※ Pixiv掲載: https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21796298
さる名著では、人間関係の構築で重要なことは「理解に徹し、そして理解されること」だと説いた。良好な関係を築くためには対話は不可欠。新たな橋を築くためには何より堅固な土台を築くべきだ。相手が何を思い、求め、逆に自分が何を考え、与えられるか、そのひとつひとつの理解が杭になって関係を固定する。
とかなんとか。
アンを部屋から引きずりだした夏準の言い分をアンは一割もまともに聞いていないので欠片も頭に残っていない。
「……で?」
我慢できずにとうとう長い沈黙を破った。ダイニングテーブルに肘をついて、隣に座る夏準を見上げる。手元にはデッサン用のノートを広げてはいるが、どこかのHIPHOPバカとは違うのでこんな状況で集中なんてできやしない。
「僕要る? ここに」
「要る。居てくれ」
「当たり前です」
「そうかなあ……」
正面から飛んでくるアレンのどこか必死な声に、ツンと澄ました夏準の声が重なる。こういう時、もし夏準がUKに生まれていたらそれはもう流暢なRPで「お上品な」ジョークを飛ばすに違いないなといつも思う。
「少し整理しましょう」
「そうだな」
「整理するほどのことじゃないと思うけど……」
一応ぼやいてはみるが全く聞き入れられた様子は見えない。夏準は神妙な面持ちで腕を組み思案するように目を伏せており、アレンはそれを硬い表情で見つめている。一見すると目つきが悪くなっているだけだが、実際は緊張している時によく見る表情だ。果たしてこんなに真剣に話し込むことなのか。最近はリリックのアイデア出しでもこんな空気にならないというのに。
ふう、夏準が何かを振り切るように短く息を吐いた。
「アレンはボクのことが好きなんですね?」
「うん、好きだ」
答えるアレンに迷いは少しも見えない。付き合いの長さのおかげか、顔色はちっとも変わらないのに、そのことにむしろ夏準のほうがたじろいでいるのが分かる気がする。
「ええ、それで。ボクもアレンと同じことを考えています」
「好きなんだよな?」
「……そうですけど?」
まっすぐに夏準を見つめるアレンから目を逸らしたまま、飽くまでなんでもないことのように夏準が答えている。やっぱり素直じゃない。微笑ましい。けど別に僕は本当に要らない。気まずい。
「それは良かったねえ……と思うけどお」
「そう。問題はその先です」
「え? なんか勝手に話広げられた」
アンにひとつ頷いた夏準は、ようやくアレンと視線を合わせた。真剣な面持ちでアレン、とひとつ名を呼ぶ。なんだ、アレンの返事もまだ少し硬い。
「アレンからどうぞ。何かありますか?」
「ええ? 俺からか? うーん、まあ……いいけど……」
実際アレンから言わされる理屈は全く無かったが、こういう時にアレンは夏準にとことん弱いし、絶対に譲れない芯以外の部分の大半を無意識で夏準に譲ってしまう。口の中でむにゃむにゃ言いづらそうな何かを散々転がし、テーブルに腕をべったり付けた。上目遣いでじとりと夏準を見上げている。
「逆に、どこまでなら大丈夫なんだ?」
「어?」
ちらりと盗み見る夏準の横顔は、澄まし顔の仮面をうっかり取り落としていた。全く予想もしていなかった返事のようだ。また目を伏せてアンのほうへ視線を流している。さすがに今回ばかりは何のサポートもできそうにないので見ないでほしい。ポンと腕をひとつ叩いてやると、不本意そうに眉根が寄ってアレンに目が戻っていった。なんでがっかりされたんだろう。理不尽だ。
「どこまで、と言うと」
「そりゃ、触ったり、とか……」
気まずい沈黙のベースコートに、更に気まずいジェルが丁寧に塗られている。アレンの少し赤くなった耳の色がニュアンスカラーだろうか。などと、深く考えないための涙ぐましい努力を惜しまない。
「アレンにもそういう発想があったんですね」
