「そうだ、城之内くんがまだ教室に居たな。声をかけてみようぜ。さっさと居残りを切り上げたがってたから丁度いいだろ」
「そうだね」

 そもそも、量の多い仕事は生徒会役員全員でかかればいいのだ。何も会長と副会長だけで仕事をしているわけでもない。どうしてああも攻撃的な個人主義なのか。

「あー……それはまあ、うん……」

 一年生で会計を任されているモクバは言葉を濁した。
 印刷されたプリントをページ番号通りに集めて、最後にはホッチキスで止める。この繰り返し。単純作業の見本のような仕事である。しかし実のところ、大きな行事の無い生徒会役員の仕事などこんなものだ。リサイクル空き缶を洗って潰したり、備品の買い足しを頼まれたり――生徒会役員と大仰に言ってみても、やっていることは大抵面倒事や雑用ばかりと相場は決まっている。いくら童実野高校の生徒会が強い実権を持つことで有名だったとしても例外にまでは至らない。

「また言いにくいことか。海馬の周りはそんなのばっかりだな」
「兄サマも色々大変なんだぜぃ、そんなこと言うなよなー」
「大変?」

 モクバはあの海馬の弟だ。本来ならば中学生の年齢だが、留学中にスキップしたために童実野高校に特別編入を許されていた。大企業を背負っている海馬家の力が有ったとか無かったとか噂を聞くが、実際のところは分からない。本人に聞くような話でもないだろう。

 ユウギの隣に座るモクバは、ユウギにだけ語って聞かせる体勢だが、その場に居る役員全員が聞き耳を立てているのがよく分かる。何だかんだと問題ごとの絶えない海馬瀬人だが、決して嫌悪されているわけでも無い。むしろ人々の興味や関心を惹きつけるところがあるようだ。事実、ユウギとの選挙戦も僅差の接戦である。海馬を知る人と知らない人で票が分かれた、というのが城之内の見解だ。

「ほら二年前よー、乃亜……あー一番上の兄サマな。が会長だったのは知ってるよな?」
「ああ、らしいな。随分派手な活動だったって聞いてるが」
「兄サマって、昔から乃亜と比べられること多かったんだよな。乃亜には絶対負けたくないって思うみたい。いっつも持ってる扇子も乃亜のだし……だけどほら、結局副会長だろ?」
「何で海馬は『兄サマ』なのに、前会長は『乃亜』なんだ?」
「そんなの今はどーだっていいだろ! それしか感想ねーのかよ!」

 モクバは呆れた様子で首を振った。随分歳は下なのだが、このモクバという少年は本当にしっかりしている。バツ悪く頬を掻いた。

「だが……役職も――それこそその扇子だって、ただの『形』だろ。要は海馬自身が何をするかが問われてるはずだぜ。そういう理由があるから相棒に辛く当たったり、一人で突っ走ったりってのは、ちょっと違うと思うが……」
「だから、そこら辺が大変だって言ってんだぜぃ! ったく、ユウギはホントなんにも分かってねーな!」
「す、すまない……?」

 熱心な次兄信者であるモクバは憤慨やるかたない様子で、ホッチキスを止める手つきも荒々しい。ただでさえ内の問題に頭を抱えているのに、モクバにまでヘソを曲げられるのは困る。

「じゃあ、話を変えるか。それで、どうして海馬だけ『兄サマ』なんだ」
「……それ、話変わってんのか? じゃあ何でお前が日本に来たか教えてくれるんならいいぜぃ!」
「オレか? 別に構わないが……話は三千年前の王朝で、王と神官が――」
「もう一人のボク、モクバくん!」

 名を呼ばれて、モクバと同時に首を巡らす。戸口に立った遊戯が手を振っているのがすぐに見つかった。

「手伝ってくれた御礼にって先生がジュース代くれたよ! 何がいいか聞いてないの君たちだけなんだけど……」
「オレは何でもいいぜ」
「あー! そういうの後々会計で困るんだから断れよなー! 大体皆……」
「モクバくんも何でもいいんだね、じゃあ行ってきます!」
「コラー! 遊戯ぃー!」

