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un/out/ill-spoken



outspoken

 最近のアレンは本当に。

 切れ込みを入れ、ざっと甘夏の皮を剥くと、ふわりと爽やかな香りがキッチンに広がった。房から果肉を取り出して、小皿に取り分ける度に匂いは強くなる。茹でておいたそら豆に手を移し、ぷちぷちと薄皮から押し出すとほんのり青い匂いが混ざる。柔らかい朝陽を受けて光っているのは水にさらした新玉ねぎ。我ながら呆れるくらい呑気で、何の捻りも無いですが──春ですね。とても。

 オリーブオイルで和えて、オープンサンドにでもしましょうか。香りづけにハーブを……タイムあたりでしょうか。そう言えばプロシュートがありましたっけ。春で満ちたキッチンに背を向けて冷蔵庫の扉に手をかける。パタ、扉を開く軽い音に、パタンとドアの音が重なった。食材を片手に首だけで振り返る。

「どっちですか? おはようございます」

 アンのほうが確率は高いですが、寝てないアレンの可能性もありますからね。この二人ときたら、眠る時間がもったいない、という不健康極まりないところだけは双子みたいに気が合うようですし。すぐに返事がない、ということはまだ寝ぼけてますね。ボクとしてはそんな生活をしていたら当然ですとしか言えません。

 ふ、呆れたため息のつもりだったのに笑みが混じってしまった。体をキッチンに戻すと、カウンターの向こう、正面の椅子にアレンがのっそり座るところだった。

「コーヒーですか?」

 この燕夏準相手に太々しいにも程がありますが、まあ目を瞑ります。一睡も惜しんで熱中している先に何があるかよーく知っていますから。

 カウンターに肘を付くために、高い椅子に小さく丸まっているのがなんだか間抜けだ。どうせまだほとんど夢の中に居るんでしょう、そう思って少し身を屈めて顔を覗き込む、と隈の浮かぶ目と目が合った。瞼がいかに重そうでも、春の光を大量に背負っても、どういう理屈か影にならないで輝いている。手のひらで頬を押しつぶしたまま、唇の隅がゆるく解けて笑みになった。顔まで間抜けです。表現するなら히죽히죽──「にやにや」が、良さそうですね。寝ぼけているのか気まぐれか知りませんが、返事がないなら放っておいても構わないでしょう。

 プロシュートのパックはひとまず脇に置き、保存用の袋からタイムの枝を引っ張り出す。まだ新鮮な葉の香りが春の匂いの中を駆けていく。そう言えば嗅覚への刺激は目覚めを促すなんて話もありますね。ちら、視線だけ上げた先、アレンはまだ眠そうな笑みでじっとこちらを見ている。

「そんなところで眠りこけないでくださいね」

 投げて寄越した言葉も聞こえているのか聞こえていないのか。具材を混ざたりカンパーニュに盛り付けたりする指の先から頭の頂点まで、じっと眺められている。のが分かる。確認しなくても視線が肌の上を撫でていく。別に構いませんけど、何度も心の中で唱えている自分に気づいて、相当に構っている矛盾に苦々しい気分が込み上げてくる。

「夏準」

 す、と思わず息を吸ってしまった。変なタイミングで。それだけのこと、いくらでもごまかせるはずなのに。どうにも気まずさを捨てられない。手元からカウンターの向こうへ渋々目を移して、また見つめ合う。逆光の中に紛れた春の光がアレンの瞳の中で柔らかく溶けている。

「いい匂いだな」

 だから何ですか。つまらない寝言ですね。邪魔ですからシャワーでも浴びてきたらどうですか。いくらでも言える。「いつも通り」に。けれど、どれも的外れなんでしょう、どうせ。何を言ってももう無駄で、勝手にほしい言葉を掠め取っていったに決まっています。

 無視をすることに決めて、手元に集中を戻した途端に視線がふっと途切れた。不思議に思って顔を上げようとしたすぐ隣に気配が移っている。少し身を引いて、嫌そうな顔で。「燕夏準」の反応を、切れ込みの深い瞳が柔らかい光を滲ませて眺める。まるで何かを許すみたいに。

「ただ、春の匂いがしてるなって」

 身を乗り出して、す、と首元で息を吸われる。呆れるくらい呑気で何の捻りもないヴァースのくせに、そのしたり顔は何が言いたいんですか? 一体どんな油断でこんなやり口を覚えさせてしまったんですかね。ボクはそんな躾したつもりはないんですが。

 最近そんなことばかり続いていましたから。本当は分かっています。それが、気まぐれでも、変な思い付きでもないことを。

 朝のキッチンとは打って変わって、夕陽の光が刻々と弱くなっていく薄暗い部屋。ベッドの上に付いた両腕の間に頭を閉じ込められて、世界の全てから切り離されて。そんな濃い影の中なのに、どうしてこんなにこの目は──うるさいんでしょうか? 말이 많네、吐き捨てて額を叩いてやりたくなりますね。

 でも、そうしないのは分かっているからですよ。好き勝手に妄言を撒き散らす他の誰とも違って、アナタがたったひとつをボクの目の中に探していることを。

 だからって、よく飽きませんね。もうどれだけこの体勢でいると思っているんですか。アナタが見下ろすその両目にアナタのそのだらしない顔が映っていることに早く気づくといいんですけど。体が重なる部分の熱がやけにくすぐったくて眉を下げて苦笑いした。両腕を上げて首に回して、無理やり体勢を崩し横向きに雪崩させる。おわ、慌てる声が馬鹿みたいですね。笑えます。

「……夏準」

 不機嫌な顔を作りたいらしいけれど、それではただの困り顔だ。こんなに笑われてもそんな顔しかできないんですね。くすくす、喉を鳴らしながら億劫な口を開く。アレンに引き剥がされた世界の中ではひとつのことしか考えなくていいはずなのに、わざわざ言葉にするって馬鹿みたいじゃないですか。

「うるさいからですよ、アナタが」

 でも、まあ、文句くらいは言っておかないといけませんよね。へ? まったく心当たりが無さそうな声も顔もやっぱり間抜けで──それがかわいいような気がしてくるからどうしようもない。笑いを止められないまま、丸まった目の上に唇を押し付けた。

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