「どういう意味だよ」
「HIPHOP以外の欲求が無いのかと」
「まあ、確かに……HIPHOPばっかりだけどさ。俺だって……好きな奴と暮らしてるんだぞ」
「……まあ、僕も暮らしてるけどね?」
我慢できずに口を挟んでしまった。お見合いの席には全く響いていないようだが。アレンも夏準も気まずそうにテーブルを見つめているけれど、それよりも更に気まずい観戦席があることを忘れないでほしい。
「そこまで言うなら、先に聞きますが……アレンはどこまでを想定していますか?」
「えっ?」
アレンが思わず首を起こして腕から顔を上げている。今度はアレンにとって思いもしない言葉だったらしい。夏準は戸惑うように少し首を傾げている。
「なんですかその反応」
「いや、夏準ってめちゃくちゃモテるし、ファンサービスもすごいし。元々男同士がどうとか……ないだろ? だから」
アレンの言葉が詰まった。アンが先を促すのも変な話なので、夏準が黙っているとまた沈黙が生まれる。たっぷり数十秒、アレンはぼそりと「嫌がるかと思ってた」、と観念して呟いた。眉をしかめてそれを拾った夏準は、はあと突き放すような溜息を吐く。
「何だと思っているんですか? ボクのこと。男でも女でも関係ありません。アナタと……アン以外はごめんです」
「へえっ!? ちょっと、そこで僕を巻き込まないでよ」
「夏準……」
「聞いてる? 僕はそういう好きじゃないからね? 二人のこと。like as a friendだから」
とんでもない爆弾発言だったが、二人の中ではアンの存在は当然のものらしく、何のツッコミも無く二人の世界に入ってしまった。その当たり前が嬉しいのは嬉しい。いつもならものすごく嬉しい。いつもなら。
「手、ぐらいならいいよな」
「……ええ」
アレンの手がテーブルに乗った。アンと同じように肘を付いたアレンが夏準を見上げている。それを何とも言えない複雑そうな表情で見下ろしていた(間違いなく照れ隠しだ)夏準が指先を伸ばせば、触れたアレンの指先が少し跳ねる。しかしすぐに指が重なっていった。一体何を見せられているのか。
「Hello mates、もしもーし? 聞いてないなら部屋に戻るよ……って、ちょっと?」
やれやれと立ち上がろうとしたアンの腕を夏準がしっかりと引き留めている。視線はしっかりアレンを向いているのに。
「あのさ……キス、とか」
「それぐらい普通でしょう。文化によっては友人でも交わすんですから」
「そっ……か。その……先も考えたことあるって言ったら……引くか?」
「そうだと答えたら……ボクも同じ心配をアナタにしないといけなくなります」
夏準に腕をしっかり掴まれたまま、アンは重くなった額を手のひらで支えることしかできない。いや、できないじゃない。ここで甘やかしちゃダメなのだ。二人のことは最終的に二人で決めるべきだし、そうしてくれないと心から二人を祝福していた感動が薄れる。
「僕絶対要らないって。もう戻る! 絶対戻る」
今度こそ立ち上がってテーブルに付いた腕にアレンからも手が伸びてきた。両腕に縋る形で引き留められて困惑する。見上げてくるアレンの顔は必死だ。夏準も鬼気迫る表情をしている。
「アン」
「アン、頼む」
「なんで!」
思わず叫んでしまった。しかしすぐに返事が返ってこない。それどころか、今度は気まずい沈黙をアンの前にも設置しようとしている。アレン、夏準? 順に名前を呼ぶと、代表の夏準はまた不本意そうに口を開いた。
「二人になると、まともに話が続かないんです」
夏準の目が逸れ、アレンの目も逸れ。はあ、深い溜息を吐き出しアンは二人から腕を引っこ抜いた。
「そんな状態でこんな話百年早いでしょ!!」
もう面倒見切れない。そんなもの、二人で死ぬほど気まずい沈黙をたらふく飲み込んで、どうにかこうにか橋とやらをかけるべく頑張ってもらうしかないのだ。どすどす床を踏んで部屋に戻ったが、何故だか口元は笑みで緩んでいた。