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チェンジアップ



「遊戯」

 決闘が終わって、フィールドのカードを回収しているところだった。何かを思い出したような何気ない様子で海馬が声を上げた。手を止めて目線を上へ動かす。

「ん?」
「言い忘れていたが――オレは結論を出した」
「結論?」

 何か揉めていることでもあったっけ?ごくたまに商談が難航している話を愚痴程度で聞かされる時がある。遊戯には何に悩んでいるのかさえ理解できないが、そういう時の海馬がいつもより遥かに慎重だということは知っている。誰でもいいから――特に遊戯のような経済事情なんて微塵の興味も無い人間に――話をして、状況をまとめたいのだろう。全く話の経過を教えてもらえずに結論を出した、と言われたことが今までにも何度かある。海馬ときたら、自分の中で話がまとまったら、他人の中でもそうだろうと思い込んでいるフシがあるのだから。

「ごめん、なんの話?」
「オレが貴様に抱いている感情は間違いなく好意だ」

 ああそう、それは良かった、って一瞬流しそうになった。

 というのも、それを言う海馬の表情しぐさ声色全てが、普段とまるで違いのないものだったからだ。難航した商談に結論を出した時の顔と全く変わらない。無表情なようでいて、少しすっきりしたような感がある。少し緩んだ口元と、暗めな色を使ってある目。それをじっと充分になぞって、それから遊戯はやっと海馬の言葉に衝撃を受けた。

「えー……っと、えっ?え?」
「……つまり、オレは貴様が好きだ」

 すっかり混乱して全く働かなくなっている脳でも、その単純な一言はすんなり受け入れていた。思わず身を乗り出して海馬の顔を覗き込む。だがまず何から言っていいか分からなかった。晴天の霹靂という言葉が今ほど身に沁みた日は無いだろう。

「……好き?」
「ああ」
「海馬くんが?ボクを?」
「……しつこいぞ」

 いちいち指差し確認までする遊戯を疎んじて、顔を顰めた海馬が手を伸ばして遊戯の顔を遠ざけた。だがこんな反応になるのも仕方ないだろう。高校時代から様々なことがあって、今もこうやって時折会っては決闘するような仲にはなった。だが基本的に海馬は「おともだち」とか「なかよし」とかいう幼年誌のタイトルになりそうな人付き合いを嫌悪している。彼なりにも色々思うところがあったのだろう、年を経るにつれ以前ほど強い拒絶は見なくなったな、と嬉しく思ってはいたが――

「それっ……、それ、どういう意味で……?」

 道端の石ころよりは……とかそういうことなのだろうか。やっと存在を認識してもらえたとか。いやあ良かった良かった。道端の石ころ以下の人間と決闘してると思われてたんじゃたまらないよねえーははは。遊戯の脳内は未だ整理が難しい状況のようだ。

 海馬は何も答えない。
 だがそこで、遊戯は気づいてしまった。混乱していても分かってしまった。
 苛ついたように細められた目を見ただけで、気づいてしまった。

 思えば海馬ときたら、何をするにも突然なのだ。

 思い立つのも突然、発言するのも突然、実行するのも突然、今までにも何度驚かされてきたことか。これは海馬の悪い癖で、何でも自分一人の範囲内で始めて、何でも自分の範囲内で終わらせてしまおうとするのだ。振り回される周囲のことなど全然気にしない。というか気づいてもいない。だがそれが海馬くんだよな、という諦めに似た感情もあることは否めないが。

 手段はメールだとか電話だとか、日本に居るとか居ないとか、とにかく連絡を取り合って会う。時々は大豪邸に泊まらせてもらったりもする。高校時代から考えるとかなり仲の良い友人ぐらいになっているとは思う。高校生の遊戯が今の自分を見れば驚いて経緯を問い質すだろう。だが経緯なんて有って無いみたいなものだ。高校を卒業して早数年。もう何年こうやってぼんやりした『友達って言ったら怒られる友達』をやってきただろう。これからもそれは続くと思っていた。

