文字数: 5,543

Dialogues



「夏準! 俺も考えたぞ」
「はあ」

 勢いのあるノックに渋々許しを出すなり、案の定目を輝かせたアレンが乗り込んできた。その手にリリックノートも音源を再生する何かも見当たらないので、チェックしていたトレーディングビューに目を戻した。それが気に入らないのか、スリッパがダスダス荒々しい音で近づいてくる。

「何の話ですか」
「何のって……さっきの話」
「さっき……?」
「怒ってただろ?」

 HIPHOPにかまけ過ぎて文化的な生活からかけ離れた生活に対し苦言を呈すことなんてしょっちゅうだ。いちいち記憶容量を割いていない。いくつか記憶を辿ろうとして、アレンの言う通りかなり手前のところでそれなりに気分を害されたことをようやく思い至る。ああ、ため息混じりに納得が零れた。

「怒ると言うよりは呆れているだけです」

 アレンがアレンであることなんて今更だ。そうでなければ、こんなにくだらない感情を時には楽しんでさえしてこねくり回したりしないのだから。いつものように理性でうまくコントロールできずに溢れ出てしまった言葉に自分自身で呆れている。モニターから視線を少しだけ寄越してやって小さく笑う。

「最初から期待していません。まあ、いいですよ」

 今のところは。

 勝機は待ったり掴んだりするものではない。好きな時に作ればもっと早く済む──などと金融チャートを前に考えていると要らぬ誤解を受けそうだが。こちらを見下ろすアレンは不服そうな顔で眉を寄せている。そうしていると鋭い目つきが際立つ。子供っぽい拗ねた顔を見つけるためにはそれなりの付き合いが必要だ。笑みが深くなってしまう。どうしようもない。

「だから俺も考えたんだって」
「何をですか?」
「困ってる奴が居たら、普通は助けてやりたいだろ?」

 答えにしては先程の話との関連が薄くて唐突だ。こめかみに指を当てて顔ごとアレンに向け、ひとまず聞く姿勢を取ってやる。ぐるりとアレンの言葉をひとつ脳に巡らせ、何の感情も湧かず口を開いた。

「人によります」
「い……いや、よらない。お前だって何だかんだ助けてるだろ」
「……ボクは選んでますよ?」

 アレンの寄った眉が解ける。きょとんと目が丸くなり、たちまち顔の印象が幼く、間抜けになる。ぽかんとワインレッドの皿になった瞳がおかしくて笑みが漏れた。それで我に返ったのか、また顔がしかめられている。

「そこだよ」

 憮然と指を突きつけられていい気分はしない。夏準も笑みを消してわずかに指先から身を引いた。怪訝を剥き出しにしてアレンを見上げる。

「そこ」
「そう」

 深い頷きひとつ。全くピンと来ていないことが正しく伝わっているらしく、アレンはもどかしそうに髪をガシガシと梳いた。

「だから。困ってたら助けたいって思ってるよ、とっくに。相手が夏準なら余計にそう思うに決まってるだろ」
「はあ……つまり?」
「困ってるように見えないのが問題なんじゃないか?」

 一瞬、本気で何を言っているのか理解できず愚かに呆ける間ができた。はあ? とりあえず転嫁された責任に不服を示すと、アレンはデスクに手をついて夏準を覗き込んで来ている。

「いつ困ってるんだよ」

 また、いちいち記憶容量を割いていられないことを聞かれている。いちいち覚えていたらキリなんてないのに、鮮明に記憶されている全ての断片。表情や言葉、音や熱。

「俺の言ったこととか触ったことの、いつ」

 窓から入る光を受けて煌々と燃えるアレンの瞳の色を言葉を失って見上げた。「それで」、言ってアレンが気まずそうに言葉を止める。自分がアレンに言い放った言葉が静寂の裏側に潜んでいる。ボクが欲しくてたまらなくなって、困ってくださいね。

「あ……今」

 それはあまりにも間抜けで、そのくせ、どこまでも正しい気づきだった。言い訳するなら──まさかアレンが自身で辿り着けるだなんて思ってもいなかった。いざ気づかれて、どうなるのかなどさっぱり考えてもいなかったのだ。

 困るというなら困っている。こういうところにいつも。

「夏準」

 答えを求めるように名前を呼ばれた。その心底嬉しそうな瞳の輝きが煩わしい。

「夏準」

 めげずにもう一度名前を呼ばれ、苛立ちで眉が寄った。絶対に言葉ひとつも押し出したくなくなる。稚拙な感情に操られるまま屈みこむアレンの口に手を当てた。わは、手のひらに照れ混じりの温かい笑みが吹きかけられる。

「俺は、お前の声かな」

 珍しく自分が優位なことを悟って嬉しいのか、アレンは目を細めて無邪気に笑った。手のひらから硬質の声が響いてそのまま脈に乗る。そんな錯覚がする。

「ミックスでもイヤモニでも、一番近くで一番聞いてるから。いつもリリックでトビそうになる。頭グチャグチャだよ」

 夏準、相変わらず乞われるように名前を呼ばれ、勝手に開きそうになる口を無理やり引き結んでいる。アレンの笑みが苦笑に崩れた。そのくせ、声はやはり窓から受けた光全て吸収して明るい。

「でも、困っても聞きたい」

-+=

ご不便をおかけしますが、コピー保護を行っています。