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しょごとましょご



 夏に入ったばかりの昼下がり。窓からは強い陽射しが降り注いでいるが、蔓をカーテンのように下ろす観葉植物が目に涼しい。ついでにそんなオシャレな内装が人目からも守ってくれている気がする。いかにも写真映えするのに、ゆっくり落ち着けるボタニカルなカフェ。しかし、流石の店選びにバイブスを上げられないのは、呼び出された要件がただごとではないからだ。

「それで……相談って?」

 斗真は周囲をキョロキョロ見渡し、声を潜め切り出した。最初にメッセージをもらった時は幻影がネットを駆けてきたのかと思った。相談? 俺に? 同い年とは到底思えない余裕と自信に満ち溢れているあの夏準さんが? どんな衝撃にも耐えられるよう厳戒態勢を敷いていたが、しかし夏準はそんな斗真に苦笑を含んだ柔らかい笑みを浮かべている。

「そんなに構えなくて大丈夫ですよ。深刻なものじゃありませんから」
「で、でも……夏準さんがおれにって! ソートーっしょ!?」

 参加させてもらったSWANKの仕事で美容の話になり、それからなんとなくやり取りを重ね、今では気楽に情報を交換しあったり楽しく遊びに出かけるまでの仲になれた。けれどまだまだ互いに遠慮はあるし、間違っても夏準の相談先リストの一番上に来るような付き合いではない。大体、その一番上のさらに上には殿堂入りの二人が居るはずだ。ちょっと皮肉っぽいので分かりづらい時もあるが、夏準の言葉ひとつ、行動ひとつから二人を大切にする気持ちが伝わることがしょっちゅうある。……ってことは、今回はその二人には話せないこと? まさか、二人が原因だったり?

「どうしてそんなに深刻に受け止めてしまったんですかね。本当に、何の問題も無いんです。ただ少し、斗真くんの意見も聞いてみたくて」
「ええ? がちすかあ?」
「……ガチですよ? それに」

 「ガチ」の言葉の響きが面白いのか、自分で言って自分でちょっと笑ったかと思えば、夏準はふっと身を乗り出した。あまりに自然な仕草で手が伸びてきたので、頬に指先が触れていることに一拍遅れて気がつく。えっ、混乱する耳元に唇が近づいて、やたらに甘い声が落ちてきた。

「きみと遊ぶための口実としても……ちょうどいいかと思ったんです」
「お、おおおおれ口説かれてます!?」

 ズダダ、と椅子を鳴らして体を思いっきり引くと、夏準はくすくす喉を鳴らして笑い始めた。いたずらが成功したのがよっぽど嬉しいらしく、いつもの大人びた雰囲気を崩して子供みたいに笑っている。

「もーカンベンしてくださいよお、夏準さんみたいなバチイケは取り扱い厳重注意っすよぉ!? 死人出ますって!」
「斗真くんは本当に面白いですねえ」
「これはマージです! マジで言ってますから!!」

 どうやら、男とか女とかどうでも良くなるカリスマを照射してくるのはアンだけではないらしい。まったく真に受けた様子がないのでもう少し力説しようとしたが、こちらに少しも興味が無さそうな店員がそっと飲み物を置いていったので勢いが削がれてしまった。目を見合わせて苦笑を交わす。

「もう少し、別の話しときます?」
「いえ、ありがとうございます」

 夏準の言葉や態度をそのまま受け取れば、たしかに深刻な話ではなさそうだが。話しにくいならもうちょっと楽しい話題を続けるのも大歓迎だ。しかし、夏準はそんな斗真の提案にほのかな笑みを浮かべて、ゆっくりと口を開いた。

「付き合いたてのカップルは……ふつう、どれくらいで落ち着きますか?」
「お、あ、え?」

 そして、突拍子もない質問で斗真の脳を完全にバグらせた。

「えーっと……」
「斗真くんはボクが知らない流行にも詳しいので。もしかしたら知っているかもと思ったんですが」
「流行……関係あります? っていうか、なんでいきなりそんな……」
「きみにならと思って言うんですが。実は……」

 夏準がまた少し身を乗り出して声をグッと潜めた。今度はからかっているわけではないらしいが、先ほどのこともあり少し心臓に悪い。混乱したまま、なんとか身を引かずに体勢をキープできたことだけ自分を心の中で褒める。