 逃げるように生徒会室を出て行く遊戯を、モクバが呆れたように見送っている。ここに居る人数分を買ってくるつもりなのだろうか。それなら一人では大変だろう。ユウギは立ち上がった。

「オレも行ってくるぜ」
「つまんねーからって逃げんなよなー」
「そうじゃない。オレは相棒が大変だろうと……」
「遊戯だってガキじゃないんだぜぃ、大丈夫だって。それより皆なー、いっつもいっつも……」

 言葉は悪いが、ガキのモクバに言われちゃ形無しだな。長くなりそうな会計殿の小言に、ユウギはひとまず腰を下ろした。

「えーっと……コーラと緑茶とオレンジと……なんだっけ、まあ適当でいっか」

 何かメモにでも書き残せば良かったのだが、とにかくその場を去りたい気持ちが勝って、慌てて出てきてしまった。海馬は余程気分が昂ぶった時でもない限り、自らのことをあまり語らない。その場に居てモクバの話にじっと耳を傾けていたかった気持ちも強い。だが、海馬自身が話したいと思って話したものを聞きたい、それが遊戯の最優先の願望なのだ。黙ってモクバの話を聞いているのは、ズルのようで嫌だった。それはともかく、もう一人のボクとモクバくんって結構仲いいよね。

 買いに行く物と取り留めのないことを繰り返して反芻していると、ついつい前方が不注意に陥っていたようだ。角から出てきた生徒に思いっきり正面衝突してしまった。しかし体勢を崩してしまったのは遊戯の方である。

「っとと……ごめんなさい」
「ああ……危ないなあ、生徒会役員サマのくせに、生徒の安全を脅かすなんてとんでもないねえ!」

 大げさな言葉に嫌な予感を覚えて目を上げる。我が意得たりと嬉しそうな顔は随分上方にあった。同学年の牛尾という生徒だ。ほんのつい最近まで、自警団のようなことをやって学校中――教師にさえ幅を利かせていたが、ユウギの代になって活動を壊滅させられた――という話だ。役員でありながら、どのような魔法を使ってそのようなことをやってのけたのか、遊戯は全く事情すら知らない。「日本の学校は面白いが、『こういう時のやり方』は教えないんだな」、とだけユウギは口を滑らしてくれた。恐らくそんな教育を受けた人間はエジプトにもそうそう居ないだろうというのが遊戯の予想だ。

「あの……ごめん、気をつけるよ。じゃあ……」
「待てよ」

 幼い頃から、小さい体のせいかいじめられっ子気質が染み付いている遊戯は、すぐに「まずい」と直感した。まさにチビっ子のおつかいのように、遊戯はその手に先生が恵んでくれたジュース代を握っていたのである。せめてズボンのポケットにでも入れておくのだった。入れておけば危険を回避できたか、と言うとそれはまた別の問題なのだが。

「あの、すみません!」

 ガラリ、と生徒会室の戸が引き開けられた。談笑しつつ進んでいた作業の手が皆止まる。その視線を一手に引き受けているのは、ユウギたちとクラスメートである花咲である。少々気弱なところはあるがユニークな人柄で、話がアメリカンコミックのヒーローともなれば目の色が変わる面白い友人だ。

「どうした、花咲くん。珍しいな」
「遊戯くんが大変なんです!」

 遊戯はいつも大変だと思うが、今日遊戯を引き連れてどこぞに向かっていたのは牛尾だという。目に余るような行動をしていたから、少々「お仕置き」してやった生徒である。ユウギは顔をしかめて即座に立ち上がった。

「どこに向かったか分かるか?」
「多分、裏庭の焼却炉のあたりかな……」
「ありがとう!」

 道を開けた花咲の横を通って教室を飛び出す。城之内もオレも行く、と付いて飛び出して来たようだ。速力を限界まで上げて足を回転させる。しかしあと少しで玄関、というところで廊下を仁王立ちで塞がれた。

