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三本のマッチ



 街灯が穏やかな色の光の輪を作って、後から後から降り注ぐ白い雪を照らしている。見える世界のほとんどは白い。はあ、ついたため息の色まで白だ。分厚いコートに手を突っ込んで、マフラーに埋めた赤い鼻をすする。両ポケットにカイロを入れているはずなのに、ちっとも温まりやしない。痛いほどの寒さが、爪先や指先からじんじん染みる。

「何してんだろ、ボク……」

 脳内に留めておくより、口に出すほうがより一層情けなく思える疑問だ。大きなくしゃみを一発かまして、また鼻をすする。これは風邪を引いたかもしれない。明日熱なんて出ればもっと情けなさに死にたくなるんだろうな。

「何してんだろ!ボク!」

 元気良く悪態をついてみたが、根本は全く変わらなかった。しかも何の解決にもならない。半眼にぶすくれ顔で、ずるずるとベンチに沈み込む。

「……分かってたよ。どーせ来ないってさ。一時間だけ待ったら帰ろうと思ってたよ」

 クリスマスは忙しいと言っていたから、その翌日に約束をした。もうその時点で幸運を使い果たしてしまったのだと思うしかない。普段は連絡なんて取れないし、取る手段も無いのだ。今回はたまたま街中のゲームイベントに出ていたモクバと話すことに成功して、約束を取り付けることができたのである。
 海馬との接点なんて、いつもそんなものだ。偶然でしか生じない。だから伝えたいことの一片も伝わりやしない。

「もう慣れたけど、一言、一言言ってくれたっていいんじゃないかなあ!別にもう海馬くん本人じゃなくったっていいんだからさあ!」

 秋の中ごろの決闘大会で取り付けた約束もそう、夏休み前に学校に来た時に意気揚々と提案した約束もそう、数え上げれば――と言うほど約束にも成功していないのだが、とにかく全部すっぽかしだ。

「来るかも、って待っちゃうじゃないか!こんなことなら、クリスマスにじーちゃんにもらったゲーム、暖かい部屋でやってるんだったよ!一日潰れたよ!」

 忙しいのも知っているし、決闘で対峙する時意外遊戯には興味も無いのだろうとも思う。でもこうも毎回見事に放っておかれると、嫌われているのかと思いたくなる。いや嫌われてるのかな。わざと、これ?

「そーならそう言えばいいのにさ!海馬くんのバカ!イヤミ!金持ち!身長分けろ!」

 もう一度大きなくしゃみが出た。ずび、と鼻をすすれば、無人の公園は何の音もしてないことに気づく。少しづつ積もる雪が吸い取ってしまったかのように、悲しいほど静かだ。

「……ボクのがバカだって分かってるよ」

 一度目にすっぽかされたあたりで何で学習しないんだ、海馬ならあの冷たい目でそう笑うだろう。だがそうしてしまったら、遊戯と海馬の間には何も無くなってしまう気がするのだ。焦ってしまう。最近益々忙しいのか、学校ではほとんど海馬の姿を見ることはない。

「あーあ!」

 近くなってきた卒業式なんて迎えてしまえば、互いの距離はどんどん離れて、やがて忘れられてしまうのだろうか。遊戯のことも、その身の回りで起こった全ても、遊戯の思いも、全部。

 静かに静かに、雪は降る。今年の冬はやたら寒いらしく、ホワイトクリスマスだと街中が浮かれていた。だがその翌日ともなれば、公園に居るのはそんな浮かれた街に取り残された遊戯ひとりだ。遊戯の焦りなど、腹立ちなど、この白い雪にかかれば覆い隠すことはいとも容易いのだろう。じっとしていると、ただ落ち込んでいくだけの自分を感じる。

「あーあ……」

 ため息をついてうつむき、何とはなしに空っぽの隣を流し見た。虚しさを助長させるだけかと思っていたが、何か小さい物が雪を被って鎮座している。ポケットに両手を突っ込んだまま顔を近づけてみた。小さな長方形の箱のようだ。

「何だろ……これ」

 好奇心に負けて冷気に腕を解放する。指すような寒さに情けない悲鳴を上げながら、箱を手にとって雪を払った。表面に綴られた文字はどこか異邦の言葉でまったく読み取れない。だが箱の形と造りから中身は推測できた。開けてみて満足する。やはりマッチ箱だったか。

