※ 若干の性描写があります
コードをあれこれいじっている内にとんでもないアレンジが出来上がってしまい、その興奮のままアレンは夏準の部屋のドアを叩いた。幸いにも夏準は起きていて部屋に入るのを許してくれたが、今にも寝入るところだったらしく見るからにご機嫌は麗しくない。しかしアレンジを聞かせてから冷えた表情にパッと温度が戻ったのが分かった。それがアレンの自信を更に深くする。夏準のパートに入ってからの進行の案をウキウキといくつも並べ、夏準のまぶたから眠気の重みが消えていく様を間近で楽しく観察する。やっぱり今回の曲も最高だ。それをアレンは夏準の体から感じている。
「なるほどな……さすが夏準、打ち込んどくからちょっと場所借りるぞ」
腰かけているベッドにタブレットを置き、夏準に吹き込ませた仮歌へコードを重ねたり音を足したり引いたりする。アンにも早く聞かせてアレンジしたくてたまらなくなってきたが、さすがにCANDYまで押しかけるわけにもいかないだろう。アンにもいくつか候補を出してやろう、と新たなトラックを作成する。
「アレン」
背中をトンと突かれて振り返れば、カラーグラスの無い呆れた顔が待ち構えていた。へへ、と悪びれずに笑みを返す。曲やステージに関わることになると、夏準はアレンやアンを簡単に信じて委ねてくれる。すっかりそれが神経に染みているのでいつもの悪魔の角も尻尾も怖くない。はあ、案の定夏準は諦めのため息を吐き出した。しかし予想と違ったのは、その口元がすぐに意地の悪い角度で引き上がったことだ。
「それなりの対価が必要ですよ? 他でもない、ボクのベッドを占有するんですから」
シーツをするする滑らせて夏準が身を乗り出してくる。手のひらがベッドを軽く撫でた。指の間をゆっくりと広げるその動きをまじまじ眺めてしまっていることに気づき、さり気なく目を逸らす。
「からかうなよ。すぐ終わるって」
苦笑して夏準にまた背を向けた。逃れるように意識をタブレットのDAWアプリに集中させる。脳内に響く音を打ち込んで、イメージと離れているところを寄せたり、敢えて離してみたり。アンに聞かせるためのトラックをいくつか積み重ねたところで、すり、と首筋に何かが擦れた。思わず曲がっていた背が伸びる。
「お」
一瞬驚きはしたが、当然、自分以外の誰かと言えばここには夏準しかいないわけで。額の熱と圧が肩にかかっている。首筋をくすぐる細くて柔らかい髪の毛にはベッドライトのオレンジの光が淡く滲んでいた。
「夏準?」
「動かないでください」
顔は全く見えないが声が笑っている。肩の後ろに吐息がかかる感触になんとも言えない気分になった。
「そのまま。それが条件です」
これが『対価』ということだろうか? 人の肩を枕にするということか。だがどう見ても寝やすい姿勢とは思えない。一体何を考えているのか分からないが、これくらいなら別にいくらでも払ってやれるので、ぎこちなく作業に戻る。
シーツがまたするする滑る音。額にかかる圧が重くなったり軽くなったり波があり夏準が何か動いているのが分かる。程なく、さりさりと何か擦れるような音が聞こえ始めた。先ほどまで作業に熱中していたはずなのに、そんな小さな音ばかりつい拾っている。
ぎくりとしたのは、くち、と何か粘り気のある音を耳が拾ってからだ。その後を追って、ふ、は、と吐息が肩にかかる。思わず動きを止めた肩にぐっと額が押し付けられて、ん、と小さな声が漏れたのをまた拾う。シーツがクシャ、と鳴ったかと思えばスウェットが引っ張られた。んん、鼻にかかったような声がまた漏れる。
「夏準……!?」
「動かないでくださいって……言いましたよね?」
「だって」
