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特定一般論



 今日の海馬はいつも通りだ。
 遊戯が尋ねていくと、有無を言わさず決闘盤を押し付けられた。遊戯も当然そのつもりで遊びに来ているから、昼過ぎまでずっと接戦を繰り広げていたのだ。

「兄サマー!久々にチェスやろうぜぃ!」
「ああ。構わんぞ」

 簡単な昼食を挟んだ直後、モクバがチェスを持って部屋に乗り込んできた。勝ち誇ったような笑顔で遊戯を振り返っている。せっかくの休日に兄を占領されるのは我慢ならなかったのだろう。その無邪気さが和やかで、つい笑みを漏らしてしまった。

「何笑ってんだよ遊戯ー!お前は絶対仲間に入れてやんねえからな!」
「ええー、でも見るぐらいならいいよね?」
「フン!見るだけだからなっ!」

 小さな卓を挟んで座る兄弟の、モクバの後ろに控えて盤面を眺める。上品な顔をした駒たちが二色の盤面に点在している。興味はあるが、未だによくルールは分からない。頭を抱えて押し黙ってしまったモクバの肩を叩く。

「負けたの?」
「まっ、まだだぜぃ!失礼な奴め!」
「サレンダーはいつでも受け付けるぞ?モクバ」
「ううう……!」

 どうやらモクバが窮地に追いやられてしまったらしい。しつこくどういうことかと尋ねると、不機嫌なモクバは兄サマの方から見てみろとぶっきらぼうに返してきた。

「ほら?分かったろ?」
「えーっと……?」
「もう何で分かんないんだよ!こんなに完璧に攻め込まれてるってのにさ!」

 劣勢のはずのモクバの口ぶりはどこか誇らしげだ。だが残念ながら、遊戯にはその完璧とやらがよく分からない。身を乗り出そうとして、つい海馬の肩に手を置いてしまった。

「―――!」
「あ……」

 瞬時に海馬が遊戯を見上げて来たので、遊戯はそっとその手を海馬の肩から離した。だが海馬は、自分の肩のあたりを忌まわしいものでも見るように睨み付けている。

「兄サマ?」

 モクバの一言で海馬はすぐにゲームに戻ったが、遊戯は後悔した。緩んでいた自分の気持ちを。またやってしまったようだ。

 窓の外の景色はそろそろ茜が濃くなっている。空がぱちぱちと火に爆ぜる音でも聞こえそうな色だ。チェスボードを持ったモクバが満足げに出て行くと、部屋は痛いくらいに静かだ。よく見ると細かな意匠の施された小卓の前で、海馬は静かに足を組んで座っている。遊戯はそれに向かい合う椅子の後ろで突っ立ったままだ。

「海馬くん……」
「何故触れた」

 地を這うような静かな囁きで、海馬は遊戯の触れた己の肩口を強く掴んだ。まるでそこに深い傷でも負ったかのように。

「ごめんね。そんなつもりじゃなかったんだけど、」
「何故だと聞いている!」

 思わず後退したのは、海馬が卓を倒したからだ。かなり強い力で引き倒されたようだが、毛の長いカーペットの上では鈍い音しかしない。

「海……」
「名を呼ぶな!」

 襟元を掴み上げられて少し視線の位置が上がった。床から足が浮いているかもしれない。首元が苦しい。迷って、恐る恐る海馬の手に触れると、咄嗟に海馬は遊戯を床に放り出した。まるで卓みたいに。

「何だ……何なのだ、貴様は!」
(そんなのボクが聞きたいよ。)
「答えろ……!」
(そもそも何を聞かれてるんだよ。)

 海馬は癇癪紛れにいくつか物へあたり散らした。それをただぼうっと見つめる。他に何ができるか思いつかなかった。止めようとすれば悪化するのは明らかだ。

「遊戯!」
「……海馬くん」
「オレは……オレは、どうしたらいい……」

 途方にくれたように見えるのは、遊戯がいくらかの感情を以って実際の視覚から差し引いているのだろうか。遊戯は立ち上がって、海馬に近づいてその手を取った。今度は過剰に反応されたり、振り払われたりしなかった。

「……何もしないよ」

 うまい言葉が見つからない自分がやりきれない。でもその他に何も言えなかった。
 こういう瞬間を重ねていけば、海馬は『いつも通り』を保っていけるのだろうか。それともそんなことは最初から不可能で、遊戯が近づくことさえ海馬の世界に歪みを作るのだろうか。

(難しい、難しいよ、海馬くん。)

 手を離して、再び決闘の提案をする。何事も無かったように。
 核心に踏み込んで、関わらないのが最善の方法だって答えが出てしまうのが怖かった。

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