「少なくなっちゃったから誰か捨てたのかな……」

 箱の中身はたった3本のマッチだ。それにしてもこんな箱、最初からこんなところにあったのだろうか。全く気づかなかった。

「火、つけたら幸せな幻が見えるんだっけ?」

 そして最後は天に召されるのか。我ながら悪趣味な発想に乾いた笑いが出る。どうせ手持ち無沙汰だ。箱から一本を手に取って火をつける。思った以上の暖かさに感動した。余程体が冷えていたらしい。

「えーっと、待ち合わせすっぽかさなくって、素直で、友達って言っても嫌がらない海馬くんが見えますようにー」

 片目をつぶって、公園を揺れる炎で透かし見ながらふざけて笑う。どうしたって一人なので虚しさは募るばかりだったが。風を受けてか、一瞬大きく燃え上がったマッチを慌てて地に落とす。短いマッチはすぐに消し炭に姿を変えた。あちち、とやけどしかけた右手を振る。

「危なかったー」
「馬鹿め。服にでも燃え移ったらどうするつもりだ」

 ベンチをひっくり返すかと思った。そのぐらい遊戯は大仰に隣を振り返る。突然生じた声にも驚いたが、その声音、口調に何よりも驚いた。当然のようにベンチの隣で足を組むその姿は、紛れも無く現れるのを長く待ち望んでいた姿だ。

「かっ、海馬くん……!?」

 背筋をぴんと伸ばして隣に座っている海馬は、まっすぐに遊戯を見下ろしている。いつも見るハイネックと白いコートの出で立ちだったが、不思議と寒そうに見えない。こんなに派手な格好だったら、近づいてきたらすぐ分かると思うんだけど……。いつの間に。

「遊戯」
「は、はい!?」
「すまない」
「ええ!?な、ななな何が!?」
「この時期は会議や仕事が立て込んでいる。なかなか時間が取れなかった」

 100tとか書かれた大きな金槌で脳天を殴打された気分だった。ひょっとして、いやひょっとしなくとも。待ち合わせに遅れたことを謝られているのだろうか、これは。

「あの……海馬くん、だよね……?」
「……?何を言っているのだ?貴様は」

 寒さに頭をやられたのか、といつものような口の悪さにひとまず安堵する。妙な勘繰りはすまい。せっかくこうやって来てくれたのだし、謝ってくれているのだ。海馬だって人の子だ。長く人を待たせれば悪いと思うこともあるだろう。

「いや、あの……もう来ないと思ったから……良かったよ」
「今回だけではない。秋も、夏もあっただろう。タイミングが悪かった。その時もこうして待っていたのか?」
「まあ、うん。気になっちゃって」
「すまなかった」

 確か、秋に何故夏の約束をすっぽかしたのか聞いたら、馬鹿か貴様はって一蹴してましたよ、君。勘繰るまい勘繰るまいと思いはしつつも、どうしても普段の居丈高な行動との落差にどぎまぎしてしまう。後でとんでもないどんでん返しがあったらどうしよう。

「貸せ」
「へ?」
「手を貸せ」

 外気に晒したままで、すっかり冷たくなった左手を海馬が無理やり取った。温かで大きな手が遊戯のかじかんだ手を包み込む。夢ではない確かな温度が、じんわりと左手に染みた。遊戯はもう、一人の公園で虚しく来ない人を待っているわけではないのだ。

「冷たい。貴様、風邪でも引いたらどうするつもりだ」
「……海馬くん、君、どうしたの」
「?どうしたとはどういう意味だ。右も貸せ。気休め程度にはなるだろう」

 じわじわと、右手が溶けていくように温められる。ぶっきらぼうだったが、優しい両手だった。

「遊戯」
「ん?」
「もう居ないだろうと踏んでいた。……貴様がここに残っていて良かった」

 遊戯は泣きそうになった。

「ボクって、」
「何だ?」
「ボクって、バカだね、海馬くん」

 海馬はこんなこと絶対にしようとしないし、言いもしないだろうだろう。誰の手が冷たかろうと、自分の手が冷たかろうと、それが自分の突き進む道の妨害にならなければ構いもしないはずだ。こうして都合の良い幻影を見ることでそれを自覚するなんて、情けなくて切なくて仕方なかった。