ふ、吐息が肩の後ろで愉快そうに揺れた。ぬち、ぬち、と不快な音がまた生まれて、苦しそうに息が揺れ、肩の重みが変わる。目で見える情報は一切無いのに記憶の引き出しが勝手に開いてしまう。ステージバトルで注目を集める度に忙しさが増していき、最近はすっかり互いに触れないようになっていた。バトルに挑む前は週に何度もこの音を聞いていたこともあったのに。その時にはそうするのが当然と思っていたが、随分間が空いたせいかなんだか妙に気まずい。そのくせ、引き出しから映像が転がり出る度、見下ろす夏準の表情が蘇る度、腰が重くなっていく。さりさり、アレンの肩に夏準の髪が擦りつけられ、んん、ん、こらえるような低い声と苦しそうな呼吸。
「わっ」
思わず声を上げたのは、すっかり硬直していた肩に突然噛みつかれたからだ。目を見開いて見下ろした先で夏準の目がちらりと上がる。乱れた前髪の向こうで熱に潤んでいる。
く、と喉を震わせ、は、と吐き出されたのは眉を上げる馬鹿にするような笑み。ふふ、吐息を揺らしながらまた額が肩に押し付けられた。
「夏準……!」
「待て、と言ったでしょう」
ぐっとアレンの喉も鳴ったが、夏準とは正反対に明らかに悔しさを飲み込む音だ。ベッドをちょっと借りたくらいで犬扱いとは恐ろしい。冗談でももう二度と夏準に借りは作りたくない。そうやって怒っているはずなのに、情けないことに体が反応し始めている。犬扱いを喜んでいるわけじゃないぞ、と誰かに思いっきり言い訳したい。が、言葉ひとつですっかり動きを封じられているアレンの言葉では説得力は微塵も無さそうだ。そもそもここには口では到底敵わない当事者しかいないし、本当によその誰かがいられちゃ困る。こんな姿誰にも見せたくない。
夏準の重みは相変わらず肩の上で前後する。そして堪えられなくなったタイミングでアレンの肩を噛んでいるらしかった。突然噛みついてくるほうがよっぽど犬っぽい。どちらかと言えば猫のようだと思っているけれど。気まぐれで、予想外で、でも目が離せなくて触れたくなる。
ぽこ、と軽い音がして一瞬逸れた気が引き戻された。ぬちゃ、と音の粘度が更に増す。正解はキャップが外された音。何のキャップかと言えば、夏準のベッドの隅に隠れ置かれている液体のキャップに決まっている。
「ん、ん」
先ほどまでは吐息に混じる小さな声が喉の奥で殺されていたのに、今触れている場所では声を抑えるのが更に難しくなったらしい。ぬちゃ、ぬち、粘る音が滑る度アレンの肩にいびつな音が響く。その振動に焦らされている気分だ。思わず膝の上でぐっと両手を握り込む。睨み下ろすタブレットは最早スクリーンがオフになってしまっていた。
「っ、アレン?」
顔を少し上げているのか、吐息が首筋にかかる。今顔を見たらどうなるか分かってしまっていて、返事もできずにうつむいている。そんなアレンをまた愉快そうな吐息がからかう。
「おくに、とどきません」
つい先ほどまでしらばっくれていたくせに、突然直接的な言葉を首筋に垂れ流され思いっきり体を捻ってしまった。支える手がない夏準の体は簡単にベッドに倒れ込む。
「夏準」
思いっきり不機嫌を声に乗せたつもりだったのに、実際に空気を震わせたのは情けない音だ。アレン以上に情けない格好を晒しているはずの夏準は少しも悪びれもせず笑っている。アレンが「こういうこと」で夏準にひとつも勝てないことを分かりきっている顔だ。
「動きましたね? 終わりです」
「からかうなよ」
見せつけるように手を自分の体に添えて動かしてみせる姿は本当に目に毒だ。明らかにアレンを玩具に遊んでいる。けれど、ただ遊ぶつもりだけで仕掛けたのではないことは目の熱を見れば分かる。もっと平和的な始まりはなかったのだろうか……と思ったものの、記憶の引き出しは大抵こんな悪魔みたいな誘い方しか吐き出してこない。
「……すぐ終わるわけないだろ」
ぐ、と膝をベッドに押し付けてしかめ面で片手を付く。そこまでは良かったのに、覆いかぶさるように見下ろす夏準の顔がアレンの言葉でただの笑みに解けて、結局アレンも笑ってしまった。夏準がアレンをどう思っているか、その体から全身で感じているせいだ。