「アレンとアンは恋人同士で」
「へえ!?」

 せっかく維持した体勢が大いに崩れた。テーブルを覆うように身を乗り出して店中に響き渡る大声を上げてしまった。慌てて立ち上がり四方八方に頭を下げて椅子に戻る。

「驚かせちゃいましたね」
「そりゃビビりますよ!? そんな風には全然見えないんですけど、いつからですか!?」

 Road to Legendが始まる前からと聞き、先ほど謝ったばかりだというのに椅子ごと横転しそうになった。第一回のParadox Liveの熱狂の中、遠いステージの上だと思っていた輝きの中でそんなことが。ほんのつい最近まで──Road to Legendにすべてを賭けにいく前までは崖っぷちギリギリを歩いていたので、その頃の感覚がどうしても抜けず、BAEも人間なんすね……という感想が出かかってやめた。今は対等にステージで向き合っている相手だ。夏準のように洋服みたいな気軽さで自信を身につけるにはまだまだ遠い気がするが、せめて心意気だけは忘れずにいたい。一人オロついたり考え込んだりする斗真を面白そうに眺めてくる夏準に慌てて笑みと相槌を返す。

「でも、なるほどかも……。それで『相談』ってことですよね? 三人居て、二人くっついちゃったらさすがに気まずさえぐいかあ」
「ああ、いえ。そこはまったく」
「まったく!?」
「はい。むしろ、気まずくなる隙もないのが問題というか……」

 そうして夏準は、とんでもない話をスラスラと話し始めた。まるで明日の天気の話でもしているかのように。付き合いたてで浮かれまくっているアレンとアンに、隙あらば抱きつかれ、頬や手や首筋にキスされ、ベッドに潜り込まれて抱き枕にされ、ソファでは抑え込まれてくすぐられる──そんな日常を。

「あの……夏準さん口説かれてます?」
「何を言ってるんですか?」

 斗真が冗談を言ったと思ってまた夏準はくすくす笑っているが、これはまったく冗談ではない。なんなら斗真はこの席に座ってからずっと真剣だ。心からまっすぐの質問と恐怖である。チームの絆などという言葉で片付けてしまって本当にいいのだろうか。これがグローバルってことなのか。斗真には分かりようもない。日本語も怪しいのに。

「斗真くんは不思議ですね」

 もはやどうやって混乱から抜け出せばいいのか分からないでいると、夏準が笑みを引きずったまま囁いた。いやいや、夏準さんたちほどじゃ。反射で返しそうになったが、伏せた目から落ちる視線がひどく優しくて咄嗟にツッコめなかった。

「二人のこと、誰にも言うつもりはなかったんです。誰かに漏らすのがもったいない気がして」

 表情も声もやっぱり柔らかい。アレンやアンの話をするときによく見る顔だ。そこでようやく、斗真は「深刻なものじゃない」「何の問題も無い」相談の正体を見破った。気が抜けて笑ってしまう。

「……こーれ、ノロケられちゃいました? おれ、当て馬ってやつですかあ?」
「違いますよ。なんでしょうね……こういうものを友人、って言うんでしょうか」

 てっきりいつもみたいにうまくかわされると思っていたのだが。まっすぐな言葉に斗真にもまっすぐ照れがくる。熱い頬をごまかすように笑ってみると、穏やかな笑みだけが返ってくるので更に恥ずかしい。一言なんかじゃ到底言い表せないチームの絆の外に、突然ポンと置かれた新しい何かがくすぐったい。じっとしていられなくて、椅子に座り直しながら頬を掻く。

「きみが不思議なのは、少しだけ、似ているからかもしれません」
「似てる……って、言うと?」
「どんなに苦しくても醜くても、足掻くことをやめられないところ」

 誰に、はわざわざ聞かなくてもいいだろう。斗真は笑みを中途半端に残したまま夏準の穏やかな目の色をただ受け止めた。

 斗真にとって「醜さ」は心の奥の暗いところを撫でる言葉だ。でも不思議と嫌な気分にならない。なんと表現していいか分からない気持ちだ。夏準の言葉が魔法のように思考へベールをかけてぼうっとしてしまう感じがする。

「スミマセン。喜んでいいのか、よく……分かんなくて」
「喜んでほしくて言ってないですから。お構いなく」
「うへぇ、夏準さんキビシー」

 ぱっと魔法が解かれて、とんでもない話を聞いた衝撃も不思議な感慨も溶けて消えた。気の抜けた笑みを交わし合う。さすがはBAEのカリスマだなあと感心していると、夏準があごに指を添わせて少し首を傾げた。

「でも、変ですねえ。きみなら何か、有益な情報を知ってると思ったんですが……ボクの勘が、外れましたかね?」

 気づけばまたも綺麗な顔が間近に迫っている。相変わらずどの瞬間もビジュが強い。撮る前から加工がかかってるう、現実逃避している両肩が後ろからガッと掴まれて体が引かされた。椅子の前足が浮いている。