 だが急に変化が起こってしまった。

 海馬は喋らない時は本当に喋らない。遊戯がいくら話しかけても相槌ひとつ打たない時もある。機嫌がいいとベラベラ聞いてもないことまでしゃべってくれるというのに。気分屋とでも言えばいいのか。初めはそれに戸惑ったが、海馬がそういう人間だと知っていれば何と言うこともない。遊戯も海馬のように喋りたい時に喋り、黙りたい時に黙ればいい話なのだから。
 だが今日の沈黙にはどうにも耐えられず、海馬の部屋から飛び出してしまった。言い訳は何にしたんだったか。モクバくんに用があって、だったっけ?お茶でももらってくるよ、だったっけ。何にせよ不自然なことには違いない。遊戯の動揺など海馬には簡単に見通せただろう。

 そう、今日もこのいつまで経っても慣れることができない大豪邸にお邪魔している。埃ひとつ見えないカーペットを踏んで、迷宮のような廊下を当ても無く歩いた。屋敷は静かだ。遊戯の吐息ですら騒音になりそうなぐらい。廊下に並ぶ窓からは昼下がりの日光が柔らかく雪崩れてきている。その向こうにある庭は色とりどりの暖色が飾っていた。秋も深い。海馬の部屋は3階にあるので、美しい庭を一望できる。天気もいいし、暑くも無さそうだ。散歩でもしたらいいかもしれない。

 呑気かなあ、やっぱり。ボク。

 友人によく言われる言葉を思い出した。それともまだ混乱しているのかも。とにかくあの海馬に、すごいことを言われたのは間違いない。海馬は結論を出したという。結論、と言うからには序論、本論があったわけだ。だが遊戯には何も準備が無かった。今から一から考えなくてはならない。

「一からって言ってもなあ!」

 どこかがらんどうにも見える広くて天井の高い廊下には声がよく響く。わけもなく気まずい。
 あの海馬に、好きだと言われて、どうか。率直な感想は驚いた。そしてやっぱり嬉しかった。海馬が確かに変化していることが嬉しい。だがそれは遊戯が安易に受け取っていい変化なのだろうか?これはひょっとして、海馬にとってものすごいことなのではないだろうか。もしかすると世界の全てががらりと変わってしまいそうなくらい。

「好き、って……」

 言ってしまってから、誰も居やしないのは知っているのに周囲を見回す。遊戯もよく使うのに、海馬が言うと、すごく大事で軽々しく持ち出してはいけない言葉みたいだ。

 好きだと言われた。
 それが遊戯の中にじわじわ染み渡って、その言葉を離していたくない気持ちになる。
 でもそれって、いいことなのだろうか。
 遊戯は昔から、何かを大事にすることにいつも不器用だった気がする。大事にしていたいのに、何か必ずヘマをしてダメにしてしまうのだ。

 小学生の時、あさがおを一人一鉢育てなければいけなくて、遊戯はそれはそれは熱心にあさがおの面倒を見た。事あるごとに水をやり、休み時間は鉢の前まで駆けていって芽が出るのを待ったものだ。だが結局、遊戯の鉢に芽が出ることは無かった。その時は杏子が自分の鉢を遊戯と共用にしてくれたおかげで、落ち込む遊戯は救われたのだったか。『一緒に見よ!』と言ってくれた杏子の言葉は、多分ずっと忘れないだろう。

 中学生の時は、道端で子犬を拾ったのだった。死にかけのそいつのために随分右往左往したというのに、全快した子犬はまるで遊戯には懐こうとしなかった。泣く泣く杏子の家に預けると、瞬く間にそいつは杏子に懐いて、今も真崎家の一員として楽しく暮らしている。ここでもやっぱり杏子に助けられた。思うに、杏子はそういう「大事にすること」が上手いのだろう。

 海馬はあさがおや子犬なんかと並べられるものでもないが、それでも遊戯の不器用さは変わらない気がする。大丈夫だろうか、ダメなんじゃないか、と悩んでうろうろと歩き回って30分。ひとつだけやっと気づいた。