「おわ! イシズ先生!」
「廊下を走ってはいけませんよ。特に生徒会役員は、生徒の模範でなければ」
「今はそれどころじゃないんだ。どいてくれ」
「あら、先生にそんな言葉を使うんですか」
「……どいてください、イシズ先生」

 英語の補助教師として招致されたイシズ・イシュタール先生――というのは建前で、実際はエジプトでユウギの家を補佐している家の者だ。ユウギに万一のことがあった時、迅速に対応できるよう日本まで付いてきてくれたありがたい腹心の一家である。……これがまた、食わせ者揃いなのであるが。

「会長さんはまだ自覚が足りない様子なので、少しお話をしましょうか」
「先生、ユウギ、オレは行くぜ!」
「はい、走らないように」
「イシズ……」

 早く来いよ、というジェスチャーをして、城之内が競歩で歩き去っていく。それを焦りと共に見送って、隠しもせず表情に苛つきを表した。

「楽しいですね。『神の血を受けるもの』にこんな風に話ができるなんて」
「そんな大げさな言い方はやめてくれ。オレはただの一般人だぜ。溜め込んでこんなことをするならいつでもそういう態度でいい。今は行かせてくれ」
「まあ、嬉しい。じゃあ私もユウギと呼びましょうか」
「好きにしろ。大体、イシュタールの家だって三千年前には……」
「ああ、そうそう、遊戯ならこちらではなく体育館の方へ向かったそうですよ」
「! ――分かった、助かったぜ!」
「ね、話を聞いてよかったでしょう、ユウギ」

 それにはいはい、とぞんざいな返事を返して身を翻す。あの海馬がこのイシズに随分遊ばれているらしいと聞くが、実際に見なくても分かる気はした。

「慰謝料としてそいつをさっさと渡してりゃこんなとこにまで来ることは無かったのに……遊戯くんは意外に頑固だなあ」
「ぶつかったのは悪かったと思う、本当にごめん。でもこれはがんばった皆のためのお金だ。君には渡せないよ」

 実際のところ、ジュース代なんて大した額じゃない。それは牛尾も遊戯も分かっていることだ。だが遊戯は絶対にこのお金を渡す気は無いし、生徒会に難癖を付けたい牛尾はこの機会を絶対に逃さないだろう。これで事態が好転するはずも無かった。

 半ば引きずられてやって来た定番の場所、体育館裏には牛尾の仲間がいくらか待ち構えていて、遊戯は頭を抱えたくなった。逃げたいが、逃げられるならもうそうしている。

「口で言って分かんねえなら、他の方法を使うしかねえなあ?」

 やっぱりそうなるか……遊戯は覚悟を固めた。どんな覚悟か? それはもちろん殴られる覚悟である。牛尾の要求は、遊戯からすればおかしな要求だ。とても受け入れられない。それを理解してもらえず実力行使に出られると言うのなら、遊戯には抗う術が無い。奥歯を強く噛み締めて打撃に備えてみる。牛尾が嬉々とした表情で拳を振り下ろしてきた。

 しかしいくら待っても衝撃がやって来ない。パシンという聞き覚えのある小気味良い音がしただけだ。遊戯は慌てて反射で閉じていた目を開けた。

「海馬くん!?」

 海馬がひどくつまらなそうに閉じた扇を突き出している。突然差し入れられた文字通りの「横槍」に驚いてか、牛尾は少し後ろに下がっていた。牛尾の拳を物ともしないあまりに自然であまりに横柄な態度である。

「海馬瀬人ぉ!?」
「貴様ごときのつまらん一生徒に呼ばれる名は無い。副会長と呼べ。……これも不本意だが」

 牛尾の目前でばさり、と扇が開かれた。そして虫でも追いやるようにひらひらと上下している。海馬は何も言っていないが、しっしっという声が聞こえてきそうだ。

「……何で副会長サマがこんなとこに居るんだ」
「オレが副会長だからだ」
「はぁ?」
「低能め。オレはこの学校の副会長だ。つまりこの学校はオレの手足のようなものだろうが。貴様のような異物はすぐに分かるしひどく不愉快だと言っているのだ」
「異物……!?」

