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非修辞技巧



いつも遊戯は、言葉にできない、意味の分からないものを海馬に残していく。

 退屈で緩慢な時間をほんの小さな机の上で潰しながら、海馬は経壇から目をそらした。「学校」という存在が海馬にいくつかの付加価値をもたらそうとも、非効率で無駄な時間をそいつが食いつぶしているのには変わりが無いと思う。開いてもいない分厚い教科書を気まぐれにぺらぺらとめくってまた閉じた。

 平坦な教師の声がだらだらと教室に間延びしていく。

 目だけで教室を一望すれば、すぐに見慣れた後頭部を見つけることができた。頬杖をついてうつむいた姿勢のまま微動だにしないその背中をじっと観察する。襟の合間に見える首筋をじりじりと睨みつけた。まるでそうすればその箇所を鋭く傷つけることができるかのように。

 気弱で何の力の無い奴だと、そういう印象しか持っていなかった。もっと言えばそれ以上に存在の認識すら危うかった。興味が無かったのだ。「オトモダチ」や「ナカマ」というままごとごときで満足する人間など、海馬の世界には必要ないし、混入したくない一番の異物だ。
 だがそれがどうして、こうしてひたすら首筋を見つめるまでのものに成長してしまったのか。遊戯が海馬に残す何もかもは、いつもあやふやで、掴めなくて、苛つきだけが募る。

 ふと風が動いた。強い日差しに日干しされた微風が教室の埃っぽい空気を洗っていく。

 遊戯が動いた。海馬が視線を逸らすよりも一瞬早く。間違いなくまっすぐに海馬を振り返って、そのどこか丸みのある輪郭を更に綻ばせた。窓から射す日光を透かした、鈍く赤にぼやけた瞳が海馬を笑う。

 ただそれだけだった。
 そうだ、遊戯が海馬に向けるものといえばいつもそれくらいのものなのだ。

 海馬が募らせる疑問や苛立ちとは反比例している。

「海馬くん、帰らないで」

 放課してすぐ遊戯に捕まってそう言い渡された。何故だだとか理由をきつく問い返す前に、遊戯はばたばたと自分の席に戻っていく。いつも引き連れている『お仲間』共と何やら身振り手振りで熱心に話を繰り広げている。

 そんな言葉など無視してさっさと家路に就くなり、社に向かうなり、海馬には数多の選択肢があった。遊戯の言葉ごときには何の強制力もない。それでも海馬は己の席から動かずに、学校とは全く関係の無い書類を眺めていた。

 自分ひとりを納得させるだけなら何とでも言い訳が立つ。だがその実は、弁解のしようの無い状況に追い込まれているだけだ。

 なるべく愚かな思考に陥らないように書類の文章だけを目で追う。その白い紙面に突然影が下りて、海馬は咄嗟に顔を上げた。いつの間に教室の中には誰もいなくなっている。ただ開いた窓から時々夕焼けの匂いが流れている。

「……海馬くん、待ってもらっちゃってごめんね」
「このオレがここまで時間を割いてやったのだ。余程の重要な用件だろうな」
「うん。余程の重要な用件だよ」

 からかうような口ぶりにむっとすると、遊戯は誠意の無い謝罪を洩らしつつ海馬の机に両手をついた。覗き込むように海馬の目をじっと見返してくる。

「海馬くん、ボクのこと好きでしょ」

 咄嗟に椅子を数センチ後退させた。警戒するように大きくて丸い瞳を睨み上げる。何かその正気を疑うような言葉の矢を放とうとしたのに、弓が壊れているのか何も言い出せない。

「……そうなんだよ」
「それはっ、貴様が決めることではないだろうが!」
「だって本当のことだからさ」

 言い含めるような遊戯の口調はとても柔らかい。その癖、海馬に少しの反論も許していなかった。バン、と大きな音を上げて机に手のひらを叩きつける。話を切り上げるためにジュラルミンケースを取って立ち上がった。

「待って!話、終わってないよ!」
「くだらん!そんな戯言を聞かせるためにこのオレを待たせていたというのか!」
「分かるんだよ!」

 海馬が立ち上がれば、遊戯の目線は随分と下方になる。こんなに小さく、ひ弱なだけの人間の目に、いちいちどうして言葉を呑み込まされなければならないのか。

「君を見てたら分かるよ」
「……っ馬鹿も休み休み言え!そんなものは貴様の抱いた愚かな妄想に過ぎんわ!不愉快だ!オレは帰、」
「いつもボクのこと見てるのに?」

 それは、

 それは、貴様があいまいで不可解で不快で愚かな言葉や態度しか残していかないからで、

 弁解は簡単だというのに。

「……海馬くん。こっち」
「何だ」
「早く」

 立ち上がっているところを腕を引かれて、窓際まで歩かされる。遊戯は窓際に寄せられたカーテンを引っ掴んで自身と海馬の周りをそれで包み込む。

「誰かに聞かれちゃったら困るでしょ?」
「今更だ。……もっとマシな釈明は無いのか」

 遊戯は照れたように笑って、分かったからちょっとしゃがんでよと囁いた。レトリックもメタファーもロクに理解できないくせに、遊戯は肝心なことをいつも言おうとしない。それが故意であれ無自覚であれ、純であれ不純であれ、卑怯であることは変わりない。

(相手が見ていることを知るためには、自分も同じことをしなければならない)

放課後の教室、カーテンのかげ (ここでキスして7題-01)

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