 海馬くんが来ない理由?ボクの約束が君にとって何の意味も無いからでしょ。

「……もういいよ。ありがとう」

 やんわりと海馬の手を遠ざけると、不思議そうな表情が返ってきた。それにひとつ謝って、脇に放っていたマッチ箱を手に取る。

「久々に会えて、嬉しかったよ」

 マッチに火をつけた。くだらない幻をお願いしてごめんなさい。元に戻してください。炎が一際強く揺れると、もう隣には誰の影も無かった。思わず浮かべた笑みは自嘲に崩れた。

「すごいなー、このマッチ!本当に幻が見えるなんてさ!ボク、こういうのに出会う運命なのかなあ?」

 幻でなく、願いが叶うマッチだったのだろうか。両手に残る海馬の手のひらの熱はとても優しい。それともこれも寒さでどうにかなった脳が見せる夢か。だったらとてもやばい。本当に天に召されかねない。でも優しい海馬くんはちょっと楽しかったな。
 凍死してしまう前にもう帰った方がいいだろう。カララ、箱の中で揺れるマッチはあと一本だけだ。

「まあ、どっちでもいいか」

 マッチを取り出して擦る。明々と輝く小さな灯火に笑いかけた。

「海馬くんが、ボクなんかよりずっといい一日を過ごしていますように」

 マッチがあっという間に地面の上で消し炭に変わる。それをきちんと確認して、両手をポケットに戻した。今度こそ家に帰ろう。風邪を引かないように、暖かくして寝る必要がある。イソジンもした方がいいかな。

「貴様は馬鹿か」

 どきり、とした。今度は驚きのあまり動くこともできない。まさか二回目の幻なのだろうか。そろそろ本当に死んでしまうのではないかと疑う。

「いくら待っても来んことが何故理解できん。貴様には学習能力が備わっていないのか。哀れだな」

 あまりに『らしい』物言いに、恐る恐る目を動かした。ベンチの左手数メートル向こうで、傲然と胸をそらす長身の男が仁王立ちしている。渋い色のコートにマフラー、手袋と完全防備だが、やっぱり寒そうだった。

「来てくれるかもって思ったら帰れなかったんだよ。……こんな風にさ」
「フン!貴様はいつも人の都合を考えん約束の取り付け方をするからな。この待ち時間も自業自得と思うことだ」
「うん、総攻撃を仕掛けようと思ったら2500くらった気持ちだよ」
「文句でもあるのか!」
「……無いけど、すっごく寒かったんだよ」
「それが文句と言うのだ!」

 半日以上待たせておいてこのセリフだからすごい。遊戯はやれやれと腰を上げた。吐く息は白い。降る雪も白い。薄く積もった雪をしゃくしゃくと踏み鳴らした。

「でも、ボクが待ってて嬉しかったでしょ?」
「フン、相変わらず戯言だけは得意だな」
「そう思っててくれたら、ボクも嬉しいだけだよ」

 ここに来てくれたということは、多少は望みを持っていてもいいのだろうか。憮然と明後日を睨んで歩き始めた海馬の横に並ぶ。

「今からどっか行く?」
「どうせ貴様のことだ。ロクなプランなど立てていないのだろうが。ならば家にでも帰った方がマシだ」
「うん、じゃあお邪魔します!」
「……勝手にしろ。貴様の馬鹿さ加減はいつ見ても呆れるわ」

 歩みと同時に振れる海馬の左手を捕まえる。手袋を抜き取ると怒鳴られそうになったが、遊戯の手の温度を実感すると海馬は押し黙った。

「ボク、海馬くんはそのままでいいや」
「馬鹿だ貴様は」

 ふと手を取ったまま立ち止まると、海馬も足を止める。予定ならひとつだけ、いつも立てているやつがあったのだが。やっと実行できる。油断している左腕を思いっきり引っ張れば、海馬の顔が近くなった。ためらわずに遊戯も顔を近づけてすぐに離れる。

「本当、バカだよね!」
「……そうだな。だから貴様の取り付けた約束は行く気がせんのだ」

 でもここに来た以上は、覚悟を決めてもらわないと。最後にマッチにした「お願い」の意味を少し考えて笑う。海馬本人に話せば、くだらんと一蹴される絵空事だろうが。
 振り払われない左手をぎゅっと握りこんだら、優しいあたたかさが染みこんで、今の季節を忘れそうだった。

雪景色の公園で (ここでキスして7題-01)

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