 ボク、やっぱり君が会長にならなくて良かったかもって思う……自分だけに聞こえるように注意したはずの独り言を、キッと海馬が射抜いてくる。地獄耳まで備わっていたとは。冷や汗をかいて苦笑した。だがその表情をすぐに硬くする。牛尾が海馬の油断を狙って掴みかかろうとしているのが目に入ったからだ。

「海馬くん!」
「フン」

 一体どれほどの強度があるのか、閉じた扇で牛尾の手がパシリと弾かれる。行儀の悪い奴め、と悪態を吐き出す海馬はそのくせ舌打ちに余念が無い。

「てめえ……!」

 さらに追撃を加えようとする牛尾に、無意識に遊戯は海馬の制服を引っ張った。しかし海馬は一歩も動かず、冷静に扇を開いただけだった。

「まあ待て」
「ああ!?」
「一抹の情けだ。貴様にいい事を教えてやろう」
「それで逃げられるつもりかあ!?」
「……話も聞けん愚か者とはな」

 今度こそ海馬は少し後方に下がって、また扇を閉じる。パシンッと小気味良い音を立てたそれを前方にすっと突き出した。

「何故オレがこんな物を持ち歩いているか分かるか? こんな機能性も何も無いただの飾り、本来ならただの邪魔だ」
「な、何だよ……?」
「貴様も海馬コーポレーションの名ぐらいは知っているだろう。それが世界に誇る最先端技術を持っていることもだ。さて、今ここにある扇は骨が鉄でできている鉄扇だが、そこに何も仕掛けが無いと思うか?」

 海馬は表情を隠すように、少しだけ開いた扇を口元にまで運んでみせた。その口元は牛尾からはよく見えなかっただろう。しかし遊戯からは、その口角が凶悪なまでに引き上がっているのがよく分かった。

「これは仮にだが――骨の中に仕込み針でもあるとする。そう言えば先ほどから何度貴様にこの扇は触れただろうな……? ただの針ならばいいがね、針に更に何か塗ってでもあればどうだ? ああ、」

 海馬が言葉を区切ると、牛尾とその仲間は面白いようにびくりと身じろいだ。それに満足した様子で、ここぞとばかりに海馬は扇を全開にして見せた。

「首筋のあたりや腕の筋がピリリと痺れることはないか? まあ、例えの話ではあるが――」
「もっ、もういい! カンベンしてやるよ!」

 何か思い当たる節でもあったのか、首筋を押さえている牛尾は、仲間を引き連れてそそくさと立ち去ってしまった。あっという間のことだ。すっかり人気の無くなった体育館裏に、パシンと扇を閉じる音が響く。

「海馬くん、ありが――」
「この無能雑用め」
「痛っ! あ、それ、扇子! 危ないやつなんでしょ!?」

 閉じられた扇で頭を叩かれる。さすがに鉄扇と言うだけはあってかなり痛い。しかも先ほどの説明によれば毒針まがいの物が仕込まれているということではないか。戦々恐々と後ずさる遊戯を海馬は容赦なく目だけで一蹴した。

「フン、貴様も奴らと同レベルか。そんな物、それこそ携帯には不便だろうが」
「え……?」
「そんな小さな仕掛けが確実に相手に届くかも疑わしいに決まっている」
「う、嘘だったってこと……? でもさっき、首押さえて……」
「ああいう輩はえてして不摂生と決まっているのだ。慢性的に軽い痺れや痛みを覚えているだろうさ」

