※死ネタ?
※Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=14376253
たくさん咲いているところを見つけたからと腕いっぱいの百合をもらった。嬉しくて枕元に据えてもらったので、部屋中に夏の湿った空気と蝉の鳴き声と甘い香りが満ちる。人より何倍も鼻が利くから強い香りは苦手な時もあるけれど、花の香は好きだ。その花が育った土の、風の、水の匂いに体を浸している気分になれる。すう、思い切り息を吸い込んで胸を百合の匂いで満たして目を開けた。すると、涼しげな蒼い目が明るい外の光を背にして翳っている。胸を膨らませたまま息を止めてしまった。世界中から蝉が消えてしまったような錯覚がする。癖のある髪の先、分厚いまつ毛の先、凛と通る鼻の先、緩やかに笑みを描く口の先をまじまじと眺め、とうとう息が苦しくなってぷはっと吐いた。
「俺、何かしてしまったでしょうか……」
きっと今、この人の目より青い顔をしているだろう。何せこの人は無駄なことはしない、言わない人だ。こうして覗き込んでくるからにはそれなりの理由があるはずで、まず最初に思い当たることは情けない自分への叱責だったのだ。こちらの言葉に、見上げる人の眉根が少し寄る。不本意そうな表情だった。
「俺はただ顔を見にも来られないのか」
答えがある。まるで本当にこの人がそこに居て、昨日の続きを当たり前に話しているみたいだ。ぽかんとその白い顔をただ眺める。
「ただ、顔を見に」
「そうだよ」
戦いを終えて、時折見せてくれるようになった親しげでくだけた返事が優しい声でなぞられた。その懐かしさが百合の匂いに混じって甘く香る。
「嬉しいなあ」
思わず微笑むと、見上げる人の呆れ切った顔も嬉しげな笑みに解けていった。大きな変化無いけれど、小さな花が朝陽の中にそっと開くように笑う。
「もうお前は誰にも侮られることはない。誰にもねじ伏せられない」
だからわざわざ叱りになんて来ない、そう言ってくれているのだろう。もし本当にそう思っていてくれたならとても嬉しいし、誇らしい。けれどもしかしたら自分の願望かもしれないと思って、申し訳なくもあった。
「俺は変わらないと思います。過ぎ去っていくぜんぶが寂しい」
昔は、努力を重ねれば記憶にあるいくつもの背と同じように立派な大人になれるはずだと信じていたけれど、今になってもまだその日は来ていない。それでもいつかはと信じて歩いていく決意はあるが、いつまでも子供のように迷ったり悩んだりする自分が情けなくなったりもする。
「なら」
見上げる人は、ピンと来ていない様子でしばらく首を傾げていたけれど、何かを思いついたらしく首を戻した。この人は逆だ。立派な凄い人なのに、時々子供みたいな素振りをする。
「合図を決めるか」
合図、と繰り返せば優しい微笑みで頷きが返る。覗き込む蒼い目がほんの少し近くなった。けれどいつも嗅いだ匂いはしない。百合の花の匂いだけがする。
「もし次に会ったら、それと分かるように」
ああ、きっと嬉しいだろうなと思った。こうしてまたこの人に会い、親しくあいさつされて、隣で楽しく話せたら。そのための確かな約束があったら安心する。
「いいえ」
けれど頷かなかった。やっぱり心配をかけてしまっていたのかもしれない。怒鳴られたわけではないけど、それを別のやり方で叱られたのかもしれないと思った。眉を下げて笑う。
「俺は本当に幸せです。ここにいて、生きて。寂しくても、幸せです」
苦しいことも辛いことも相変わらず空模様のように移ろい、晴れては曇ってを繰り返すけれど、できることがほんの少ししか無い日だってあるけれど、それでも毎日が少しずつ積み重なっていくのは幸せだ。
「義勇さんに会えたことも、その幸せのうちです」
なんの合図も約束も無くこの人に出会い、運命を救われたことを心から幸福に思う。積み重ねる毎日の中に交差する日があったことを大切にしていたい。
「だから大丈夫です」
きっと答えが分かっていたんだろうと思う。義勇さんがあんまり穏やかな目で笑うので。
ひとつ目を閉じてまた開くと、部屋には誰も居なかった。夏の湿った空気と蝉の鳴き声と甘い香りだけが満ちている。起き上がって百合の花を一本引き抜いた。今日は散歩に行こうかと思う。百合のたくさん咲いているところを教えてもらいたい。