「遊戯?何してんだ?」
「モクバくん」
「また迷子か?ったく、いい加減慣れろよ」

 呆れた調子のモクバはもう遊戯の背を5cmは抜いていて、表情にも幼さは一切覗えない。年下とは思えない落ち着きぶりで遊戯を見下ろしている。そう言えばモクバに背を抜かれた時は、心底悲嘆に暮れたっけ。

「兄サマの部屋、あっちだぜ」
「モクバくん、ボク、モクバくんのこと好きだよ」

 全く会話に沿わない不意打ちに戸惑ったのだろう、モクバが一瞬目を丸める。だがすぐにそれは怪訝げな表情に変わった。何だよいきなり、なんて冷静に返される。

「オレも遊戯のことはまあまあ好きだけど、兄サマ独り占めはほどほどにしろよな」
「海馬くんはさ。ボクのこと好きかな?」

 ……この会話の流れでそれを聞くのかよ。
 モクバのじっとりとした目が露骨に遊戯を責めている。つい意地悪な心地になって、少し笑った。

「嫌いな奴わざわざ呼びつけて何度も会うかっての!遊戯のバーカ!」

 もうダメにしたくない、離したくないってさ、ボクは30分も一生懸命考えてたってこと。

「た、ただいまー……」

 恐る恐ると言った態でひねられたノブに、一応目だけは向けてやる。できるだけ鋭利なものを。その先端の触れる位置に居る遊戯の両手には、茶菓子とカップの乗った銀盆が握られている。

「えーっと、ほら。お茶もらってきたよ!」

 便所に行くのではなかったのか。問い質しても反応など知れているので、やはり返事もせずデッキ調整に戻る。そわそわとこちらの様子を覗いながら遊戯が近づいてくるのが気配で分かった。鬱陶しい。さっさと盆を置いて二戦目でも何でも始めればいいものを。

 いつまで経っても沈黙が続き、時間の浪費に苛立つ。デッキから目を離して決闘の宣言をしようとすると、遊戯と目が合った。遊戯は海馬をじっと眺めている。遊戯にはあまり自覚が無いかもしれないが、これはこの男の悪い癖だ。人のことを何でも見透かしたような目で何でも見ている。その挙動のひとつも見逃さない、といった態で。

「何だ」
「……さっきの話」
「もういい」

 実のところ、もうそれは自分の内で解決できた問題だ。答えが出た問題にこれ以上頭を使うのは馬鹿のやることである。結論が出たからそれを口に出した。それだけのことなのだ。だが遊戯は首を振ってそれを否定する。まだよくない、などと口答えまでする始末だ。

「ボクは……本当のこと言うとさ、ちょっと不安なんだよ」

 昔からボク、不器用でさ。
 そこから続く話は、それこそ塵芥の無駄話だ。海馬にとってはどうでもいい上に、あさがおや犬と同列に語られたようで気分が悪い。海馬の不機嫌をすぐに察知して、遊戯は違うんだよと弁解している。が、何が違うのか全く分かりかねる。

「……何が言いたい。真崎の評価はオレに話しても一切意味を成さんぞ」
「いや!杏子の話でもなくって……!」

 本当に馬鹿馬鹿しい。
 確かに遊戯は不器用だ。遊戯は何でも与え過ぎる。何でも許し過ぎる。
 たったそれだけのことだ。そしてそのたったそれだけのことが、海馬を変えてしまった。

「貴様の感情などどうでもいいわ」
「うわあ……言い切ったね……」
「貴様はそこに居ればいい。そして精々オレを飽きさせん闘いをすることだ」

 遊戯がふっと笑う。何か荷でも下ろしたかのような、腹が立つほど気楽な顔で笑う。そして、そうか、そうだよねと嬉しそうに何度も頷いた。傍目に分かるほど機嫌良く、遊戯は再びデッキを取り出した。

「ボクたち、うまくやれるかな?」
「フン、そこらの植物や捨て犬よりは、オレの方が貴様のことをよく知っている」

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