 一言で言ってしまえば、ハッタリである。それもかなりの規模の。呆然とする遊戯を馬鹿にしたように、海馬は扇で己に風を送っている。

「常識で物を考えろ。そんな無駄なことに技術を使って何になるのだ」
「その……まあそうなんだろうけどさ……」

 常識で言えば、そんな漫画やゲームに出てくる武器みたいな扇、持ち歩いているとも思わないのが普通だろう。しかしそこを責められても困る。その扇を持っているのが海馬である、というのが問題なのだから。

「いやまあとにかく……ありがとう。助かったよ」
「勘違いするな。オレは貴様の行動が気に入らんだけだ」

 小言を言われたり、怒鳴られたり、理不尽なことを押し付けられたり。こんなことが嬉しいなんて思う人間はそう居ないだろう。遊戯だってそうだ。だが遊戯はその海馬の理不尽な言葉の裏を少しだけ理解していて、そんな自分が嬉しくて、結局怒り出せないのだ。

「ごめんね」
「フン。貴様はオレの文句だけを黙って聞いていればいい」

 何だかんだ言って、ボクには甘えてくれてるんだもんなあ。

「相棒、大丈夫か!」
「もう一人のボク?」

 勢い良く駆け込んできたはいいが、その場が予想外にも静かであることに面食らう。遊戯は普段と変わらぬ様子でピンピンしているし、おまけにその場に居るのは牛尾ではなく海馬である。

「……大変、って聞いて駆けつけてきたんだが……」
「遊戯! 居た! おい! 大丈夫か!? って……」

 一拍遅れて――恐らく随分あちこちと探し回ったのだろう――息の荒い城之内も駆け込んでくるが、ユウギと似たような反応だ。遊戯はそれを見て申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「ありがとう。なんかごめんね……。海馬くんが助けてくれたからもう大丈……」
「海馬があ!?」
「勘違いするな。ただの雑用とは言え、ここまでの物好きもそう居らんからな。資源の確保に努めてやったに過ぎんわ」
「それが人に対する物言いかよ!? 遊戯、もうこんな奴放っといていいんだぜ!?」
「いやあ……ははは……」
「海馬、城之内くんの言うとおりだぞ。相棒はいつでも頑張ってくれてるんだ。貴様に貶められる謂れは全く無いんだぜ」
「フン! 元はと言えば貴様が刈り損ねた雑草が面倒事を呼んだのだろうが。こちらこそ感謝される謂れはあっても貶められる謂れは全く無いわ!」
「そこは、確かに至らなかったかもな。だが牛尾も根は悪く無いやつなんだぜ。またもう一度話でもしてみるか……ゲームでもしながらな」
「一度で片を付けんからこういうことになるのだろうが。無能雑用に愚鈍会長とは、お似合いのお間抜けタッグだな。大体オレは貴様のような出自もよく分からない転校生が会長になるなど、初めから気に入らなかったのだ! エジプトから日本へわざわざ留学だと? いかにも不審だ!」
「不審じゃないぜ。三千年前の王朝で、王と神官が戦に――」
「興味も無いわ! ……何だ、その不満げな顔は!」
「何でも無いぜ……」

 ユウギが言葉を切ると、それを待っていたと言わんばかりに城之内が海馬に抗議の声を上げている。まだ応酬されているのは激しい言葉だけだが、いつ拳が出てもおかしくない状況だ。

「相棒」

 一触即発の空気に気を揉みつつも、遊戯の制服の裾を軽く引いた。素直にこちらに体を傾けてくる遊戯の耳元で声音を低くする。

「大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
「……色々事情はあるかもしれないが、嫌なものはちゃんと嫌だと言った方がいいぜ。なんで黙ってるんだ」

 遊戯はちらりと、怪訝げにこちらを見つめている海馬を見上げた。それから考えるように少し目を伏せ、最後には微笑みを浮かべるに落ち着く。ワケの分からないユウギを、からかうような顔でもあった。

「……結局は、ボクたちうまく行ってるってことじゃないのかな」

 その一言のおかげで、生徒会長の御懸案は今日もまた保留のままなのだった。

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