「うえ!?」

 倒れる! 声が出たが、後頭部が何かにぶつかって止まった。バクバク跳ねる心臓を押さえながら見上げた先に居たのは──憧吾だ。

「しょーちん!?」
「おや、안녕하세요? 憧吾くん。奇遇ですねえ」

 夏準がにこやかに挨拶しているのに、普段は堅苦しすぎるくらい礼儀正しい憧吾の顔はただただ焦りでいっぱいだ。なんでここにいんの? てかなにごと? 何か事件? 驚きをすぐに心配が塗り替えていく。

「話してるところ、すみません! うちの斗真、少し返してください!」

 鬼気迫る真剣さで頭を下げる憧吾、きょとんとする夏準、混乱して二人の顔をキョロキョロ見比べるしかない斗真。妙な沈黙が数秒流れ──夏準の鼻から漏れる笑みがそれを破った。

「返す先は、アナタなんですか?」

 夏準のからかうような笑みに、憧吾は明らかに言葉を詰まらされている。見かねて立ち上がった。このままじゃしょーちん窒息死するって。

「夏準さん、スミマセン! なんかあったみたいで。ちょっと外出ます!」
「どうぞ、ごゆっくり」

 緩やかな笑みで手をひらひら振る夏準に両手を合わせペコペコ頭を下げていると、背中を憧吾に押し出される。けれど珍しく強引だなと思えば、外に出るなり黙り込んで俯いたまま動かないのだ。むわっと体中に貼り付いてラッピングしてくる夏の熱と湿気にめげつつ、体を傾けて憧吾の堅い横顔を眺める。

「……どしたの、しょーちん」

 たくさんのものを危うく抱えて歩いているのに、いつも誰よりも頼もしくあろうとしてくれる憧吾が心配なのだ。もう少し屈んで、思いつめた表情をこれ以上刺激しないようにそっと覗き込んでみる。目が合うと、憧吾は顔をしかめ、それでもようやく口を開いてくれた。

「好き、なのか?」
「へっ?」
「……夏準さんのこと」

 真剣な眼差しにぽかんとする。最初は何を言われているか分からなかったが、じわじわと意味が染みてきた。そして、それがどれだけひどい言葉かも。

「本気で聞いてる?」
「……聞いてない」
「じゃなきゃ困るよぉ」

 必死に支え合う中で気持ちを通わせて、もうどれくらい経ったことやら。今更そんなことを疑われるなんて心外だ。憧吾の返事にがっくり肩を下げた。

「でも、もし……斗真が、そう……だったら」

 まだ言うか。もー、と呆れつつもう一度顔を覗き込むが、こういう時、憧吾の顔はいつも大真面目だ。だから憎めないし放っとけない。しょうがないので、大人しく続きを待ってみる。

「俺に、勝ち目……無いから」

 その言葉に、二人して見つめ合ったまま息を止めた。何だか変な顔をしたまま時が止まる。数十秒、根比べに負けた塊がはあと吐き出された。

「しょーちんさあ……」

 更に脱力して、その場にしゃがみこんだ。苦笑をこぼしながら憧吾の膝をポンポンポンと軽く叩けば、リズミカルな動きに合わせて憧吾の表情が少しずつ和らいでいく。

「俺にとっても、葵や甘太郎にとっても、ステラにだって、憧吾が一番カッコイイし、憧吾じゃなきゃダメなんだよ。それ、忘れないようにしなきゃ」
「……うん」
「こんだけ一緒にいるのに、そんな想像されたら寂しいに決まってるっしょ?」
「……だよな、ごめん」

 斗真の言葉をいちいち真正面から受け止めてしょげるので苦笑する。そんなあり得ないことを考えるくらい斗真を想ってくれているのは嬉しいと感じてしまう気持ちもあるのだ。素直に反省している憧吾には悪いが。ニッと口角を引き上げて笑ってみせる。

「大体、夏準さんにも失礼だし! そーだ、謝りついで、せっかくだし夏準さんの相談に乗ってあげよーぜ! やっぱ夏準さんって最強なんだよなあ」
「そ、相談……?」

 「相談」は、きっと憧吾とのことも含めて斗真に持ち込まれたのだろう。変な偏見を持たれずに自慢できる相手を探していたに違いない。さすが、自己申告どおり勘が鋭い。ちらっとだけ夏準の思い込みではと思ったりもしたが、まず間違いなくアレンとアンはアツアツカップルなのだ。

「てかしょーちん、なんでここに?」

 湿っぽい熱気から涼しい店内に憧吾を戻してやりつつ聞いてみて、斗真はますます「夏準最強説」を確信することとなったのだった。やたら距離が近かったのは、その写真を憧吾に送って「おびき出す」ためだったらしい。

 ──いや普通に呼んでくれたら喜んで来たと思いますけど!?

 そして同時に、BAEってちょっと変かもしれない……という疑念を抱えることになったのだった。

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